※あまり要素はありませんが鏡花水月の幕間のようなお話です。
ディミトリは寝台で眠るナマエの顔を見て吐息を零す。頬は赤く染まり、息もやや荒く、眠っているにしては穏やかではないものだと認識してディミトリの眉がやや寄った。
寮の自室から出てナマエと出会い、声をかけたと思ったら彼女がそのまま倒れ気を失ったのが今朝の話だ。
その場にあとから来たイングリットに手伝ってもらって彼女を自室に戻し、マヌエラを呼んで様子を見てもらって──と、今朝は怒涛の時間を過ごした気がする。
学業が終わり暫くしてからナマエの部屋に来てみたものの、部屋の中に流れる時間は朝のそれと変わらない。
マヌエラが言うには疲れからくる熱だとのことなので過度な心配は不要かもしれないが、級長として、王子として、幼馴染としてはやはり心配になってしまう。彼女は滅多に体調を崩さない方だったから尚更。
どうしたものか、と思案する。
見舞いに何か持参すればよかったかとか、何かをしてやりたい気もするが何をすればいいのか分からないとか、そういった考えばかりが頭の中を掛けめぐる。
暫く考え込んだ後、せめて崩れた寝具を整えてやろうと手を伸ばしたとき、ナマエのまぶたが緩やかに開いた。
「……、…………ディミトリ様……?」
「おはよう、ナマエ」
状況を理解できていないようで動きがゆったりとしている。理解できていたとしてもこの体調なら機敏に動くことは難しいだろうが。
体を起こそうと試みているようだがやはり辛いらしい。そのままでいいと声をかけたが、彼女はそれでも頑張っている。王子、という立場がそうさせているのだと思うと少し苦しくなった。首を小さく横に振る。
「無理をするな。今は立場など関係ないだろう」
「……ですが……」
仕方のないやつだな、と溜息が出た。あまりやりたくない方法ではあるが、立場がそうさせているのであれば立場で覆すしかないのだろう、と腹を括る。
「あまり無理をしないでくれ、頼む」
「…………わかりました」
命令だ、とまでは言えない。言いたくない。だからディミトリに出来るのはお願いまでだ。それでもナマエはその意図を酌み取ってくれるのだから優しい。
観念したように寝台に沈み直したナマエはちらりとこちらを見ている。どうかしたか、と問うとそのまま目が閉じられた。
「……今、いつ頃ですか……」
「授業はもう終わった。内容は治ってから教えよう」
「……恐れ多いのでイングリットに聞きます……」
「そう言うな。俺の復習にもなる」
自分に利点があるということを伝えればナマエは少し迷ったように視線を彷徨わせた。やはりこの言い方には弱いのだな、と思うと不謹慎かもしれないが微笑ましい気持ちになる。
彼女は何処までもディミトリに迷惑をかけたがらない。好き好んで迷惑をかけたい人間もいないとは思うが、ナマエのディミトリに対するそれは並以上だと感じる。
それが少し寂しいと言っては怒られるだろうか、それとも呆れられるだろうか、などと詮なきことを考えた。
「今朝のことは覚えているか?」
「……あまり……どうしてこうなったか……」
「覚えて……というほどのことでもないが、俺が声をかけたら挨拶を返してそのまま倒れたんだ」
「すみません……」
覚えていない、ということは挨拶時点でほとんど意識朦朧状態だったのだろう。そんな体調なのに授業に出ようとしていたナマエに少し頭が痛くなった。真面目な彼女らしいが、もう少し自分のことに頓着してもらいたい。
この調子だと釘を刺しておかないと完治しないうちに無理をしてしまいそうだな、と良くない想像をした。そんな考えが頭を過ぎった以上大人しく帰る気もなくなる。
「マヌエラ先生が言うには過労らしい。何をしていたんだ?」
「……特に何も……」
言うと思っていた言葉がそのまま来て眉間を押さえた。
元来の性格なのかそれとも境遇ゆえなのか、兎角彼女は頑張りすぎる。頑張っている状態≠ェ常の彼女にとっては頑張りすぎている状態ですら普通のことと認識しているのだろう。
自覚していないのであれば聞き出したところで答えは出てこないと諦めた。真面目は美徳だが己の体を壊す程の真面目さは毒にもなるのだし諭すべきなのかもしれないが、今熱を出して倒れているナマエに滾々と説教をするわけにもいかない。
兎に角今は彼女の体力回復に努めたい。
「……そういえばナマエ、ご飯は……」
「……朝に倒れて、から、起きていないので……」
「ご飯どころか水分も取っていなさそうだな、ええと……」
配慮が欠けていた、とナマエに気づかれないように苦い顔をする。あれから起きた素振りがなかったのだからご飯も水も口に入れていないのは当たり前のことだ、長々と喋らせてはいけなかった。
そこまで考えが回っていなかった己を恥じつつ部屋の中を見渡した。女性の部屋で何を、と思わなくもないが今は緊急事態だと自分に言い聞かせて。
ふと水差しが目に入った。手に取ればやや重みがある。自分より先に見舞いに来ていた者が中に入れておいたのだろう。
「水はこれでいいな、あとは食べ物だが……」
水差しを差し出し体を起こさせながら部屋の中を再び見るものの、流石に食べ物はなかった。いつ起きるかも分からないナマエのそばに食べ物を置き続けるのも不衛生だと判断してのことだろう。
とはいえこのまま胃の中に何もないままだと体力も回復しない。彼女の食欲にもよるだろうが、少しくらいは何か食べて熱源とさせなければ。水を飲んだナマエを再び寝台に寝かしつけてやりながら考える。
「果物くらいなら食べられるだろうか」
「……ディミトリ様に、そこまでしていただくわけには……」
強情なやつだ、と苦笑いが浮かぶ。そして同時に少し胸が苦しくなった。
おそらく彼女はこうして熱を出したときの甘え方がよくわからないのだろう。だから自分が弱っていても素直に弱みを見せるこおも人の世話になることもよしとしない。自分も人のことは言えないかもしれないが、彼女を見ているとこちらが不安になってしまう。
「俺がそうしたいんだ」
「……ディミトリ様」
ぽつりと呟かれた名前が熱を纏って湿っぽい。やはり辛いのだろうと思い至って頭を撫でてやる。
普段ならきっとお戯れが過ぎますなどと言って跳ね除けられるのかもしれないが、今のナマエにはそれをする体力もないらしいのでこの隙に撫でておく。
熱のある彼女の頭は熱かった。逆にナマエにとってディミトリの手は冷たく感じられるのだろう。最初は居心地悪そうにしていた#ナマエだったが、次第に気持ちよさそうに目を細めるようになった。
「……ディミトリ、様……」
小さく名前を呼ぶ声がふわふわとしている。再びの睡魔が彼女を襲っているのだろうと想像するのは難しくなかった。
できればなにか口に入れてから眠ってほしいが、無理矢理起こしても無駄に体力を消耗させてしまうだけだろうと思うとそんな無理を言うことはできない。
「俺に何かできることはあるか?」
「……ひとり、は、……」
何かを紡ぎかけて、しかしそれはよくないとでも言いたげに首が緩慢に振られる。その先が紡がれることはなかったが、熱が口の弁を緩くしてしまっているのだろう。彼女が甘えたい甘えたくないどう思うかに関わらず、だ。
やはり理性の部分が勝ってその先を紡ぐことはないのだが、そこまで言われてしまっては先に何が綴られるのかわからないほど鈍感でもない。
「俺はここにいる、お前が寂しくなくなるまで」
「…………」
返事はない。彼女が眠ったことに安堵した。何か応えられていたらいたたまれなくなっていたかもしれない。
出来上がった心の空白に付け入るだなんて随分と浅ましいことをするようになったな、とディミトリは己を嘲った。
すき間をみつけて居座っている
2023.02.08
Title...ユリ柩