公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ
公爵様と働くお嬢様 4 ← →
そこまで来てリゼはセフィルドが一言も喋って無い事に気付いた。
「どうかされましましたか?」
「…私は貴女が《鈴と椛と黒猫印》時以上に楽しそうに笑う所を初めて見ました」
「あの少年は名前で呼んでも私のことはなかなか呼んで下さらない」
「…はい」
「敬語も使って、今は《陰の覇王》に夢中で…そんなに私はつまらないですか」
「…そう言う訳では」
リゼは思う。
だって公爵。公爵様にタメ口は…駄目だと思う訳で、しかも我が家を没落から救ってくれた救世主な訳で。
「なら"セフィルド"と」
「……セフィルドさん」
「……」
笑顔で黙った時の公爵は、御伽噺に出て来る冬将軍を思わせる。
「……"セフィー"さん?」
「……」
遠い目をして溜め息を吐かれた。
「……"セフィルド"」
「何でしょう?」
「…なんでも無い」
彼は、満足げに笑った。惜しい。こんな風に笑う男性(ひと)なら、そこらの令嬢は夢中なのだろうけれど。
生憎自分には、興味が無い。
□ □ □
夜は好きだ。魔女は月光浴がお気に入りである。魔術があまり受け入れらるていない国や地域用に編み出された姿消しを使って、リゼは今宵も夜空を箒に乗って飛ぶ。
散歩の時は箒に横乗りだが、リゼが飛行魔術をかけた座り心地抜群の遠距離用肘掛け椅子も彼女の部屋にある。
「気持ち良いね、ヴィッツ」
「ああ」
箒の柄の反対側に平気な顔をして立っているのは、白に近い薄い紫の髪のツンツン頭の青年だ。瞳は深い菫色。昼間は猫の姿でいるヴァデラヴィッツの夜の姿がこれだった。
「魔女で良かったー」
月がこんなに近い。血が騒ぐ。
「時計塔に行こうか」
巨大な時計塔は装飾が美しくそこに腰掛けて眺める月は格別だ。
□ □ □
ディデル
《陰の覇王》は闇夜に愛された者。
無能な警官隊の警笛を遠くに聞きながら、夜の闇から作ったような黒のマントを翻す。屋根の上を走り目の前にそびえ立つ時計塔に目をとめた。
『…---?』
道化師のような完全に顔を覆う仮面の下で彼は瞠目した。
それは純粋な驚き。
彼は、時計塔の最上に近い場所に立つ燕尾服を着た男を見た。
この都の闇夜でまさか自分より高みに立つ者がいようとは。
----ゾクゾクする。
何重にも張り巡らされた警備を潜り抜けた時よりも、最高の輝きを持つ宝玉を手に入れた時よりも。
挨拶もまた一興。
□ □ □
お分かりだろう。燕尾服の男はヴィッツである。
姿消しで見えなくなったリゼの左隣に立ち、悠々と紫煙をくゆらせていた。
「綺麗…」
うっとりと月を眺める彼女の横顔を見ながら、ヴィッツはこいつもデカくなったもんだと思った。
初めて会った時はまだほんの小さな餓鬼だったのに。
自分で言うのも何だが、ヴィッツは魔力が高い。だらかその分気位も高い訳で、そこらの使い魔に負ける心算は無い。
五歳でしかなかったリゼを見た時、こいつなら俺の命をくれてやってもいいかなと思った。
心臓を持たない自分は、リゼが死んだらそこで終わる。そう言う決まりだ。リゼの右目の視力を貰う代わりに使い魔として彼女の手足となる。
人の事をお人好しだなんだと言いながら、自分が一番のお人好しであるリゼはそれが嫌らしい。回避する術(すべ)を探しているみたいだが俺は構いやしない、とヴィッツは最初から思って居た。
今まで永いこと生きてきたし、リゼが死んだら今みたいに世界は楽しくないだろう、と。
なんだ、世界も捨てたもんじゃ無いなと思えるようになったのはリゼが居たからだ。だからリゼを傷付ける奴は苛立ちと嫌悪を呼び起こすし、逆にリゼが幸せならそれで良いと常々考えて居る。
("あいつ"はどっちだろうな…)
つくづく彼女は変な奴に気に入られたもんだと思う。あの金髪碧眼の金持ち公爵サマ。リゼは彼に会った事が無いと言っていたが、本人が忘れている可能性も否めない。
何処で会ったのか。公爵(むこう)だって、まさか一度も会った事の無い相手に、いきなりプロポーズする馬鹿じゃ無いだろう。
取り敢えず今は----
『今晩は』
「何の用だ」
ヴィッツは反射的に、眼球だけで横に座るリゼを見た。何処の誰かは知らないが、こんな夜中に時計塔の天辺に来る物好きは自分と彼女だけで良い。
背後から声をかけて来たのはかなり怪しい男だった。男だと思う。
『俺は散歩さ、あんたは何してる?』
「見てわかんだろ、煙草吸ってんだよ」
『時計塔の天辺で? それは又随分と優雅だな』
何だコイツ。
真っ黒な装束に、泣いてんのか笑ってんのかわからない道化師みたいな仮面。
頭巾(フード)付きの外套から僅かに見えるのは茶色の髪。
燕尾服を着て、口悪く煙草吸ってる自分もどうかと思うが、コイツよりは怪しく無いだろう。
ああ、コイツ…。
「お前アレか、《陰の覇王》か」
『ご名答』
隣のリゼは、綺羅綺羅とした目で見てる。そりゃまぁ怪盗だもんな。ロマンが無くも無い。どうでもいいが。
「消えろとは言わねえからどっか行け」
『善良な市民が時計塔にいちゃ悪いか?』
クッと喉で笑いやがる。不快だ。善良な市民は夜中に街を徘徊しねぇだろ。抑々お前が善良な市民を名乗るなよ。本当に善良な奴等が可哀想だろ。
『月は一人のものではいだろ?』
今、此処から見える月は俺と、リゼのだ。
「ご主人様(ロード)」
家に帰りたい。
《陰の覇王》には見えないリゼを呼んで、ささやかな優越感に浸る。
リゼは仕方なさげに立ち上がった。
箒に乗る。微風。一瞬、静寂。
《陰の覇王》の目には俺が空中に浮いているように見えるだろう。箒もリゼも見えていないのだから。
ヴィッツは、態と胸に手を当て、慇懃に礼をしてみせた。
「それではご機嫌よう怪盗《陰の覇王》」
覇王と言う癖に、夜の理を知らぬ者が。
道化師の仮面の下で驚 愕に目を見開いているかと思うとヴィッツは少し愉快だった。
そして俺も姿を消す。
□ □ □
『…ははっ!』
愉快だ。素晴らしく愉快。
嗚呼、こんな事があって良いのだろうか?----認めよう。
今、自分はどう仕様も無い程に驚き、己の頭を疑っている。
僅かに交わした会話も全て幻のように消えた。ただ、男が其処に確かに居たのだと言う事を示すのは、彼が吸い捨てた紙巻き煙草の吸い殻だけだ。
『この俺が狐につままれようとはな…』
常に誰かを驚かすのは自分であったのだが。彼は自分の上を行く。
《陰の覇王》は長い事、大きな月が照らす時計塔で笑っていた。面白い。
男が去り際に、強く呼んだ《ご主人様(ロード)》が、どういう意味かを絶えず考えながら。 ← → ここまで読んだよ!報告