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ファミリア

※近親者
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「ユーリスいる?」
「姉さん、またあんたはこんなところまで一人でここまで来て……。取りに行くっていつも言ってるだろ」
「あのねぇ、貴方自分がどうしてアビスに住んでいるのか忘れたわけではないでしょう?」
「それは……」


 灰狼学級の扉を開いて弟の今の名前を呼ぶ。呼ばれた当の本人は深いため息をついて私を出迎えた。
 一人で来るな、と言われても。今更彼を地上に堂々と連れ出すわけにもいかないし──私はそうしたいと思っているけれど──、この弟は弟でアビスの連中に頼りにされているのだから手が塞がることも多く、アビスの入り口にまで迎えに来るのも難しいだろう。
 だから私は、彼に頼まれたことをきちんとこなすためにこの地下まで一人でやってくる。地上の人間でありながら。


「これ、頼まれていた物資ね」
「ありがとう。いつも迷惑かけてすまねえな」
「姉としてはもうちょっと頼ってもらってもいいのだけれど」
「馬鹿、盗賊に頼られて嬉しそうにするやつがあるか」


 持っていた箱を弟に渡す。結構な重量のものだったけれど、弟はそれを軽々と持ち上げた。少し見ないうちに、また成長しているのだなと思う。
 けれど私に対す態度はいつまで経っても変わらないらしい。大きなため息をついた弟を見て、私は思わず笑った。

 今更だ。本当に今更でしかない。
 私は弟の行動を長い間隣で見てきたし、その道筋が薄汚れたものだということも知っている。その汚れが私に降りかからないようにとしていたことだって知っている。
 だから今更だ。それでもずっとこの人を弟と呼び続けているのだから、それがすべての答えだというのに。
 そんなもの気にする必要だってない。それでも気にしてしまうのはこの人の性というやつだろうか。


「お頭! ちょっと……って、姉御じゃないですか。姉弟水入らずの邪魔だったっすかね」
「あー……」
「私は大丈夫。いってらっしゃい」


 本当はもう少し弟と話したかった。けれど私はその思いに蓋をする。彼の邪魔をしてはいけない。
 私は地上の人間で、弟は地下の人間。元は同じ血を流す二人だけれど、二年くらい前からできたその隔たりは私の予想以上に大きかった。私も地下に連れていってくれたらよかったのに、彼はそれを赦してくれなかった。
 これは俺の問題だ、なんて。貴方は私の問題も背負いこむくせに、貴方の問題は欠片も寄越してくれない。それに文句を言ったことも何度かあったけれど、返ってきた答えはいつも「盗賊は強欲なんだよ」、って。

 ああ、まったくずるい男になったな、と思う。けれど私は彼がこの地でどれだけ重要に思われているか知っている。
 だからその手を引き留めることはしない。袖口に触れた手は、ただの、甘え。
 それに気づいた弟は二、三度ぱちぱちと目を瞬かせた。それから、私の耳に紅が引かれた唇を寄せる。


「窓、開けといてな」
「ん」
「そんじゃあいってくるぜ、ナマエ姉さん」
「……いってらっしゃい、ユーリス」


 未だに張り付けるようにしか『ユーリス』を呼べないことに気が付いて、私は私を馬鹿にしたように笑う。口の中に残る違和感は、いつまでもざらざらと消えなかった。





 自室、寝台に寝転びながら思考する。
 私が弟の本名を表立って呼ばなくなってどれだけの時間が経ったのだったか。
 数える指が片手で足りなくなって、私は考えるのをやめた。

 弟は偽名をよく使う。それは彼にとって生きるすべの一つだった。
 ある時は帝国貴族の庭師になり、ある時は貴族に媚びを売り士官学校に入学し、ある時は裏社会を牛耳る『人喰い燕』として夜を走る。
 そんないくつもの顔を使い分けて、彼は生きている。だから彼を装飾する名前は必然的に多いのだ。私は最初から最後までずうっと『彼の姉』、或いは『士官学校卒業生の修道士』でしかないから、名は本名で生きていられる──姓は弟に合わせていることもしばしばある──けれど。

 今彼が使っている『ユーリス』という名は、貴族に取り入り士官学校に入学した『元士官学校生のアビスの住人』としての名前だ。
 この名を彼が名乗ってから随分な時間が経ったけれど、私は未だにこれを呼ぶことに慣れていない。いや、この名前に限らず、彼の偽名はどれも呼ぶのを躊躇してしまうのだけど。
 勿論、私や母以外に彼の名が知られては色々と不都合がある。だから私だって彼を『ユーリス』と呼んでいるわけだけれど、それにしてもなんだかそれが、私と彼を隔てる膜のように感じてしまって。
 いつか、もう一度彼の名を遠慮することなく呼べる日は来るのだろうか。仮に来たとして、その時私はいったい彼を──。

 鬱々とそんなことを考えて、思考の渦に取り込まれながら微睡んでいるとこんこんこん、と窓が鳴った。
 開けておいてと言われたからきちんと開けたのだし、律儀に叩かなくていいのに。そんなことを想った。盗賊のくせに、妙なところで真面目な人だ。
 身体を窓に向ける。私が窓に手を伸ばすよりも先にがらりと窓が開いた。少し冷たい風が、彼の菫色を部屋へと運んだ。


「もしかして寝てたか、姉さん?」
「ちょっと眠いけど寝てないよ。ほら、入って。寒い」
「悪い」


 木を上って伝って、二階にある私の部屋の窓まできたらしい弟は頭に葉っぱを乗せている。こういうところまだ抜けてるなあ、と少しだけお姉ちゃん心が擽られた。
 葉っぱを払うと少し彼は照れ臭そうに笑う。まだ餓鬼だな、俺も、だなんて。他の人がいるところじゃこんなに抜けたところは見せないのにな。
 とにかく入って、と彼に示唆すると彼は大人しくそれに従う。それから窓を閉めて、この部屋は私と弟の空間になった。


「だー……つっかれた……」
「お疲れ様。何か飲む?」
「いや、いいよ。とりあえず座らせて」
「ん。どうぞ」


 寝台に余白を開け、彼一人が座れる場所を作る。椅子に座ってもらったっていいのだけれど、彼は大人しく私の言葉につられてくれる。
 ふらふらと寝台に身体を預けて、それから。


「わ、」
「はー……」


 そのまま私にしなだれかかる。受け止める姿勢は作っていたけれど、予想以上に勢いがよかったものだから一緒に寝台へと沈んだ。
 この行動は慣れたものだ。弟が貴族の庭師をやっていたころからのことだから。名前を呼ぶことには未だに慣れないのに、おかしな話かもしれない。
 つん、と何か嫌な匂いが鼻を掠めた。


「今日の仕事は手間取ったの?」
「手間取ったっつーか、面倒だったっつーか……」
「匂い消せてないよ」
「うわっ、すまねえ」
「いいよ。でも帰る時は消しときなさいね、アビスの子らに訝しがられたくないでしょう」


 ばっと顔を上げて私から離れようとした弟の頭に手を回し、そのままで構わないと示唆した。
 この匂いは彼なりに戦ってきた証だ。私は慣れているし気にしないけれど、でもそれを知らない人たちだってあのアビスにはたくさんいる。
 彼は『ユーリス』だ。どうしたって。アビスを守る狼の長だ。だからそんな一面だって隠すべき時があると私は知っている。
 そういうことの確認も含めて弟は私の元を訪れる。勿論地上の誰かに見られてしまわないように内緒で。
 私が回した手の力に従ってぽすりとまた寝台に沈む。私の顔の横に落ちてきた弟の顔は、血を分けた私ですら美しいと思ってしまう程だ。


「……なあ、ナマエ」
「なあに」


 姉さん、といういつもの敬称は消え失せた。それを咎めるような真似はしない。このやり取りだって、この先のことだって、私たちはずっと躱してきたのだから。
 こちらを覗く灰色の瞳は疲労の色と、それから縋るような熱を灯している。


「ちょっとばかし甘えてえんだけど、いいか?」
「……聞かなくていいよ」


 そっかと艶やかに笑う弟は、いつか隣で見ていた幼子の姿とは遠くかけ離れていた。
 親友と呼ぶには理解しすぎていて、家族と呼ぶには近すぎる私たちのこの馬鹿らしい関係を、適切に形容する術を私は知らない。知らないままに、私は彼を受け入れている。


ファミリア



2020.05.23
Title...ユリ柩