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最高級ハニー

「ナマエちゃーん、これちょっと使ってみない?」
「ヒルダ? えっと、これは……」


 私の部屋に来たヒルダが私に差し出してきたのは少しきらきらとした小物だった。一体これはなんなのだろう、何処かで見たことがあるような。
 手に取ってそれをじっと見る。どこで見たんだっけな、記憶を探り始めて数秒、直ぐにそれを思い出した。これ、もしかして。


「……町で見た、限定の化粧品?」
「せーかいっ」


 くすくすと可愛らしく笑ったヒルダを私は見返す。
 よく覚えていたな、と彼女の記憶力に感嘆するとともに、それがここにある理由がわからなくて首を傾げた。

 週に一度のお休みの日、ヒルダと一緒に町に降りた時のこと。たまたま入ったお店にあった化粧品に私は心を奪われた。
 ただ、それは少し値が張るもので。まぁ当然といえば当然だ、ここはガルグ=マク近辺の町で、貴族の子息令嬢も立ち入る場所。
 そういったところに置いてあるものなのだから、安いものも勿論あるけれどそれと同じくらい高いものだってある。今回はそれが後者だった、というだけだ。
 ただの平民たる私には手が出せない値段。お金を借りる当てなど当然のようにない私はそれを泣く泣く諦めた──というのが、その時の話。
 そういうわけで、その化粧道具が私の手元に来ることはなかったのだけれど。

 それが、今私の手の中に。いや、私のものとしてではないけれど。
 いったいどういうこと、とこれを持ってきたヒルダに問いかける。私の反応に満足したらしいヒルダは、それはそれはいい笑顔で私に答えた。


「ナマエちゃん、この間すっごく欲しそうにしてたでしょ?」
「それは、まあ……そうだね」
「だからあたしが買って、それをナマエちゃんにつけちゃおっかなーって思って!」


 何がどう『だから』なのだろう。
 頭に疑問が掠ったけれど、それを口にするほど愚かでもないみたいだ、私は。……まあそういうことを私が言わないようにしたところで、それをヒルダが知るわけでもないし、ヒルダは気にせず答えの一端を口にするわけだけれど。


「あの時は私も持ち合わせがなかったから諦めちゃったけど、これ絶対ナマエちゃんに似合うと思うんだよねー!」
「そうかなぁ」
「そうだよー! これでかわいくなったらクロードくんだってナマエちゃんのこと好きになるって!」
「ちょっと、なんでクロードが出てくるの!?」


 私の言葉なんてどこ吹く風、きゃっきゃとヒルダが楽しそうに化粧品を並べていく。
 私まだ、一言も使うなんて言っていないのだけれど。でも楽しそうなヒルダを見ていると断りづらくなってしまった。
 でも、けれど。私だって思うところはある。最後に残った良心のひとかけらが私の口を開いた。


「でも、高いじゃない、それ?」
「気にしないでよー。これはあたしがあたしのためにナマエちゃんに化粧をするの」


 こういうところヒルダは強かだな、と思う。私のためではなくてヒルダのためならば、私がそれを拒否するわけにはいかない。
 天然か作戦か、どちらなのかはわからないけれどヒルダはそういうことを言えてしまう人なので、私は結局折れることになったのだ。





 それで結局、ヒルダに言われるがままに化粧をしたのだけれど。
 高級なものは高級になるだけの理由があるのだ、と理解した。だっていつも使っているものよりも肌がきれいに見える。
 化粧の厚さを変えたわけではないのに、化粧の方法……はちょっとヒルダに言われて変えたけど、それでもそんなに劇的に変わったわけでもないのに、鏡の向こうにいる私はいつもよりもかわいく映っている。


「どう? どう? あたしとしてはすっごい良いと思うんだけどー?」
「……正直舐めてました」
「化粧を? あたしを!?」
「…………」
「ちょっとー!?」


 ヒルダの抗議に思わず笑みを零しながら鏡を見つめる。別にヒルダのことは舐めていないし、それもヒルダに伝わっているのだろうけれど。
 ……でも、本当にすごい。ヒルダの見立ては間違っていなかった。私ひとりじゃ絶対に選ばないような色のものでも、私によく似合っている、と私自身が思う程なのだから。


「……ありがとうね、ヒルダ」
「さっきも言ったけど、これはあたしがあたしのためにやったことだからねー。お礼なんていらないのよ?」
「うん、それでも──ん?」


 こんこんこん、と扉を叩かれる音がした。休日に、いったい誰だろう。一番私を訪ねて来そうなヒルダは今ここにいるわけだし。
 誰だろう、と私を訪ねそうな人を考える。そこで真っ先に出てきたのは、


(……クロード、とか)


 そこに思い至った瞬間顔がぼっと熱を持った。化粧をする前にヒルダがあんなことを言ったから!
 でも、そんなに都合よくいくわけがない。クロードよりも何よりも、先生とか同性のリシテアやレオニーにマリアンヌ、そういう人の方が確率は高い。いや、マリアンヌは難しいかもしれないけど。

 ここで思い悩んでいても埒が明かない。それに長い間人を待たせるのだってよくない。
 ごめんね、とヒルダに一言謝りながら私は立ち上がり、扉を開けた。
 その向こう側にいる黒い髪を見て、私は一瞬呆気にとられる。


「──クロード?」
「悪いナマエ、休みだってのに。明日の授業のことなん、だが──」


 ぱち、と視線がぶつかった。
 嘘、なんで。そんな都合よく、思い描いた人がいるはずがない。
 そう思ってもこの現実が変わることはなくて、私が見間違えてるわけでも妄想しているわけでもない。ここにいるのはクロード、だ。
 クロードが何故か言葉に詰まって、私も何も言えなくて、私たちの間に風が抜けた。その時間は一瞬だったはずなのに、すごく長い時間が経ったように感じてしまう程で。


「あれっ、クロードくん?」
「っ、と……ヒルダ? なんだ、邪魔しちまったか?」
「ううん、大丈夫だよー」


 私の後ろから顔を覗かせたヒルダが声をかけてくれて、私たちの間に流れていた沈黙の風は止む。 ああ、息が詰まりそうだった。
 ね、とこちらを覗き込むヒルダに内心凄く感謝する。
 今度、掃除を肩代わりしてあげよう──そう思っていた私だけれど、ヒルダが少し悪戯な笑みを浮かべたものだからその考えを撤回した。何を、するつもりだ。


「ね、クロードくん! ナマエちゃん、どう?」
「ちょっと、ヒルダ……!」
「どうって?」
「こちら最高級のナマエちゃんになりまーす! 具体的にはお化粧頑張ったのよねー」
「ヒルダ!」


 ああもう、やっぱりそういうことを言う!
 別に誰かに見せびらかしたいわけではなかったわけで、そうやって言われると恥ずかしくなる。今の今までちょっといつもよりかわいいかも、なんて思っていた自分が急激に萎れていくのを感じた。
 そんな私をつゆ知らず、クロードはヒルダの言葉に応える。


「ああ、それでか」
「ん?」
「いや、ナマエの雰囲気がいつもと違うように感じてね。納得したんだよ」


 あの一瞬で、あの一目で。
 このクロードという男は、私のちょっとした変化に──化粧が違うことまでは気づかずとも──気づいていたのか。ああ本当に、そういうところだと思うよクロード。
 ヒルダに抗議の視線を送──ろうとして、クロードの目がこちらを向いていることに気が付いた。さらに恥ずかしさが膨れ上がった私は、結局視線をヒルダに投げることも出来ずに逸らすしかない。

 ふ、とクロードの微笑む声が聞こえた、気がした。


「可愛いと思うぜ」
「……え」
「まぁいつものナマエも俺は好きだけど、な」


 虚を衝かれた私は情けなくぽかんと口を開き、ヒルダはそんな私の横で驚いたような、それでいて今の言葉を楽しむような顔をしている。
 対してクロードはそれがさも当然のことかのように涼しい表情だ。とんでもないことを言ったのでは、なんて思っているのは、私が自惚れているのだろうか。

 じゃあ、そういうことで。とクロードが去っていく。私はそれに応えることも出来ず彼の背中を見送った。
 扉が閉じて、また私とヒルダ二人の空間になる。堪らず膝から崩れ落ちた私の肩をヒルダが支えて彼女はこういった。


「今度お洋服見に行こうねー、あたしが見立てあげるから」
「……オネガイシマス……」



最高級ハニー

「先生、明日の授業のことナマエに伝えて来てくれ……」
「……いいけど、今ナマエのところにいってたんじゃないのか」
「いやぁ……その……化粧に気を取られてとんでもないことを口走って思わず逃げてきたって言うか……」
「珍しいな、クロード……」




2020.05.04
Title...反転コンタクト