公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

開幕の序章曲と夜歩きの役者達 14
「ソファーに掛け給え」
 幾ばかりか空気を和らげた子爵はリゼに問う。
「君は魔女かね?」
「はい」
「ギルバートが魔女の一族から養子を取ったのは知っていたが…孫がこんなに大きくなっているとは知らなんだ」
 子爵はしばらく沈黙すると、重々しく口を開いた。
「兎に角、《陰の覇王》は捕まえずとも構わん。《太陽の雫》だけは必ず守ってくれ」
 真摯な懇願にも似た子爵の言葉は、リゼとグレンの耳に残る。
「子爵、《太陽の雫》を見せて頂いても?」
「ああ…持って来よう」
 余程大切にしているのだろう。
 子爵は書斎机の鍵付きの引き出しを開け、黒光りする金庫の鍵らしい一鍵を取り出して部屋を出た。
 子爵が戻って来るのを待つ間に、グレンが《太陽の雫》について話し始める。
「本当に価値があるのは小像そのものでは無く、女神像の瞳に埋め込まれた琥珀らしい。そりゃあ、金剛石もそこらのものに比べれば随分良質で高価らしいが、琥珀は桁違いって言われてる。その琥珀に日光を当てるとまるで太陽みたいに輝く…太陽から零れ落ちた雫みたいに」
 それが、《太陽の雫》と呼ばれる所以。
「だから子爵はあんなに不安そうだったのね」
 リゼの言葉にグレンは深く頷いた。
「まして自家の家宝って代物だ。何代も前から伝わる女神像を自分の代で盗まれただなんて、外聞が悪すぎる」
 グレンは黒革の手帳をパタンと閉じた。
「詳しいのね」
「これ位、調査の初歩さ」
 戻って来た子爵の手には件のものがあった。
 《太陽の雫》は小さな女神像だった。
 裸体に腰布を巻いたデザインのそれは、拳を縦に四つばかり重ねた高さしかない。絶妙なバランスで埋め込まれた金剛石は黄金比とも呼べる位置におさまっている。
 試しに日光が瞳の琥珀に差し込む様にして机の上に置くと、それは息を呑む美しさだった。
「うわぁ…」
 まるで、女神の瞳が小さな太陽であるか如き輝き。感嘆に値する。
「これは…すごい」
 グレンも目を見張る。
 光源かと思ってしまう程に輝く。
 まさに、自然の力と人の造形が一つになった作品だった。《陰の覇王》が狙うのも解る気がした。
 そして、明日の夜の事について話された。
 屋敷の何処に、どれだけの警備隊に配置するのか。犯行予告時刻に女神像をどうやって管理するのかなどである。
「《陰の覇王》は必ず来ます。だが今夜は安心して良い。奴は絶対、予告通りに犯行に及びます」
 グレンがそう言ったものの、やはり子爵は眉間に皺を深く刻む。
 リゼは老人の瞳に不安、と言うよりも恐怖を見た気がした。
(……?)
 何故だろう。一瞬の違和感が妙に心の中でも靄々する。
「それでは俺と部下の何人かは念の為、泊まりで見張りにつきます」
 二時間ほどして、一通り話が済んだ。
「リゼはまた明日の夜、ここに来てくれ」
 グレンが馬車で伯爵邸まで送ろうかと尋ねて来たが、リゼはそれを断った。
「大した距離ではないし、散歩して帰るわ」
「そうか」
 まだ陽も明るい。
 のんびりするのも悪くは無いだろう。
 子爵に挨拶を済ませ、リゼは一人、邸を出た。空は不穏さを全く窺わせ無い、透明な青が彼女を見下ろしていた。

  □ □ □

 子爵邸を出て暫く歩くと、リゼは背後から声を掛けられた。
「リゼ!」
 彼女が振り返ると、ペタンコの帽子から覗く茶髪が目印のイースが此方に駆けて来る。
「奇遇じゃん! 何してんの?」
「散歩よ。家に帰るの」
 黒い日傘を軽く持ち上げ、リゼは笑う。
「イースは?」
「俺は親方にお使いを頼まれたんだ。今はその帰り」
 イースが親方と呼ぶのは《赤蜻蛉と夕暮れ新聞》の編集長の事である。
「新聞屋の命とも呼べるインクが底を尽きたんじゃ、明日の記事が水の泡さ」
 イースの手には、袋に入ったインク壺がいくつもあった。
「見習い、楽しい?」
「ああ、新聞刷るのが面白ぇよ。記事の書き方も勉強になるしな」
 肩を並べて二人は歩く。
「リゼは? 確か前に勤めてた牛乳配達、辞めたんだよな。今は何してんだ?」
「家にいるわ。ポプリと香水は作っているけど」
「たまには前みたいに売りに来いよ。ほらちょうど、この時計塔の大広場で歩き売りするリゼって結構有名だったんだぜ?」
 時計塔の大広場は中央の尖塔を中心にして、正位四方に真っ直ぐ大通りがのびる。
 沿うようにして多種多様な店が建ち並ぶ為に、都で一番活気がある場所だ。港も近い。
 時計塔は一階から三階相当の部分が吹き抜けになっており、その中央には大きな噴水があった。 噴水には等身大に彫られた精緻な女神像。
 それは、《太陽の雫》と同じデザインだった。いや、《太陽の雫》がこの女神像を模して創られたのだろう。
「あ! もしかして公爵が反対してんの?」
「そう言う訳じゃ…でも、働かなくて良いって」
----カチッ
 ゴシック様式の巨大な数字盤。長針の先には人面の、太陽の飾り。大広場を、国の時間を支配するそれが頂上を指す。
「へぇ…リゼってさ。公爵が、」
 二時を報せる短針の先には人面月の飾り。時計塔の、いくつもの釣り鐘が荘厳に、多層に響く。
 風鳴りがイースの声を隔てる。
----ゴウッ
「        ?」
 麦穂に似た茶色の双眸がリゼを射た。
「え?…ごめんイース、良く聞こえなかったわ」
「ん〜…ああ、良いよ。大したことじゃ無ぇし。じゃあ俺、道こっちだから」
 ひょいっと片手を挙げ、リゼとは反対側の道を行く彼は二カリと笑った。
「またな! リゼ」
 イースは雑踏の中へと消えて行く。
「うん。また、」
 彼女は、暫くのその場に立ち止まり、去り行く背中を見詰めていた。

  □ □ □

 帰宅してから翌日の夜までは、リゼにとり矢の様に過ぎた。
 子爵邸を訪れた彼女は、警戒態勢にある警備隊の邪魔にならない様にと、広い玄関の隅に立つ。もちろん肩にはヴィッツを乗せて居る。
 行き交う隊員の何人かは、純黒のドレスと同じ色の三角帽子を被るリゼをぎょっとした目で見て過ぎて行く。
「なっ! リゼ、君! なんて格好をしてるんだっ! 女の子が脚を見せるものじゃないだろ」
 丈の短さに悲鳴を上げたのはグレンだった。
「でもこれは仕事着だし」
「信じられん!」
 なんたる事だ、今時の若い娘は!…とグレンは顔を真っ赤にする。
「今夜で捕まってくれれば良いのだけど」
「そう簡単には行かんさ。相手はそこいらの鼠とは訳が違う」
「トータス隊長がそんなに弱気じゃ、部下の士気が下がるわよ?」
 グレンは警帽の位置を直しながら不敵に笑った。
「《陰の覇王》の肩を持つ気は無いが、リゼが思っているよりあいつは手強い。三下の賊なら、とっくの昔にお縄さ」
「…ふぅん、そう」
 つまりグレンは《陰の覇王》を一流と認めている訳だ。
「まあ、あいつが罪を犯せば犯すほど、刑事裁判でこちらが有利になるから、今すぐ捕まらなくたって構いやしないがな」
「なんだかそう言う言い方は嫌だわ」
「これは失礼、ご令嬢(レディー)」
 エリュク子爵の屋敷は今や、巡警の隊員で溢れていた。
 揃いの警備隊員の制服と右腕の腕章。碧揚羽と白蓮の紋章の脇に入る、黒と赤のラインは巡回警備隊が軍属である事を示す。
「作戦はあるのか?」
「取り敢えず私はディデルが現れたら彼から目を離さない。あとはそちらにお任せするわ」
「それだけ?」
「それだけ」
 大丈夫なのか…とグレンは後ろ頭を掻く。
「深追いするなよ」
 心配は有り難いが今はそんな事を言ってはいられない。
「グレン、私はね、貴方と契約を交わしているの」
 固い声の調子と、こちらを見詰めるアイスブルーの瞳とで、グレンはリゼの決意を傷付けたらしい事を知った。
「…---そうだよな」
 時刻は既に真夜中近い。
 時計の針が数字盤の四分の一、十二に近い側九十度の位置を示している。
「そろそろだな」
「ええ」
 《太陽の雫》は子爵邸の二階にある広間の中央で、厳重に保管されている。
「行きましょう」
 二階へと続く踊場付きの階段をのぼりながら、リゼは気を引き締めていく。
 契約が成立した時から彼女は夜毎に誓って居た。
(…一夜だって無駄には出来ない)
 うかうかしてるとこちらの身が危ない。
 《契約》は危険を伴う。
「----契約の支配域は犯行の夜だけ」
 それは《契約》の、自由への隧道である。魔女の人権を保守する為に、一日全ての時間に契約は適応されない。
 ポツリと呟いたリゼの瞳は完全に、一人の魔女としてのものだった。
『ご主人様(ロード)』
「大丈夫よ、ヴィッツ…大丈夫」
 何処か自分自身に言い聞かせる声色に、ヴィッツの虹彩の奥が曇る。

  □ □ □

「お疲れ様であります、トータス隊長」
「ああ、ご苦労」
 入り口で出入りする者をチェックする隊員からの敬礼と、不審者はいないと言う報告を受けたグレンは、リゼに中へと入る様に目で告げる。
 広間は昼と変わらぬ明るさだった。シャンデリアが僅かな影も作らせないと言う様に、その場を照らす。
 ガラスケースに入り、隊員達の背に守られた《太陽の雫》はキラキラと輝いていた。まるで姫君の様である。
 最早、口をきく者はいなかった。
 彼等には予告時間までの間が、"永遠"を凝縮した様に感ぜられた。
 普段は気にならない置き時計の、長針の動きが予告時刻をカウントする。
 狂い無く、左右に揺れる振り子が不気味にさえ思える。
 リゼはふと、冷たい夜風が流れているのに気付いた。何処か開いているのだろうか。窓の開閉をする為に高い位置にある細い、手摺りを備えた廊下。
 その窓の一つが半開きになっていた。
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