公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

開幕の序章曲と夜歩きの役者達 13
 磨き上げられた大理石の床に、男は跪(ひざまづ)いて居た。
「ふぅん?…そっかぁ」
 男の頭上からは軽い、けれども決して笑ってはいない声が掛かる。
「…申し訳ありません」
 男は喉の奥から絞り出す様に言った。まるで錆びた発条(ぜんまい)仕掛けの人形の喉である。
「"申し訳ありません"?…え? 君、僕に"悪かった"って思ってるの?」
「それは勿「だったらァ、どうして直ぐに来なかったのかなぁ? 君さぁ---…一度は隠そうとしたよね?」
「!…そっ、それは」
「"それは"? 何だい? 言ってみなよ。聴いてあげるからさ」
 恐怖で歯の根が合わない。
「ねぇ…どうして?----僕が気付かないとでも思ったのかなァ、僕はそんな事に気付きやしないって思ったのかなァ」
 男は身体中から脂汗が吹き出るのを感じた。
 内心、そう、初めは思っていた。
 "アレ"はただのガラクタに過ぎないのだと。
「だったら不敬もいい所だね」
「わっ、私は!」
 男は耐えきれず顔を上げる。
 何か、声の主(ぬし)の怒りを鎮める様な弁解をしなければ、と。
 途端、暗がりから氷の様に冷たい声が男に掛かる。
「無礼者。許し無く頭(こうべ)を上げるとは何事か」
「っ!」
 男はすぐさま頭を下げる。
「おやおや、怖いね。そんなに冷たく諫めたら彼が可哀想だろう?」
 声の主は傍らの腹心に笑いかける。
 コツ、コツと足音が響く。
(…嗚呼、何て事だ)
 男はいよいよ怯えた。声の主が立ち上がったのだ。
 玉座から。
「ねぇ----ソフォルテ侯爵」
 ビクリと男の肩が揺れた。
 顔を伏せた視線の先、大理石の床に月光を受けて影が落ちる。
「君は一体、どうやって責任を取る心算(つもり)かな?」
 ソフォルテは、返事が出来ない。
「君の役目は、税金を食い潰してのうのうと暮らす事じゃ無いんだよ?----"役目"を守れなかった君に、"侯爵"たる資格はあるのかな?」
「陛下! わ、私は「お前は私の怒りを買ったのだ。しばらくは顔を見せるな」…は、い」
 ソフォルテには、それだけ言うのがやっとだった。

  □ □ □

 事態が動きを見せたのは数日の後の事だった。主に悪い方へ、である。
「リゼ! 大変だ!《陰の覇王》から予告状が届いた」
 グレンが何の特徴も無い一通の封筒を手に、伯爵邸に駆け込んで来た時、リゼは庭の薔薇を剪定していた。
「予告状だ! 明日の真夜中、エリュク子爵の屋敷にある《太陽の雫》を奪いに来る!」
「痛っ! 棘が刺さった…軟膏どこにしまったかしら」
「舐めとけば治るだろ」
「……聞いてるのか?」
 ヴィッツの言葉に、血球が浮かぶ指を舐めながらリゼは小さく頷いた。
「もちろん」
「そうは思え「はいグレン、蒼薔薇をどうぞ。我が家原産の摘みたてよ」
「ん、ああ…ありがとう。珍しいな…じゃなくて! リゼ!」
 東屋に腰掛けたリゼは、用意してあったアイスティーをカップに注ぐ。
「林檎ベースの茶葉にカモミールを合わせてみたの。自信作」
 季節はまさに真夏日。
 ついこの間までは初夏であったのに、今は茹だるような暑さが続く。
 そんな中で黒いドレスを着るリゼに、グレンは関心を通り越して呆れてしまう。
「暑くないのか?」
「慣れれば平気よ。それにこれ、夏用の布地が薄いやつだもの」
 東屋の周りには背の高い木々が植えられていて、木陰を作り、驚くほど涼しかった。
「それで、《太陽の雫》って何かしら」
 唐突に話を振られたグレンは"ちゃんと聞いてたのか"と顔に出さないままに思った。
「ああ…エリュク子爵の屋敷にある小像だ。金剛石(ダイヤモンド)と琥珀(アンバー)で出来た値打ち物だそうだ」
「ディデルが小像なんて盗んでどうするの」
「賊の考える事なんざ俺には検討もつかない。売るなり鑑賞するなりだろ」
「ああ、そういうの」
 開かれた便箋には下線が無い無地のものだった。筆跡から足がつかない様にする為か、タイプライターで書かれた予告状は目上に対する手紙であると思わせる、至極丁寧な言葉で綴られていた。
「"拝啓、若葉茂る快晴続きの今日この頃、巡回警備隊の皆々様におかれましては、益々ご健勝の事と存じます。
 さて、平素より親好厚くお付き合いさせて頂いております私(わたくし)《陰の覇王》でありますが、この度、エリュク子爵邸にあると聞く《太陽の雫》を頂戴致したく思います。
 時刻は真夜中の帳(とばり)が落ちる刻、日付は明日としておりますので、ご都合の許す限り、皆々様お誘い合わせの上、ご足労頂ければ幸いです。
 敬具 《陰の覇王》"」
 読み終えたリゼは思わず笑う。
「笑い事じゃないぞ。つまりこれは"相変わらず俺を捕まえる事が出来ない無能なあんた等の鼻先から又お宝を盗んでやるからせいぜい準備しとけ"って事だ。いつもながら、腹の立つ予告状だよ」
「ごめんなさい。いつもこんな予告状を貰ってるの? 大変ね」
「まあな。それで、リゼ。巡警は今日の昼からエリュク子爵の邸(やしき)に行って明日に備える。君も来るか?」
「そうね…子爵に挨拶もしておいた方が良いだろうし。行くわ」
「なら、また迎えに来る。俺は一旦、署に帰って二つ三つ仕事を片付けてくるよ」
「分かったわ」
 グレンが帰ってからリゼは東屋の茶器を厨房へ運ぶ。
 ロールキャベツで簡単な昼食を済ませると、彼女は自室に籠もって支度を始めた。
  □ □ □

「エリュク子爵はもう結構な老境だ。この国の建国から現国王陛下の御代まで続く名門と歴史を体現した様な家柄で、気難しいので有名だな」
 子爵邸に向かう馬車の中で、リゼはグレンの話に耳を傾けていた。
「エリュク子爵は、今まで被害に遭った人達みたいに何か悪い噂はあるの?」
 リゼの膝にはヴィッツが鎮座している。グレンは声を潜めて答える。
「それがな、今回は違うんだ。子爵は確かに気難しいが、巡警が目を付ける様な事は全く無い。シロさ」
「…何もしてない老人から《陰の覇王》は盗みを働くの?」
 今まで正義の代行者、義賊と呼ばれ続けた彼が。
「俺も何かこう、納得いかないが…まぁアレかもな。《陰の覇王》も結局、盗人に過ぎないって事か」
「……」
 市民の英雄と騒がれていたのに。数時間後には、その名が消えて仕舞うのか。
「今度で《陰の覇王》は国民を敵に回すだろうよ」
 勝手な期待と憧れは、それが途切れた時の反動が激しい。細い樹木がしなった分だけ勢い良く、もとに戻ろうとする様に。
「本当に勝手だけれど、少し寂しいわ」
 この時だけは、グレンも同じ気持ちだったのだろうか。
 苦笑すると、グレンは自分の両手を見詰めながら言った。
「俺もな、頭の隅で《陰の覇王》は義賊だって思ってる節があるんだ。巡警の人間だけど、あいつは捕まりっこ無い----捕まって欲しくねぇなと思う事がある。でもまぁ、立場的に無理だから、捕縛出来る様に務めるけどさ」
「世の中思うようには行かないわね」
「だな」
 到着を告げる御者の声に二人は顔を上げた。
「じゃあ行こうか、リゼ」
 ヴィッツを肩に乗せて、リゼは頷いた。 魔女は戦地に降り立つ。


「旦那様は書斎でお待ちで御座います」
 気難しい主人には、気難しい家長がつき物なのだろうか。
 リゼとグレンを邸の奥へと案内する家長は、無表情で脚を進める。
「こちらで御座います----旦那様、お客様が越しになられました」
 重厚な楡の扉と真鍮のドアノブ。
 リゼはふと、そのドアノブに気をとめる。何か、花…だろうか。
 一見幾何学的にも見える簡略化された紋が彫られたドアノブを、白い布手袋をはめた家長が回す。
(エリュク子爵の家紋は確か、鈴蘭だった筈…)
 貴族は屋敷の細部に家紋や、歴史を語るモチーフなどを施す事を好む。特にドアノブには家紋が相場である。
 だが、どう見てもその紋は鈴蘭では無かった。あれは何だ。
「失礼致します」
 部屋の中は古書と、それによる、少しばかりの黴の臭いがした。
「お邪魔致します。エリュク子爵」
「うむ」
 きっと、しかめっ面とはこの様な表情を言うのだろう。
 口髭を蓄えた、体つきのしっかりした老人は、庭を見渡せる露台(テラス)の前に立っていた。
「ようこそ、トータス隊長…脇の娘は誰だね? 呼んだ覚えは無いが」
 微塵の歓迎の意も感じない低い声と無機質な瞳にドキリとしながら、リゼは精一杯丁寧にお辞儀をした。
「リゼ・クロイツェルと申します。子爵」
「…ギルバートの倅(せがれ)の娘か」
「祖父をご存知ですか」
 リゼは驚いた。ギルバート・アルド・クロイツェルは彼女の祖父だ。
「知るも何も、あの男は儂の悪友だ」
 全く以つて予想外な返答である。
「え…あ、初めまして」
「あの馬鹿男、儂に手紙の一つも残さずに世界中を飛び回っておるだろう」
「……まぁ、そんな事もしてるかもしれません」
 図星だ。身内にさえ滅多に手紙を寄越さないギルバートは何故か家督を父に譲った後、冒険家になった。
『おじいちゃん、ちょっとそこまで散歩に行って来るよ』
 余生を満喫しているだろう祖父は、その言葉と共に飛行船で朝日に消えた。
「まあ元気ならば良いがな」
「ありがとうございます」
 其処に気難し屋の子爵は居なかった。
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