公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

その赤、旋風につき 12
「リゼ嬢、こちらの元気なお嬢さんはどちら様で?」
「リゼに訊くまでも無いわ! あたしはラベンナ、リゼのお友達よ」
「ご友人ですか。初めまして、セフィルド・ウォル「リゼ! あんたまさかこんなへなへなしい男が婚約者とか言うんじゃ無いでしょうね?!」
「"へなへなしい"って何だい?」
 セフィルドはロパスに問い掛ける。
「ラベンナ…ちょっと失礼よ」
「有り得ない! 婚約するならもっとマシなのが居たでしょ!「おや非道い」うるさい! こんな貴族貴族した貴族の毒牙にあたしの可愛いリゼがかかるなんて!」
「貴族だからね」
「何処の馬の骨とも知れない男にあたしのリゼがぁ!!」
「セフィルド…お前、ボロクソ言われてんな」
「困ったね」
 ロパスの言葉にセフィルドは困っている様には全く見えない笑みを浮かべた。
「ラベンナさんは「よして頂戴。ラベンナ"さん"だなんて嫌だわ。ラベンナで良いわよ」
 ラベンナは意思の強い瞳をロパスに寄越す。
「ところで、ロパス。あんた蒼い薔薇に興味無いかしら?」
「蒼い薔薇? 見たこと無いな」
「ならリゼに庭を案内してもらいなさい。ここには綺麗で珍しい薔薇があるから」
「なら私も…いっ?!「ローズヴェル公爵閣下サマはあたしとお喋りしましょう?」
 庭に出ようとするリゼとロパスに続こうとしたセフィルドの爪先を、ラベンナは二人からは見えない位置に立ってブーツの踵で思いきり踏みつけた。笑顔。
「ね?」
「…そうだね」
 一瞬痛みに顔を歪めたセフィルドは、彼の意地なのか、すぐにいつもと変わらない様子で微笑む。
 早速、庭を散策しだしたリゼとロパスを見てから、セフィルドは恨めしげにラベンナに問う。
「わざわざお声を掛けて頂いたのは嬉しいがかなり痛いし、リゼ嬢と話せないんだが」
「小さな事を気にする男はモテないわよ?」
 ラベンナとセフィルドは、長テーブルを挟んで向かい合わせにソファーに腰掛けた。
「ラベンナ、脚を組むのは止めた方が良い」
「あら、随分と古風なお考えね?」
 このトゥリーテス国ではドレスから脚が見えるのは卑猥とされる。「女性がドレスから脚を覗かせるのは褒められるものでは無いだろう? 特にそのドレス、と言うには些か丈が短すぎるスカートは…実に「このドレスの可愛さが解らないんじゃ女の子の流行りにはついて行けないわよローズヴェル公爵閣下?」
「だが「ならセフィルド。あんた想像してみなさいよ…愛しのリゼがこんな際どいドレスを着てたらどうよ?」それは良い」
 即答。
「でしょ?」
ニヤリとラベンナは笑う。
「むしろ他の男には見せたくない」
「素直でよろしい」
 ラベンナはソーサーからカップを上げると、音を立てて飲んだ。
「行儀が悪いよ、お嬢さん」
「東洋ではこうやってお茶を飲む風習があるの。"ワビサビ"ってやつよ」
「それはまた、博識だね」
 萌ゆる緑の瞳が、一瞬だけ思案に沈む。セフィルドを見返す彼女はまるで、獲物を狙う猫の様に目を細めた。
「----あんたの」
 一音さえも聞き逃す事が無い様に、ラベンナは意識を耳に集中させる。
「セフィルドの願いは、何?」
「私の"願い"?」
 クス、と口許だけで小さく笑った彼はラベンナの瞳から逃れる様なタイミングで、紅茶に手を伸ばす。
 その柔らかな香りを内包する水面に向けられた、伏せられた双眸。
「それは勿論、リゼ嬢を」
「冗談。本気で言ってんなら引くわよ」
「冷たいな」
「ハッ! 心にも無い事を。あんた、あたしに優しくされたってちっとも気にしないでしょうに」
 意外だと言う様にセフィルドの目線が上がる。
「…---お嬢さんはなかなかに鋭い」
 出会う若葉の緑と海の碧。針の様に、一点の鋭さを秘めた二人の瞳。
「ねぇ、腹の探り合いは止めにしてそろそろ本音で話しましょうよ」
「おや、私がいつそんな事をしたかな?」
「あんたのそういう所、あたし嫌い」
「君の、はっきりと物言う所は好きだよ」

「最悪」
 大袈裟に顔を歪めて、うえっとラベンナは舌を出した。
「あんたの並外れた努力と、ひと摘みの運があれば、リゼがあんたを意識する確率はゼロじゃ無いだろうけど、でもね公爵。あの子は鉄壁よ? 社交界に居る令嬢とは住む世界が違うもの」
「どういう意味だい?」
「言葉通りよ。難攻不落、鉄の要塞。純粋だけど夢見る乙女じゃ無いってコト。リゼにはリゼの目標がある。並大抵の事じゃ揺るがない。あんたとあの子は永遠に出会う事が無い深海魚と夜空の星みたいなモンよ---違うわね。あんたとあたし達は、って言った方が正しいかしら」
「…何が言いたいんだい」
 ラベンナは意味深な、妖しい笑みを見せた。唇が弓形に弧を描く。
「まあ結論から言うと、あんたが口にする程度の願いはあんたにとっちゃ本当の、心底望む"願い"じゃ無いってこと。それは目標の一つに過ぎない」
「…心外だな」
 リゼとの結婚だって目標に過ぎない。そう、ラベンナは言う。
「---ねぇ、あんたの願いは、望みは一体何処にあるの?」
 煌めくエメラルドグリーンの瞳、その奥に笑みは無い。
「君の願いは? どうなんだい」
「そんな切り返しで誤魔化したつもり?…まぁ良いわ。あたしは、あたしとあたしが大切にしてる人達が倖せならそれで良いわよ」
「そう」
 ラベンナがカップに入れた白い角砂糖がジワリと溶ける。
「何だかつまんないわね。もう終わりにしましょ。今頃リゼとロパスは楽しくお喋りしてるだろうしねぇ」
「……君は私の心を抉る皮肉が得意だね」
「光栄だわ、公爵閣下。ついでに塩でも塗り込んでおく?」
「謹んでお断りするよ」
 そこでセフィルドは立ち上がった。客間から直接庭に出れる様になっている硝子戸を外へ押すとそのままリゼ達の方へと歩いて行く。
 残されたラベンナはソファーに座ったまま、光が溢れる庭で話す三人を見た。
 蒼い薔薇を鋏で切り摘んだリゼが振り返ってセフィルドの胸ポケットに薔薇を差す。穏やかに、そして幸福そうに微笑んだセフィルドの表情に偽りは無い。
 セフィルドが何か言って、ロパスが茶々を入れる。リゼが顔を赤らめた。
『----どうだ? 公爵は』
「さあ?」
ラベンナに声を掛けたのはヴィッツだった。黒猫の姿でソファーの背に飛び乗った彼はそのまま身体を丸めた。
『変なヤツだろ』
「否定はしないわね」
 二人の視線は外へ。
「そう言えば、ダンちゃんが会いたがってたわよ」
 ラベンナは言う。けれど相変わらず、無表情な視線は庭に居る三人へ注がれていた。
 "ダンちゃん"と言うのはラベンナの使い魔である。
『あの変態、まだ生きてるのか』
 欠伸を噛み殺しながら、ヴィッツの瞳もまた、庭に向く。
「そんな事言ってると、ダンちゃん泣いちゃうわよ」
『俺の知った事か…それで? 公爵の願いは解ったのか?』
「んー」
 あの時、ラベンナは小さな魔術を使った。
『---ねぇ、あんたの願いは、望みは一体何処にあるの?』
 魔術と名を冠すには小さすぎる、催眠に近い術をあの一瞬、セフィルドが気づかない程度に発した。
 自白を誘発させる術を。だから、予定ではあの場で彼の"願い"が聞き出せる筈だったのだ。
 なのに答える所か、セフィルドは質問に質問で返した。
「解んなかったわ」
『何やってんだ』
「仕方ないじゃない」
 セフィルドの周りに、不可視の壁を感じた…いや、壁と言うより何か、膜の様なものだ。それが邪魔して効かなかった。
「…まさか、ね」
 ラベンナは親指の甘皮を噛んだ。
 彼は魔術に耐性があるのか? いや、そんな筈は無い。この国は、世界的に見れば魔術が民衆に理解されていない部類に入る。
 お伽話の夢物語だ、と。
魔術の存在が実在すると明確に認識しているのは、王族やその周りの少数だ。
 そんな国に住むセフィルドが、魔術に対して耐性がある訳が無い。
 魔術が溢れたこの世界で、魔術に遭遇する機会さえ無い。
きっと、たまたま効かなかっただけだ。生まれつき"かかりにくい"人間は意外に多い。まして小さな、唱句も無い術。小さ過ぎて逆に"はずれ"るには容易い。
「今度はどうやって聞き出そうかしら」
『しっかりやれよ』
 解っている。
 リゼはセフィルドに対して魔術が使えない。アンセルの所為だ。それに、魔術無しに聞き出すにしても難しいだろう。
 あの公爵はなかなかの食わせ者だ。
 "教えたくない"と思うからこそ彼は質問に質問で返し、深く探られる事を避ける為に席を立った。
 逃げたのだ。
「やってくれるじゃないの」
 立ち居振る舞いが優雅でも、心の深い場所では他者からの干渉を拒絶している---それがラベンナの、セフィルドに対する印象だった。
「…リゼは別、よね」
 それは、ラベンナが信じたい事だった。セフィルドの、リゼに向ける言葉や笑顔に嘘は無いのだ、と。
 そしてまた、彼女が困っているなら力になりたいとも思う。
 更なる思案に入ろうとしたラベンナに、晴れやかな声が掛かる。
「ラベンナー! 貴女も来てみなさいよ」
「今行くー!」
 手を振るリゼにすぐさま返事をしてから、ラベンナはヴィッツに訊ねた。
「あんたは? 主の為に何をするの」
「企業秘密」
「何それ。まさか変な仕事に首突っ込んでんじゃないでしょうね?」
「さぁな」
「リゼが危なくなる様な事だけはやめてよね」
 聞いているのか、いないのか。
 ヴィッツは音も無くソファーの背から飛び降りると、また何処かへ消える。
「…全く。ホント、リゼ以外には懐かない猫なんだから」

  □ □ □

 伯爵邸を後にして、ロパスをエリクソンの屋敷に送ったセフィルドは、自身も屋敷を目指して馬車に揺られていた。
 カーテン付きの硝子窓にぼんやりと顔が映る。流れる景色には意識を向ける事無く、彼はずっと固い表情で何か考えていた。
 胸ポケットに挿された薔薇の花弁はしっとりと厚く、濃藍の天鵞絨(ビロード)の様だ。
 不可避だとは解っているが、この一輪は枯れる事が無ければ良い。
(---可笑しなものだな)
 人と言うのは想う相手から花を貰っただけでこうも嬉しいものなのか。
 ましてや、この自分が。胸の奥が熱を持つ。
 けれど、硝子窓に映る瞳は対照的に冷めて、醒めていた。
 微かな声で囁く。
「"冗談"か…----本当に、困ったな」

 その言葉の真意を知る者は居ない。
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