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かれるまであいして

 女の子を本気で好きになることなんてないと初めて思ったのはまだ幼い頃だった。そしてそれは、この士官学校に入った時も変わっていなかった。そのまま変わることもないと思っていた。

 ゴーティエの紋章なんてものを抱えてこの世に生まれ落ちた俺には、それはそれは可愛い女の子が沢山群がってきた。皆俺の血を、紋章を欲して。
 まぁそりゃぁ、俺だってわかるよ。紋章持ちの俺と子を成して、その子が紋章持ちなら玉の輿ってやつだ。喉から手が出るほど、俺の血が欲しいってのはさ。
 家の方も家の方で、存続のために紋章持ちの子供を欲している。だからきっと家の方針で、紋章持ちを産んだ女の子と結婚させられるのだろう。……俺の意思なんて関係なく。

 誰も俺の内面なんか見ちゃいない。見せないように偽りを張り付けているのは俺の方だが。
 内面を愛してくれる女は今までいなくて、それでもつつがなく──俺の好意を度外視して結婚まで出来てしまうのなら、本気で恋なんかする方が馬鹿馬鹿しいと、そう思っていた。


 そんな俺が、彼女……ナマエ=ミョウジと出会ったのは士官学校に入学したその日だった。


 ゴーティエ様、と控えめにかけられた声に振り向く。それが女の子の声じゃなければ──声の高さという意味で、であってけっして野郎連中の声を無視するとか言う訳では無い──聴き逃してしまいそうなか細い声だった。
 黒い制服を着崩すことなくかっちりと着込み、それでいて他者とは違う雰囲気を晒す女の子がそこにいた。うちの代は美人が多いから目立つことは無いが、艶のある髪と芯の通っているような瞳は、派手さはなくともとても綺麗だと思う。
 そんな見目の女の子を、俺が忘れるはずもない。


「君は確か青獅子うちの学級の……ナマエちゃん?」
「ナマエで結構です、ゴーティエ様」
「んじゃあ俺もシルヴァンで」
「シルヴァン様」
「固いなぁ……」


 貴族なんてものをしてるから、そう呼ばれ慣れていない訳じゃ無い。けど、この学校の中では身分差なんてあってないようなものなんだから、そこまで固くなる必要は無いんだが。
 ……とはいえ、俺も殿下に砕けまくることは出来ないし、人のことは言えたもんじゃないからそこまでにしておこう。いやまぁ、殿下に対する態度だってだいぶ砕けてるんだけどな。

 ところでいったい何の用なんだろうか。彼女も俺に群がる女の子たちの一員なのかと一瞬身構えて、もしもそうなら逆に口説いてやろうかと思う。そんな邪な俺の考えはすぐに砕かれた。
 はい、と目の前に差し出されたのはどこか見覚えのある布切れ。これは、と聞いてしまう前に彼女は答えを口にした。


「もう覚えていないかもしれませんが、小さな頃……泣いていた私に、貸してくださったハンカチーフです。もう必要ないかもしれませんが……」
「え……あっ、まさかナマエ、あの時の!?」


 言われてはっとした。あぁ、どうして今の今まで忘れていたんだ。


 小さな頃、兄上に町中に連れ出され、そのままひとりにされたことがあった。
 勿論、跡取り息子の俺が一人で町を彷徨くなんてあってはならないことだから、俺はそのあとしこたま怒られることになる。兄上もそれを見越して俺を町に置いてけぼりにしたのだろう。

 でも、当時の俺にとってはその町の中での自由が少しだけ嬉しいもので、しばらくは一人で町を探索していた。
 そんな中、幼き俺は啜り泣く声を聞く。惹かれるように声のする方にいけば、そこにいたのは薄汚れた格好をした一人の女の子。

 もう微かな記憶しかないが、その時の女の子は……筆舌に尽くし難い、ひどい格好をしていたと思う。
 誰かに殴られたのか、それとももっと酷いことをされたのか。服は破れ、顔は腫れ、所々覗く肌は赤々しい。あまりの衝撃で、パニックになったことは何となく覚えていた。
 ぐすぐすと泣く彼女が可哀想で、……それから憐れに思えて、俺はその時着ていた上着と、持っていたハンカチをその女の子に渡したのだった。
 勿論、これもあとで怒られる種になる。


「後日、すぐ返せればよかったのですけど……遅くなってしまって申し訳ありません」
「いやいや、そんなのいいって……っていうか、ずっと覚えていてくれたのか」
「はい……私にとって、シルヴァン様は……」
「ん?」
「あ……いえ、なんでも」


 ナマエにとって、俺は……なんだ。運命の人、とか言われたら逃げる体勢にあったが、どうも違うらしいのでそうならなくて済んだ。いやだって、そういう重いのは互いに辛いだけだし。俺の立場上ね。
 口篭られてしまったので、その先を聞くことは叶わなかった。そこまで言われるとさすがに気になるが、まぁ押しが強すぎてもこの手の女の子は口を割らなくなるのは何となくわかっていたので黙っておこう。
 そんな風にして次の言葉をどうしようかと悩んでいると、俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、ナマエがぺこりと頭を下げた。


「すみません、呼び止めてしまって。それでは私はこれで……」
「あぁ待ってくれ、折角の再会なんだし一緒にご飯でもどう?」


 血を利用されるのは好きじゃないが、女の子と遊ぶこと自体は多分嫌いじゃない。今日の人寂しさを埋めるために遊ぶのだって、きっとダチを作ることとそんなに変わりない。だから、と俺はナマエに声をかけた。尤もらしい理由を口にして。
 俺の口からそれを聞いたナマエの顔がぱっと明るくなる。……なったのは一瞬で、すぐにしゅんとしてしまった。あれ、何だこの反応。今までにないパターンだな。


「その……お気持ちは有難いのですが、すみません」
「なんか予定とか?」
「……そんなところ、です」


 ああ、それなら仕方がない。ここで押して無理矢理遊ぶのは趣味じゃないし、第一そこまでする必要は無い。だからそっか、残念だ、なんて適当な言葉を返した。
 本当にすみません、と頭を下げるナマエが少し気の毒に思える。そんな気にしなくていいのにな。じゃあ、と手を振って彼女を見送る。


「……あ、そうだナマエ」
「……?」
「あの時も可愛かったけどさ、めちゃくちゃ綺麗になったな」


 ……なんでこんなことを言ったのか、俺自身分からない。多分、あの路地裏で泣いていた女の子とナマエが直ぐに結びつかなかった罪悪感だろうな、と自己分析をする。
 あの傷だらけで泣いていた女の子が、こんなに綺麗になって現れるんだから、そういう言葉のひとつでもかけてやりたいと思ったのも、きっと嘘ではないと思うのだけれど。

 俺の言葉を聞いたナマエは、今まで俺が知っていた女の子達──幼なじみのイングリットは置いといて、だ──とは違って嬉しそうな顔をすることは無かった。
 ただただ、寂しそうに笑って一言だけ呟く。


「……私は、あの時から何も変わりません、シルヴァン様」







 それからというものの、俺はなんとなく彼女を目で追う日々が続いた。あの寂しそうな笑顔の意味を知りたい、というのが理由の一つだった。
 勿論、見ているだけじゃあ結局何もわからなかった。かと言って声をかけてもするりと躱されてしまう。
 そうやって日々を過ごして八節。星辰の節まで、何ら変わらない毎日を送っていた。


「……っていうかセンセェ! 俺あからさまに避けられてますよね、ナマエに!?」
「シルヴァン、うるさい」


 先生との個別指導中、思わず口をついて出たのはナマエのことだった。別に愚痴を言いたかった訳では無いが、先生の前だと口が緩む。
 いやだって、こんな話を殿下やイングリットの前でしても説教をされて終わるし、フェリクスには侮蔑の目を向けられて終わりだ。言える相手なんて先生くらいしかいないのが事実だった。悲しいことに。
 そういうわけで、個別指導中の先生に愚痴を零すこととなる。先生相手に気安すぎる、と思わないでもないけれど、まぁ今更だ。


「イングリットと普通に喋るのはわかるんですよ、女の子同士ですしね? でもさぁ、フェリクスとは普通に喋るのに俺が声をかけたら適当なところで切られるんですよ……」
「一言言葉を交わしてはい終わり、よりはマシでは。君の素行を考えるに」
「そりゃそうですけどぉ……」


 やっぱり素行か! 普段の態度は俺が好んでやっていることだが、こういう時ばかりは自分の素行に苛立つこともある。自業自得、というのはまさにこの事なんだろうな、と苦い思い。
 でも、それにしたって。フェリクスとは普通に話しているのに、俺がダメってのはないだろう。いや、フェリクスが悪い訳じゃなくてさ。

 この数節ナマエを目で追っていて分かったが、彼女は割と人好きな性格をしているのだと思う。よく喋り、よく笑っているのを見る。アネットやメルセデスと比べると随分静かな性格や物言いではあるが、人並みには喋るし、笑っている。
 金鹿(ヒルシュ)学級(クラッセ)のローレンツや、黒鷲(アドラー)学級(クラッセ)のフェルディナントとも話しているところを見たことがある。あいつらも俺と同じ──というと認識に齟齬を生じそうだが──く、女の子を良く口説いているところがあるから、ナマエの俺に対する態度が俺の素行によって引き起こされるものであれば、あいつらにも同じような態度を取りそうなものなのだが、そういうわけでもない。

 つまり。
 俺が、俺だけが。意図的にそうされている、と認識するのは容易いことだった。だからこそ凹むわけなんだが。


「八節ですよ、八節! これだけあればもう少し仲良くとまではいかなくても言葉を交わすくらいは出来ると思ってたんですけど!」
「愚痴は聞くから、手は動かして。頭と手際はいいんだから、マルチタスクは出来るだろ」
「先生の鬼! 努力とか嫌いなんですよ俺! 出来ますけど!」
「出来るじゃないか。……なら、自分も応えよう」


 ぎゃいぎゃいと文句を言っていたが、先生が応えてくれる、と言ったので抗議の言葉を飲み込んだ。その言葉が講習の話ではなくナマエのことだというのは明白だったからだ。
 自分の所感だけど、と前置きをして先生は続ける。俺の手元が動いてることを見ているから、俺も手を止めることは無い。


「……別にナマエは、シルヴァンのことを嫌ってるようには見えない」
「なら、なんで……」
「シルヴァンは、人を眩しいと思ったことはある?」
「……まぁ」


 少しだけ口を濁して答える。そっか、と先生は少しだけ笑ったように見えた。……先生、分かってて聞いたんじゃないのか、と思ったけど、墓穴を掘るのは御免なので黙っておく。
 でも、それとナマエの態度になんの関係が。首を傾ぐ俺に気づいたのだろう、先生は一度俺の手元を見るのをやめて、俺を真っ直ぐと目線で射抜いた。……居心地が、悪い。


「ナマエがシルヴァンを見る時の目は、シルヴァンがそういう眩しいものを見る時の目に似ている」
「……え」
「彼女のそれは、羨望とかそういうものを孕まない……もっと純粋なものに見えるけれど」


 それってどういうことなんだ。
 俺が眩しいものを見る時の目と、ナマエが俺を見る時の目が似ている。それってつまり、彼女が俺を眩しいと思っている、ということだろうか。でも、そんなことを思われる心当たりがない。俺はそんなに眩しい人間じゃない。
 思わず唸ってしまうくらいに考え込む。答えは出ない。それよりも、と先生は話を変えた。手は止めてない、はずなんだが。


「自分としては、ナマエの態度よりもシルヴァンの態度の方が気になる」
「俺の素行が悪いのは今に始まったことじゃなくないです?」
「素行の話ではなく、……まさか本当に気づいていない?」
「何の話ですか?」


 素行じゃなく俺の態度が気になる、と言われて目を瞬かせた。普段のそういう遊び以外のところは、真面目ではなくてもそれなりにきちんとしているつもりだ。……たまに幼馴染達に押し付けたりすることもあるが、まぁそれはそれ。
 俺の表情を見て、先生がふぅと息を吐き出した。おい先生、あんたいくら表情が薄いからってそれは分かるぞ、溜め息だろ。いや最近はだいぶ顔にも出るようになってっけど!


「……まぁいいか」
「いや良くないですって! 何なんです!? そこで止められるとめっちゃくちゃ気になるんですけど!」
「シルヴァン、うるさい」


 ぎゃいぎゃいと抗議をまた始める。だが先生はもうそれ以上を言うつもりは無いらしく、しばらくしてから結局俺が折れた。クソ、先生め。
 どうせすぐに分かる事だ、と呆れを込めた声で言われた。わかるって、何が。答えは返ってこない。







 星辰の節、二十五の日。その日はガルグ=マク落成記念の日で、士官学校も参加可能のパーティが行われる。殿下やフェリクス、イングリットは居心地が悪そうにして……いや俺らの中でこういうの得意なの俺だけかよ。

 ここ最近はあまり女の子と遊ぶ暇もなかったが、やっぱりこれでも俺は紋章持ちの貴族であることに変わりはない。こういう場には慣れていたし、自分から誘うことも自分が誘われることもまあまあある。
 学校生活だと口説いても躱されることが多かったが、まぁ、結局こういう場になると自分の血の価値を思い出させられる。忘れていたかった、という本音は嚥下した。

 ふと視線がナマエを探す。彼女はこういう場を嫌うのだろうか、好むのだろうか。少しの好奇心が首をもたげた。
 程なくして俺の目は彼女の姿を捉えた。あの髪を見間違うことは無い。
 視線が絡むことは無かった。そのまま、ナマエは会場から姿を消す。……その後を男が追っていたのを、俺はどうしてか見逃さなかった。

 気にかける必要も意味もない。だというのに胸のあたりが嫌なざわつきを覚えている。
 あれを目にしてから目の前の舞踏に集中することが出来なくなっているのは明白だった。パートナーにも失礼だな、と考えが掠めた以上、もう俺は踊ることが出来ない。パートナーの女の子に平謝りをして、俺は会場をあとにした。


 会場の音が遠くなる。それと反比例するように、人の声が聞こえてきた。言い争う声だ。……俺も女の子と言い合いしてる時はこういう風に聞こえてんのかなぁ、と苦笑した。先生にはやたら見つけられるし、どう思われてんのかね。
 そちらに導かれるように足を運ぶ。物陰から顔を覗かせると、そこにいたのは俺の予想通りナマエと、ナマエの手を掴んでいるのは……さっき出て行った男だ。


「しつこい、です……っ、てば……! 離して……!」


 掴まれている手を振りほどこうとしている彼女のその腕は、痛いほどに握られているのか遠目にも色が悪くなっているのがわかる。あいつ、どんだけの力で女の子を掴んでんだ。
 さて、こんなものを見てしまった以上放っておく訳にもいかない。そこまで薄情な人間にはどうやらなれないらしい。今来た風を装って彼女たちに近づいた。


「ようナマエ、遅くなって悪いな」
「……ぇ、あ、シルヴァン様……!?」
「そういうわけで、悪いな。先約だ」


 ナマエのもう片方の手を、なるべく優しく取って男から引き剥がす。俺と喧嘩をしたい訳では無いらしい男は大人しくナマエから手を離した。
 じゃあ、行こうか。これ見よがしに手を繋いで、会場とは違う方向に歩き出す。ナマエも俺の起こした行動の意味をわかってくれたのか、素直についてきた。出来るだけ自然に、今日の男女が向かいそうな先──女神の塔に。
 向こうもこれ以上追ってくることはないだろう、という確信のようなものはあった。が、中途半端にフリを止めてしまっては万が一のことはある。故に足を止めることはなく、手を繋いだまま口を開いた。


「大丈夫か、ナマエ」
「……ど、どうしてシルヴァン様が」
「どうしてって……踊ってる最中に出ていく姿が見えたからさー」


 気になって追いかけてきちまった、と付け足した。別に重い意味を持たせてはいない。……はずだ。
 はず、なんだけど。ナマエからの返答が止まった。どうした、とナマエの方を向けば、彼女は目に涙を溜めている。え、不味いことしたっけ。焦りを隠して、空いてる手でハンカチを探した。
 ポケットには都合よくハンカチが入っている。取り出して見てみれば、それは俺がかつてナマエに渡したハンカチだった。なんだかなぁ、なんでこういう日に限ってそういう再現しちまうかなぁ。自分への愚痴を心の中で零しながら、ナマエの涙をハンカチで拭ってやった。


「……嫌だった?」
「そんなことっ! ……そんなこと、ないです」
「そうかい、よかった」


 じゃあなんで泣いてるんだ、とは……聞きたくても聞けない。
 それなりの理由があって泣いているのだろうけれど、それに踏み込んでいいものかどうか、俺には判別がつかない。だって、当然だろ。俺は彼女とここまで、そんなに親しくなれずに来てしまって、だから俺は──……。

 ……いいや、分かってる。そのはずだ。
 俺は彼女をずっと目で追ってきた。寂しそうな笑顔の意味を知りたくて、彼女を知ろうとした。知りたいと思った。可愛いからとか、そういう理由ではなかった。彼女の内面に触れたいと心の底から思っていたからだ。
 だから、彼女の上辺だけを見ている人間よりは、きっとナマエのことを知っていると思う。そりゃあ、ずっと話してきた奴らと比べればきっと拙いものだけど。

 多分それは、俺には無縁だったはずのものから生まれた行動だ。


「……足元、気をつけて」


 塔に入って階段を登っていく。言葉はない。足音だけが淡々と響いている。ふと彼女を見れば、まだ涙は溢れていた。上に着いたら、また拭ってやろう。
 開けた場所に出る。外を見れば星が瞬いていて、今の彼女の涙を照らすには明るすぎるな、と眉を顰めた。女の子の涙は武器だけれど、だからこそ万人に晒す物じゃない。


「……ナマエ、落ち着いたらでいいんだけどさ」
「……はい」
「なんで泣いてるか、教えてくれないか」


 沈黙が降りる。普段の女の子たちとの遊びで降りる沈黙は気まずさしかなかったが、ナマエとの間に流れる空気は嫌いじゃない。
 それから、しばらくして。まだ彼女の目に涙は灯っていたが、呼吸が落ち着いたのか、小さく口を開いた。


「……私は、昔から……人からの暴力の対象に、なりやすくて。……初めてシルヴァン様と出会ったあの路地裏の時も、それで泣いていました」
「……ああ、随分とひどい格好だったもんな。あの上着で隠せたか?」
「はい、それは十分に……、ハンカチーフはお返しできましたが、上着はすみません……、家にはあると思うのですが」


 いや流石にそれは返されても、あの頃の服は流石に着れねえし、と喉で笑いながら言うと、ようやくナマエも少し笑ってくれた。……ああ、やっぱり女の子は……いや、ナマエは笑っている顔の方がいい。
 しかしその顔もすぐ曇る。……当然か。

 暴力の対象になりやすい。そういう人間は、間違いなくいる。身なりとか身分とか、そういう形式的なものに寄らず……その人間が持つ、生まれ持っての性質、と言うやつだろうか。
 俺のそれに値するのが、紋章抜きにしても人に好かれやすいということだったのかもしれないし──同じように紋章を持つフェリクスはあの性格だからかもしれないが俺ほど女の子に言い寄られることもないためそう判断する──、彼女のそれに値するのが暴力性だったのだろう。

 そして、それが事実だとすれば。彼女はあの日から、あの日よりも前からずっと暴力に晒され続けてきたのだろう。……今もその寸前だった、と予測することは容易だ。
 止められてよかった、と安堵する。それと同時に、今まで気づけなかった自分の不甲斐なさを悔やむ。今思えば、彼女は翠雨の節でもやけに肌を晒すのを嫌っていた。きっと暴力の跡を隠すためだったんだろうな、と溜息が漏れそうになった。


「だから……、あの日シルヴァン様に助けて頂いた時は、すごく嬉しくて……奇跡のようで」
「奇跡?」
「あんな風に優しくして頂いたのは、シルヴァン様が初めてでしたから」
「それは……」


 そんな、奇跡と言えるほど優しいものでは無い。俺はお前に対して憐れみを覚えて、だから優しくしたに過ぎないのに。
 言葉に詰まった俺を見て、彼女は俺の言葉の先を察したのだろう。しかし俺に失望する様子も見せず、ナマエは静かに続ける。


「……今日まで私が生きてこられたのは、シルヴァン様のあの日の優しさがあったからです。あなたはそれをどう思うのか、私にはわかりませんが……」


 ふと、彼女が涙の溢れる目で俺を見た。目を細め、眩しいものを──違う。
 この目は、俺がナマエを見る目と似ているのだろう。
 ……ああ、なんだよ先生、大嘘じゃねえか。これは眩しいものを見る目じゃねえよ。


「私にとって、シルヴァン様は、光です」


 この目は、そんな綺麗なものじゃない。
 自己嫌悪と、卑下と、羨望と、憧憬と、情念と、それからもっと邪なものを混ぜた目だ。そんなものを抱いてしまう自分が憎くて、でもどうしてもそれを否定できなくて、募る想いを心の奥底で殺し続けた目だ。

 一目で理解してしまった。彼女はきっと俺と同じ思いなのだと。
 自分がどうしようもなくくだらないものに思えて、あるいは穢れたものに思えて、だからこそ綺麗な他者に惹かれて、そんな自分が醜くて仕方がない、そんな思いを抱えているのだと。

 息が詰まる。ツンとした熱が鼻奥を駆けた。
 情けない顔をしているのだろうな。顔を見られたくなくて、無理矢理ナマエを腕の中へと閉じ込めた。抵抗されたらどうするとか特に考えてはいなかったが、抵抗されなくて安心した。


「……シルヴァン様、お召し物が汚れてしまいます」
「いいって別に。女の子の涙は人にほいほい見せていいもんじゃねえの」
「ここには誰も……」
「女神様が見てるだろ?」


 そんなキザなことを返せば、一瞬黙った後にそうですね、と返ってきた。今どう返そうか悩んだよなナマエ。まあいいけど!
 余計なことを考えても熱は引いてくれない。もうダメだ、と思ったと同時にその熱が目から逃げて地面に落ちた。……ああ、見られないようにと隠しておいてよかった。


「……泣いておられます?」
「そういうのは気づいても黙っておくのが礼儀じゃねえかなー……」
「……ふふ、お揃い……ですね」


 こんなダサいお揃いは嫌だろ、と苦笑を零す。野郎の涙なんて武器にもならなければ道具にだってならないのに。
 二人して女神の塔で泣いている、だなんて本当におかしな話だ。ガルグ=マク995年の歴史になかっただろうし、これから先だってないだろうなぁ。


「なぁ、ナマエ」
「……?」
「涙が枯れたらさ、」


 また笑ってくれるかい、と聞けば、腕の中のナマエは俺の背に手を回した。
 ……認めたくはなかったけれど、あぁそうか、これがそういう♀エ情か。参った、これは俺の負けだ。戦ってる相手なんていないけれど。強いて言うなら、俺の意地と本音との戦いってやつだろうか。
 短く息を吐き出した。ああ認めるとも。俺はこの子のことを──。



かれるまであいして
(涙が枯れるまで愛してみせるから、)(笑顔で果てるまで愛し合ってはくれないか)





Title...反転コンタクト
2019.08.31

原題:かれルまであいシテ