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ふたりぼっちになりたい

 学級長、というものは学級をまとめる存在だから、人気者であることは好ましい事なのだと思う。
 人望がなく誰からも信じてもらえない学級長と、人望がありいつも周りに人がいる学級長。どちらが学級長としてあるべき姿なのかと聞かれると、私はきっとすぐに後者だ、と答えるだろう。
 そう、だから。うちの学級長の周りに人がいるのは、とてもいいことなのだ。


「クロードくーん、ごめーんちょっとこれ頼んでいいー?」
「おいヒルダ、それお前が先生に頼まれたことだろ? なあ、先生?」
「ああ」
「ええーっ!」


 クロードと、ヒルダと先生が談笑している。とても微笑ましい光景だ。それに混ざるようにしてレオニーが話に混ざっていく。
 教室の別のところに視線を動かせばリシテアが何かの本を読んでいて、その隣にいるマリアンヌも同じようにしている。ローレンツとラファエル、イグナーツはまた別の話をしていて、その内容を聞き取ることはできないけれど、楽しそうなことは傍目にわかる。

 私はというとその輪のいずれにも属することなく、ただ一人で教室の様子を眺めている。もうすぐ授業が始まる時間だし、新たに何かをするという気になれないのが一番の理由ではあるのだけれど。
 それにしたって、何もしないでいると時間が経つのが遅い。人間観察、って言ったっていつも顔を合わせる学級の皆を見ていても、言い方は悪いが代わり映えしなくて当然なのである。
 早く休み時間終わってくれないかな、と心の奥底で念じる。そんなことをしたって、時間が早く進んだりはしてくれないのだけれど。こんなことなら休み時間が始まった瞬間から何か行動を起こしておけばよかった──なんて考えていると、ばちり、とクロードと目が遭った。しまった。


「どーしたんだよ、深窓の令嬢サマ? 俺にそんな熱烈な視線を向けちまって」
「そんなものを向けた覚えはあんまりないけど……」
「あるにはあるんだ!?」
「ヒルダと先生のことも見てたからね」
「俺だけじゃねえのかあ」


 わかってたくせに。口の中に転がった悪態を、なんとか吐き出す前に嚥下した。……クロードは頭がいいし、そういうことは私が言うまでもなく理解しているだろうに。本当に、人をからかうのが好きな奴だ。
 クロードがからからと笑う。それにヒルダはつられて笑って、レオニーは呆れたような顔をしている。巻き込まれた形になる私は、それがどうしてか嫌な気持ちにはならなくて、溜息を吐き出しながらも思わず笑顔を零していた。

 そうこうしているうちに授業開始を知らせる鐘が鳴り響いた。先生が手を叩いて、皆が席に座るように促す。
私はもともと座っていたから何かをすることは特にないけれど、立っていたクロードやヒルダ、レオニーは促されるままに席に着いた。私の隣に座ったのはクロードだ。その席はクロードの席だから当然と言えば当然だけれど。
 授業が始まって、先生の教えが耳に入ってくる。傭兵時代に培われたという知識は、なるほど、閉じた世界で生きている人のそれよりもはるかに遥かに多いものだ。だから、先生の話は好き。きっとそれはこの学級にいる誰もが思っていることだろう。

 先生の言葉を逃さないように、帳面に大事なところを書き写していく。それから、と顔をあげて──、隣のクロードが紙切れを私に差し出しているのに気が付いた。
 なんだろう。紙片を受け取って、その表面を見る。文字が書かれていて、それは普段見ているクロードの筆跡と一致する。ということは、その内容に意味があるのだろう。


『夜、部屋』


 簡潔に書かれたそれには必要以上の情報は乗っていない。どこの部屋だ、とかなんで、とか。そういう情報まで省いているのは私が彼に信頼されているからなのだろうか。それとも、単純に急いで書いたからなのだろうか。
 クロードの横顔を盗み見る。その視線は変わらず先生に向けられていて、こちらの質問に応じる気はないらしい。小さく息を吐き出して、心の中でだけ了解、と呟いた。





 今日の授業が終わって、人がまばらになる頃。食堂に寄っていく生徒や、大聖堂にお祈りにいく生徒で教室の喧騒は消えていく。私にあんな紙片を寄越したクロードはというと、さっさと教室から退場していた。彼がどこに行くのかは知らないけれど。
 ふと彼の席を見る。彼の私物の筆記具がそのままほったらかしにされていた。傍から見れば忘れ物に見えるだろうけれど、きっとそうではない、と私は知っている。
 届けろ、と。私に対してそう示しているのだ。勿論、ただ届けさせるためにあんな紙片を寄越したわけではなくて。
 『部屋』に私が向かうことを、誰かに不審に思わせないために。そういう建前を用意していてくれている。
 ただ部屋に向かう、というだけなのに彼がここまでしてくれるのは、私への気遣いなのだろうか。
 ならば、その心遣いに甘えよう。筆記具を手に取って、さも当然のように彼の部屋に向かう。

 教室から寮までの距離はそんなに遠いものではなくて、何も考えずに歩いて行くとすぐに辿りついた。いつもならそのまま、一階にある自室に向かうわけだけれど。
 今日に限ってはそうするのではなくて、そのままの足で二階へと向かう。途中に青獅子の学級長が「珍しいな、君が二階に上がるなんて」と声をかけてきた。ああ、クロードのこれがあって助かった、と内心思いながら、「クロードが忘れ物をしたので」と筆記具を見せびらかしておいた。
 青獅子の学級長は人当たりが良くて、親切にクロードの部屋の場所を教えてくれる。まさかその親切を無視して知っています、なんて言えるわけもなく笑顔を浮かべてお礼を言う。……きちんと笑えていただろうかという不安はあったけれど、多分大丈夫だろう。

 そうして、そのままクロードの部屋にたどり着いた。こんこんこんと扉を三回叩けば、数拍の間をおいて戸が開く。当然そこにはクロードがいて、こっそり私は安堵の息を漏らした。呼び出されておいて待ちぼうけ、だなんてことになったら流石に悲しすぎるし。


「おお、ナマエ? どうしたんだ、こんなところまで」


 わざとらしい。思わず言いかけた言葉をぐっと飲みこんで、忘れ物、と筆記具を差し出した。もしも事情を知っている人が見れば、私のこれすらもわざとらしいのだろう。
 そんなことを思っているのかいないのか、私がクロードの心の内を知るわけないけれど、これまたわざとらしく「ああ、探していたんだ!」と声を漏らす。探していたもなにも、と思わず小声で口にしてしまったけれど、多分クロード以外には聞こえていないからよしとしよう。


「いやー助かった、ありがとうな。そうだ、いい茶葉があるんだがどうだ? 忘れ物のお礼にさ」
「……じゃあ、ありがたくいただこうかな。ご引見いただきどうも」


 すべて予定調和な会話だ。
 別に茶葉じゃなくたっていい。茶菓子だって、珍しい文献だって、なんだっていい。ただ私がこの『部屋』──クロードの部屋に入り込む、という口実ならなんだっていいわけで。今日は茶葉か、と思考を隅に追いやった。
 部屋にあがるくらい、適当な理由なんてつけなくても──と思うかもしれないけれど、こうでもしないと面倒ごとが起こりかねないのである。クロードは次期盟主、なんて立場にあるのだから、そういうのは出来るだけ避けるべきである。……言葉は悪いしやり玉にあげるのも失礼な話かもしれないけれど、例えば青獅子のシルヴァンのような噂を立ててはいられないと思うし。

 部屋に上がり込んで、戸を閉める。鍵は、と聞けばかけておいてくれと手振りで示されたので大人しく鍵をかける。
 それから彼に招かれるまま寝床に座った。乱雑に散らばっている彼の本は、私が座ることを見越していたかのようにそこにだけ存在していない。座り心地を確かめる、というわけではないけれど視線を落として。

 私の前に影が落ちたかと思えば、何かを考える間もなく何かが私の首に触れ、そのまま背へと落ちていく。視界は遮られて真っ暗になり、顔に何かが押し付けられた。耳に聞こえてきたのはとくとくと心地よい音で、何が起こったのかは想像に難くない。
 つまり、抱きしめられているのだ。クロードに。


「……で? あんな熱烈な視線をくれてたのは……まさかとは思うがー……嫉妬してくれたのか?」
「まさかと思うならなんで聞くの」
「そうだったら嬉しいなぁ、って思って?」


 クロードはどこか愉快そうに笑って、私の顔に押し付けていた──というか、私を抱きしめていた腕を緩めて体を離す。こちらを見下ろす緑色の瞳は、こちらの奥の方を見透かすような光が明々と灯っている。
 これは、誤魔化せないなあ。浮かびそうになる苦笑いがどこか恥ずかしくて、ふいと顔を背けてしまう。


「……そうだよ」
「ほーん、ほーん……そうかあ」
「にやにやするのやめて」
「ええー、仕方ないだろ、不可抗力だよ不可抗力」


 そういわれると余計に恥ずかしいんだけれど、と目の前にあるクロードの鳩尾を軽く叩く。大げさに痛がるけれど、全く離れる気配はない。こちらも離れてもらう必要はないのでそれ以上何かをする、ということはないけれど。
 クロードの手が私の頬に触れる。壊れものを扱うような手つきで触られるからくすぐったくて、思わず目を閉じてしまった。


「あんまり煽ってくれるなよー? これでも我慢してんだからさ」
「…………」
「その怖い顔やめろ?」


 そんなつもりはありません。きっぱりと言い切ったけれどクロードはくすくすと笑うだけで、まあわかっていたけど全然怖がられてはいない。
 ようやくクロードは私から手を離して、そのまま私の横に座った。お茶はない。いや、茶葉があるのは本当なんだろうけど。今は出さない、と。


「でも、我慢してるのは本当だぜ? ちゃんと言いつけ通り、外ではべたべたしないようにしてるんだしさ」
「……それは」
「ナマエが俺のこと気づかってくれてるのはわかるし。まー俺は? 世間体ってやつを全く気にしないけど?」
「……クロードが良くても、私がよくない。平民と恋仲だなんて、何言われるかわかんないでしょう」


 唇に指をあてられる。その仕草のひとつひとつが艶めいていてなんだか変な気分だ。
 口にしようとした言葉を留められ口ごもる。何、と視線をあげると、彼と目があった。


「俺は何を言われてもいいし、ナマエが何か言われたらちゃんと守るつもりなんだがね。お前が取られないか心配なんだぜ?」
「私よりクロードの方が取られそうだけど……」
「そうか? まあ、だからさ」


 こつんと額同士を合わせる。彼の体温が額に伝わってきて柄にもなくどきどきしてしまう。
 端正な顔が近くにあって目を逸らしたい気持ちになったけれど、クロードの手が私の後頭部をきっちりと動かないように掴んでしまってそれは叶わない。


「たまには学級の奴等にでも牽制させてくれよ、こうやってさ?」
「……こういうのを外でやられたら私の方が保たないんだってば……」


 顔がとても熱い。きっと今の私は、ひどく情けない顔をしているはずだ。
 とてもじゃないけどこんな真似、みんなの前で出来るわけがない。……それすらきっと、クロードにはお見通しなのだろう。



ふたりぼっちになりたい
(世間体を気にしているのだって本当だけれど、外で何度もどきどきしてられない!)(それだってわかってるから外では大人しくしてんだよ、俺だって)



2020.02.09
Title...Cock Ro;bin