まずは一歩


 ぽちゃん、と。水溜まりに小石を投げ入れて波紋が広がるように、それは静かにオレの中に広がった。
 きっかけはきっと些細なことで、正直覚えていない。いつのまにか、黒い学生服やオレンジ色のジャージの集団の中で、その蜂蜜色の髪ばかりが目に入るようになっていた。

 ああ、オレあの人が好きなんだ。

 男なのに、とかそんなことは全然思わなくて、むしろ必然だったのかもしれないとさえ思った。




 宮地さんに近づくために、今まで以上に練習に力を入れた。勉強だって、宮地さんは頭がよかったから少しでも釣り合うようになりたくて。

「宮地さん、勉強教えてほしいんすけど」
「はあ?なんでオレが」
「だって頭いいじゃないすか!」
「お前に割く時間はねーよ」

 たとえ努力虚しく宮地さんの視界には映ってないとしても。

「じゃあせめて一緒に帰りましょー!」
「何がせめて、なんだよ」

 後輩として仲良くする分には嫌がらない。苦笑しながらオレの帰り支度が整うのを待っていてくれる。

「早くしろよ」
「もう行きますって」

 宮地さんと仲がいい自信はある。口が悪くて厳しくて、一年はもちろん二年生までもが怖がるこの人は、実際は誰よりもバスケにひたむきで一生懸命なだけ。怖くなんかない。
 仲のいい後輩のポジションを手に入れて、それでもより近くに行きたいと願うのは強欲だろうか。

「そういえばさ、お前彼女とかいんの?」
「へ!?」

 帰る道すがら思い出したように投げ掛けられた問いに、思わず声が裏返る。

「オレのクラスの女子がさ、聞いてこいって」
「へぇ…いないっすよ」

 オレが好きなのは宮地さんだから。そう続けたらどんな反応するだろう。気持ち悪いって思われるかな。

「女子の勢いって怖ぇからなー。お前も気をつけろよ。…高尾?」
「…え?」
「どうした、百面相して」

 むに、と頬をつままれる。知らず知らず顔に出ていたらしい。

「いや…!なんでもないっすよ!」

 距離が近くて、心臓がどくどくと音をたてる。この近さなら聞こえちゃうんじゃないか。

「本当かよ?なんでもない奴の顔じゃねえけど」
「本当ですって!」

 早く離れてくれないとオレがもたない。それが通じたのか、宮地さんはふっと離れた。

「彼女はいないけど、好きな奴はいるってことか」

 納得したように呟かれたその言葉に、またうるさく響く鼓動。
 言うなら今だ。どこからかそんな声が聞こえる。でも言ってしまえば、今の関係には戻れない。

「……っ」

 つうっと一筋、涙が零れる。それは、オレの中で決意が固まった証拠だった。

「どうしたんだよ?」

 涙に気づいてぎょっとしたように理由を問う宮地さんに、首を横に振りゆっくりと言葉を紡ぐ。

「すみません、宮地さん」
「あ?」
「すみません」

 訝しげに歪められる顔。

「オレ、宮地さんが好きなんです」

 謝るだけ謝って、最後に発した核心。俯いた顔をあげることができなかった。

「お前、正気か?」

 小さく一度頷く。決めたなら最後まで。玉砕しか待っていなくても。

「…そうかよ」

 うーとかあーとか迷うような声が耳に入って、顔をあげると目があった。
 慌てて逸らせば、逸らすなという宮地さんの声が降ってくる。恐る恐る目を向けると、宮地さんの瞳がオレを射抜いた。

「オレは普通に女が好きなんだけど」
「知ってます」
「でもお前といるのは楽しいんだよな」
「……はい」

 目線を合わせながら静かに優しく、話しはじめる。

「お前をそういう目で見れるかはわからねえけど、お前が望むならそれでもいい」

 思ってもいなかった答えに、考える機能が停止した。

「え……?」
「だから、ちゃんと好きになれないかもしれねえけど、それでもいいなら付き合うって」

 喜んでもいいのだろうか。完全に働くことをやめたオレの頭は、感情も整理できないようだ。

「それはつまり…付き合ってくれるってことっすよね…?」
「ああ」

 やっと思考が追いついて顔が熱くなる。
 オレが恋愛対象になるかはわからない。宮地さんはそう言った。それでも付き合ってくれると言うのだから、オレは好きになってもらえるように精一杯努力しよう。




まずは一歩


(惚れさせてみせますから)(楽しみにしてるぜ)