公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

公爵様と働くお嬢様 3
「嫌な結果ではありますが、そうなりますね」
「………極度のお人好しですね」
 公爵は本気で狂っているんじゃないだろうか。彼と対峙するリゼでなくとも、話を聴けば、思わずにはいられ無いだろう。
「リゼ嬢だけにですよ」
「神経を疑います」
「正常です」
 セフィルドはゆったりと構えて、どうでしょう? と微笑んだ。
「……ちなみに我が家の借金は二億五千三百八十二万六千百五ギニスです」
 具体的な金額を知れば、公爵も手を引くだろう。リゼにとっては、最後の手段だ。だと言うのに、返された言葉は真逆だった。
「今夜中には返済しておきましょう」
「…払い損になると思います」
「さあ、それはどうでしょう。覚悟しておいて下さいね」
 絶対に無理だ。リゼは一生を貴族の屋敷で終わるつもりは無い。これっぽっちも。
「貴方、利用されてますよ」
「平気です。私がしたくてしてる事ですから」
 公爵家の財力を侮ってはならない。
「…でしたら婚約します」
 セフィルドは、リゼ以外の令嬢ならイチコロで落ちそうな微笑みを浮かべた。
「明日、返済終了書をお持ちしてご挨拶に伺いますね」
 セフィルドは立ち上がり、帰り際に極々自然な動作でリゼの荒れた手の甲に口付ける。癪だ。
「それではご機嫌よう。リゼ嬢」

  □ □ □

 リゼは、公爵が借金を全額肩代わりしてくれ、更には婚約したとアダムスとトルキンに告げた。父が卒倒した。
「旦那様!」
「リゼが…私のリゼが嫁に…」
「しっかりして下さいお父様。トルキンさん、気付けのブランデー入りの紅茶を淹れてもらえますか」
「畏まりました」
 リゼは溜め息をついてパチンと指を鳴らす。すると、アダムスの身体は見えない担架に乗せられたように空中に浮いた。
「寝室まで連れて行ってあげて」
 リゼがそう言うと、すうっとアダムスの体が動き出す。

 彼女は魔女の家系の魔女の母を持つ、正真正銘の魔女だった。

  □ □ □

 リゼの母の家系では、生まれた女は全員魔女だと言う。男は魔力を一切持たず、普通の人間と変わりない。
 アダムスは生まれてすぐに、その魔女の家系から、当時跡継ぎがなかったクロイツェル家当主の養子となった。
 クロイツェル家の正統な血筋を持つのは本妻が産んだ亡き叔父の子供たちだが、彼らの母が再婚してクロイツェル家と縁を切ったので、事実上の跡継ぎはリゼと言う事になる。
 見方によれば、ある種の簒奪ではと思った事も、嘗てのリゼにはあった。けれども、祖父が"気にするな"と言って頭を撫でてくれた日から考え無い事にした。
 普段はクロイツェル姓を使用しても、一度(ひとたび)"仕事"が舞い込めば、リゼが名乗るのは魔女の一族シェナンフォードである。
 シェナンフォードの魔女は五歳になると使い魔と契約する。右目を代価として。故に、リゼの右目の視力は無い。
 使い魔の名はヴァデラヴィッツ。普段は黒猫の姿をしている。些か性格に問題ありの、首輪を嫌う黒猫である。
 リゼは今、そのヴァデラヴィッツを肩に乗せて歩き売りをしていた。場所は時計塔広場。
 いや、乗せてと言う表現は正しく無い。ヴァデラヴィッツは黒猫の姿をしているだけで実際に重さが無い。彼が、リゼの肩から離れようとしない限りは、どう揺さぶっても落ちる事が無いのだ。
「やっぱりヴィッツがいると売れ行きが違うわね。さすが似非猫だわ」
『当たり前だろ、俺様にはこれ位当然なんだよ』
 傲岸不遜、傍若無人。ヴァデラヴィッツを評するとすれば、その辺りか。
「リゼ嬢」
 不意に、名を呼ばれる。振り返らずとも、彼女はそれが誰かを知っている。内心、溜め息を禁じ得ない。この一カ月、毎日とは言わずとも、二日に一度は必ず現れているセフィルドがいた。
『にゃ〜』
 ヴィッツの鳴き声が、態とらしく聞こえるのはきっとリゼだけだろう。
「今日も熱心ですね」
 一カ月前に、セフィルドは約束通り、その夜の内にクロイツェル家の借金を全額肩代わりしてみせた。
 それどころか、次の日から売り払った家具の代わりにと次々贈られて来た品の数々…更には、再び酒造りが出来る様に資金まで無条件で提供すると言う始末。
 アダムスとトルキンは、また一から初める事が出来るとセフィルドに対して、感謝の上に感謝を重ねていた。ざらつく。
 そしてもう一つ。
 うんざり、とまでは行かないが、リゼを悩ませる話題がある。
「もう働かなくても良いのでは? これから、演劇を観に行きましょう」
「忙しいので又の機会に…」
 毎日何処其処で、何があるから一緒にどうかとセフィルドに誘われる。彼女には、必要以上の厚意を受ける心算は無い。
 リゼはそういう沢山人が集まる場所は苦手だ。更に言えば、セフィルドが誘う場所は、庶民が行けないような一流の場所なので貴族しかいない。それが尚いけない。リゼは貴族が苦手だ。父が貴族で、自分がその娘でも。やはりリゼはシェナンフォードの魔女として育てられた。
 貴族のしがらみとか身分がどうとか五月蝿くて狭い社会が息苦しい。
「では一緒に歩いても?」
「…ええ、まあ」
 仕立ての良さがわかる黒い服にアスコットタイ。ステッキに白い手袋。背は高いく、リゼよりも年上だろう、妙齢の女性が目を奪われている所を見ると、容姿も恵まれているのだろう。
 リゼには甚だ疑問だった。彼は一体、リゼの何が良くて婚約だなんてものを望んだのか。一物抱えて居るとしか思えない。
 望んだものが何でも手に入る地位にいるから、反動で自棄になって毛色変わった娘に目を向けたのか。
「私が差し上げたドレスは、着て頂けませんか」
 リゼは歩みを止めて回想する。クローゼットに収まりきらない程贈られた、煌びやかなドレスや小物の類には閉口した。
「勿体無くて」
 魔女なので黒い服以外は、あまり着たくないのです。なんて、言うつもりは無い。別段、隠して居る訳では無いが、自ら宣伝する事でも無い。この国では、歩き売りのリゼ、だ。それにコルセットは窮屈で着ようとは思わない。リゼは着飾るお嬢様方の裏事情に内心舌を出す。
「《鈴と椛と黒猫印》またのお越しを!」
 客に釣銭を渡して、手を振る。受け取った御代を首から下げた大きな財布にしまえば、隣でクスクスと笑い声がした。
「…あの、何か?」
「いえ、貴女があまりに私と話している時より楽しげに笑うものだから…ご無礼をお許し下さい姫君」
 笑いの沸点、いやツボが分からない。未だ、可笑しそうに笑っているセフィルドをリゼは盗み見る。高貴な人は謎だ。
「別に無礼だとかは思いませんけど…でも、そうやって笑っている方が良い顔してますよ」
 微笑んでいる時より楽しそう。
 そう言うと、何故か更に笑われた。ひとしきり笑って、目元の涙を拭いながら、
「リゼ嬢、やっぱり私と今すぐ結婚しませんか?」
「遠慮します」
 意味がわからない。
「では、あのカフェでお茶でも」
 連れられたカフェは実に盛況だった。リゼはオープンカフェで、注文したフルーツと生クリームがのったワッフルを、ナイフで切り分けて食べる。久し振りの贅沢だ。
「公爵は大人ですね」
 セフィルドが黒珈琲を飲む姿に、店員が見とれていた。
「? 二十二ですから」
 そう言う話ではないのだけれど。リゼは、笑っておく。だってその方が。
 セフィルドも笑みを返した。
「リゼ嬢、その"公爵"と言うのそろそろ止めませんか」
 刹那、柔らかなだけだった碧の瞳がじっとリゼを見る。口元は変わらない。
「でも公爵は"公爵"でしょう?」
 問題ない。そうとも、全く以て異論反論の余地は無い。
「セフィルドとお呼び下さい」
 その時、
「号外! 号外だよ!! またまた怪盗《陰の覇王(ディデル)》が現れた! さぁさ、取った取った!!」
 塗装が赤い自転車に乗った、新聞屋のそばかすだらけの少年が号外をばらまく。
「詳しく知りたい人は《赤蜻蛉と夕暮れ新聞》をご贔屓に!」
 街中の人が歓声をあげて空を舞う号外を掴む。
「イース! 私も頂戴!」
 リゼは、良く見知った少年を手招きして呼び止める。
「お!リゼ何してんだ、こんな所で」
 斜め掛けの鞄から溢れるくらいに新聞を詰め込んだイースは、自転車を止めた。
 潰れた帽子の下で茶色の髪が日に輝く。
「ワッフル食べてるの、美味しいわよ」
「ずっりー、俺が汗水流して働いてるって時にお前はよ」
 二カッと笑う彼の言葉には悪意が無い。
「ちゃんと私も働いたわ。それより号外頂戴」
「いいよお前はこっち、ほら」
 イースがリゼに渡したのは詳しく書かれた新聞の方だった。
「ありがとう」
 イースはちらりとセフィルドの方を向いて呟く。
「珍しいな、お前が貴族と歩くなんて…じゃあ、俺まだ配らねぇといけねーから行くわ! またな、リゼ!」
「頑張れ少年!」
 イースに貰った新聞に目を落としていると上から声がした。
「…あの少年は?」
 彼女は記事を読みながら答える。
「イースですよ。《赤蜻蛉と夕暮れ新聞》の見習い…へぇ、すごいですね。又、舞踏会で《陰の覇王》が宝石盗んだんですって」
 夜の街を徘徊し、自分の身を飾るしか脳の無い貴族や、汚職をする政治家の財を奪う----怪盗《陰の覇王》。
 隼の速さで駆け、あらゆる守りを無効とし、一度目を付けた獲物は必ずその手中に収めると言う、決して捕まる事が無い裏社会の元締め。
 本来、犯罪者は世間から白い目で見られるのだが《陰の覇王》は弱い者からは盗まず、それどころか奪ったものを与えると言う義賊のような行いに、民衆は《陰の覇王》を法律の力が及ばぬ者を裁く、正義の代行者だと認識している者が多い。
 その証に、《陰の覇王》の記事が載った日の新聞の売り上げは跳ね上がるのだ。
 新聞屋にとっても、日々の仕事に疲れ刺激に飢えている労働者にもその存在は大きい。
 貧民街の子供は《陰の覇王》を英雄と称える。裏社会の人間からは、畏怖と崇拝の念を抱かれており、大陸中に張り巡らされた組織の脈と数えきれない手下がいるのだと噂されていた。
「"怪盗現る! 夜の街に射し込む正義の光"…いつも以上に派手ですね」
    ここまで読んだよ!報告
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -