戦場を懐かしく思う日がある。
別に戦争をしたいわけでも、戦争が続いていてほしいわけでもない。ただ元傭兵である私にとってはそれが日常だった、というだけで。
六年前、仕事で大怪我を負って所属していたジェラルト傭兵団を抜けた。団長やその息子、団のみんなは怪我が完治した頃に迎えにくる、と言ってくれたけどついにその時は来なかった。
詳しい話はよく知らないんだけども、私が脱退した直後? の仕事の終わり頃にガルグ=マク修道院にある士官学校での仕事がどうとかこうとか、らしい。
私が知らないうちに団長は没していた。傭兵仕事なんてやっていると仲間の死や新たな加入者とかよく見ていたけれど、やっぱり良くしてくれた相手が死んだと噂で聞いたときは少し悲しい。
そんなことを惜しむ間もなく、あれよあれよと言う間に五年続く戦争が始まってしまったりそれが終わったり、と、私が戦場に戻る隙は無かったのである。いや、自発的に動いていたらそういうこともあったのかもしれないけれど、戦争が激しくなるにつれて今の仕事──飯屋の給仕としての仕事をやめられなくなっていった、というのが現状だ。不安が大きくなればみんな癒やしとして人との関わりや美味しいものを求める、みたいな感じで。
こうして出来上がったのは立派な飯屋給仕としての私だ。この生活に不満があるわけではないし、店長は優しいし、生命の危険は今のところないし、文句だってない。けどどうしても懐かしんでしまうのは、あの生活も楽しかったことの証左だ。いや、怖かったときも辛かったときももちろんあったけど。
「そういや給仕さん聞いた? ベレト様がね……」
お客様が口にした固有名詞で私の口元が少しだけ引き攣った。すぐに元に戻せたから気づかれてはいない、はず。
──対して団長の息子……ベレトは、今やこのフォドラの統一者だ。
士官学校での仕事で国の長やセイロス聖教会の大司教と知り合いでもしたのだろうか? 兎に角、彼はあの戦争を通してフォドラ統一を成し遂げてしまった。
昔は隣で剣を振るうのが当たり前だったのに、それが今やという感じ。実は彼と知り合いなんですよ、なんてお客様に言ったところで信じてもらえなさそう。
本当に、遠い人になってしまった。今や一日一回はベレトの名前を聞くし、耳に入れるたびに傭兵時代を懐古して戦場を思い出す。
あの戦争に乗じて有名になりたかったとかそういう思いはない。それだけは断じてない。戦争で苦しんだ人たちに失礼なことは、決して。
ただ少しだけ未練があるのでは、と聞かれるとそうなのだと思う。私も戦えたから別の方法で人助けが出来たのではないか、と考える。
ただ、何を思ったところで後の祭りであることに変わりはない。多分、私の人生はここが着地点なんだと定められているんだと、思う。
……確かに思っていた。今日、この日までは。
「すまない、この店は今開いているか」
「いらっしゃ──」
「あぁ、よかった、いた、ナマエ」
「……い?」
一瞬、事態が飲み込めなかった。
聞いた声が私の名を呼んだ。宝石のような緑のひとみが私を見ている。は、と息を吐き出すと同時に、辺りがざわめきに包まれているのに気がつく。
どうしてとかなんでここにとか、言いたいことはたくさんあるのに声にならない。そんな私の様子を見て声の主はふと頬を緩める。初めて見る顔だった。
「店主は……貴方か。彼女と話をしたい、お借りしても?」
「……え、あ、あぁ! もちろん、ええと……ナマエ、休憩に入って、ええっと……」
店長の言葉が耳を撫でる。言われている意味はわかったのでとりあえずうんうんと頷いたが、それでも思考が追いついていないのか頭の中でぐるぐると色んな思いが回る。
喉に引っかかったままの疑問を吐き出そうとするものの音にならない空気がこぼれるだけで、私の目はその人の姿を上から下をなぞるだけ。正直、何も頭に入ってきていない。
とどめ、と言わんばかりに彼は言う。
「──遅くなったな、すまない。今の立場の自分ではなくジェラルト傭兵団のベレトとして、君に非礼を詫びよう」
†
普通の町の普通の飯屋、その片隅。何かを間違えてでもフォドラの統一者が来ないような場所。そんなところに私と、そのフォドラ統一者であるベレトは肩を並べている。
私の疑問とか、店長の緊張とか、お客様の興味とか、そういうものが渦巻く店内で──しかし彼はそんなものを知らないとでも言いたげに、うちの看板商品を口に入れた。美味しかったらしく頬が綻ぶ。
「ん、美味しいな」
「…………」
「ナマエ?」
「いえ、あの……光栄です……?」
「そんな堅苦しくならなくていい。君にまでそうされると少し悲しい」
そうは言われても私にだって世間の目とか外面とかあるわけで、と反論しようとしたもののこちらを見る目は本当に悲しそうだったので言葉が降りていってしまう。ああ行かないで、私を無礼者にしないで。そんな思いも虚しくその瞳に負けた私は思わず頷いてしまった。
いや、今は私の世間体とかそういうところを気にしている場合ではなくないか。問題は私の中ではなくてどう考えても違うところにあるのだから!
「……なんでいるの?」
絞り出した疑問がこれである。もうちょっと具体性とかどうにかならなかったのか、と言葉にしてから出てくる後悔にすごく恥ずかしくなる。穴があったら入りたい。
私の羞恥を他所にベレトは何かを考える素振りすら見せずに言葉を紡いだ。
「視察、に託つけて会いに来た」
「えぇ……」
それは職権乱用なのでは、と思ったことをそのまま口から垂れ流せばしー、と口止めをされてしまう。その自覚はあったのか、とか思ったけどもう何を言っても余計なことしか言わない気がしたのでちょっとだけ口を噤む。不敬者になりたいわけではないし。
茶器に入った水を見つめているベレトの横顔は私達が離れた六年前とさほど変わっていないようにも見えた。そこそこの月日が流れ、大変な思いも経験しただろうに。
「……ジェラルトも自分も、ずっと気にかかっていた。迎えに行くと言ったのに、そうする前に色々変わってしまって」
「仕方ないよ、傭兵業ってそういうものだし……」
「会いたかったんだ、本当に。……ジェラルトも」
「……っ、」
その言い方が過去を想うもので、寂寞の色が滲んでいて。今までどこか他人事だったジェラルト団長の死が眼前に突きつけられた気がした。
少し泣きそうになった。柄にもないな、と己を嘲る。それに本当に辛いのは今話を聞いてようやく実感した私ではなくて、親子であるベレトの方だと思うのに、だ。このままだと本当に泣いてしまいそうだからわざとらしく話題を変える。
「……どうして私がここで働いてるって?」
「この町にナマエを置いてきたのは覚えていたし、ナマエの名前を出して探せばすぐに教えてもらえた」
……確かにフォドラ統一者が人を探しているなんて聞いたら教えてしまうか。今後この人に隠し事はできないな、と思う。する理由もする必要もする意味も、する時すらないはずだけども。
でもそういうのって許されるのだろうか。いや、世間は許すだろうけど、そうではなくて。
「部下とか従者とか……あと補佐役とか? そういう人に怒られないの、それ?」
「多分怒られる」
「でしょうねえ……」
「でも、何でもやるからこその傭兵だ」
「否定できないけどさあ」
確かに昔、傭兵団に所属していた頃だって使える手段は全て使って仕事を熟していた。それが当然で当たり前の環境だったから。でも今のベレトの立場でそれはいいのだろうか。
いいのかなぁ、とかなんとか呟いているとベレトがくすくすと少しだけ笑った。あぁまた、私の知らない顔をしている。
「……笑うようになったね、ベレト」
「そうかもしれない。一年、士官学校で先生をしていたのが功を奏したかな」
あのベレトが先生。なんだか想像がつかない。
昔の彼は本当に表情が薄かった。私や団員はそれが当然として接していたし彼に感情がないわけでもないのを知っていたからなんとも思わなかったけど、それに畏怖した誰かが灰色の悪魔≠ネんて異名をつけてしまうくらいに。
それが今はどうだ。美味しいものを食べて幸せそうにするし、なにかあると笑顔を見せたりもする。しかも士官学校で先生をしていたなんて。……初めのうちは生徒に怖がられたりしなかったのかな、なんて余計な考えが頭を掠めた。
すごく、変わった。環境も、彼自身も、何もかも。それはとても喜ばしいことだな。
「変わったねえ……」
「そうだろうか? 自分としては特に変わっていない部分もたくさんある」
「たとえば?」
「この地位に着いてからも鍛錬は欠かしていない」
「ベレトらしいな……」
傭兵業は力仕事だ。だから鍛錬は欠かせないものだったし、私も当時は毎日きちんとやっていた。それこそベレトと一緒に。
彼の場合はそれが今の今まで習慣づいているのだろう。真面目な人だったからこれはなんとなく想像がつく。鍛錬をしていないと落ち着かない、とか言うのもあり得るかも。
「ナマエは?」
「私? ……鍛錬? もうまったく。たまに体を動かすくらいしか」
仕事はもう傭兵業じゃなくて給仕だものね。
それでもたまにやってしまうのはそれこそ懐かしいからだ。はじめの頃は怪我からの復帰訓練としてやっていたはずだけど、身体になんの問題もなくなってからも行っている。剣の重みを振るうたびに傭兵時代の日々を思い返している。
そこに成長とか実りとかそういうものはないけれど、それでも私の中では記憶との結実という意味がある。だからやめられないというか、やめたくないんだろうなと我がことながら思う。
「そうか……」
お皿にあったご飯の最後の一口を匙に掬い上げ、飲み下す。
何かを考えているようだったベレトがゆっくりとこちらを見た。その孔雀石は私をじっと捕らえている。
「……ナマエ。ここから少し行った郊外に、盗賊団の根城がある」
「え? えぇ。盗賊団といっても統率の取れていない烏合の衆みたいなものだけど、だからこそ対処が面倒だって話だったわね……」
「自分はそこに向かうつもりだ」
「……自ら?」
「自ら」
何を言ってるんだこの子は、と唖然とした。いやたしかに、そういうのはかつての私達の仕事の範疇だった。だった、けど。それはかつての私達が傭兵だったからこその仕事だったわけで、何をどう考えてもフォドラ統一を成し遂げた人がやることではない。対処は確かに大切だが、そういうのは部下に任せるものなんじゃないのか。
明らかに混乱する私を見て何を思ったのかベレトはこちらに身を乗り出してくる。
「ナマエもついてきてくれると助かる」
「……は、いや、ちょっ……」
「力を貸してほしい」
「私今給仕係なのよ!?」
「大丈夫だ」
一体何が大丈夫なのか。昔は傭兵業をやっていたとはいえ戦場から離れて久しいし、鍛錬だって毎日行っているわけじゃない。
そんなことはベレトだってわかっているだろうに。まさか揶揄っているのか、なんて思ってみても彼の表情は特にそんな様子はない。え、本気なの、とベレトを見上げて、ついでに店長も見る。あ、首を振られた。
「言っただろう、遅くなった、と。自分はナマエを迎えに来たんだ」
「……覚えて、いたの」
「勿論。だから考えてくれると嬉しい」
そうやって細められる目は、とても尊いものに見えた。
ひとみの孔雀石
2023.02.01
Title...ユリ柩