公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

隊長と魔女と怪盗 8
「あの、これは?」
 赤黒い蝋封が施された古びた手紙封筒。表に国紋の孔雀羽と鬼百合が捺(お)されている事から、この封筒が重要書類だと嫌でも解る。
 裏を見れば王都巡回警備隊の碧揚羽と白蓮の紋章。その総隊長である上司に呼び出されて総隊長室を訪れたグレンは、無言で渡された怪しげな封筒を持ったまま、困惑の声を上げた。
 執務机の向こうに立ち、グレンに背を向けて窓の外を見るヤルト総隊長は、やはり振り向かずに口を開いた。
「ある一人の男の話をしよう…男は法と正義を守らねばならぬ立場に居た。ある時、男の手に負えない殺人犯罪が起きた…男と男の部下達は何日も何ヶ月も殺人鬼を追ったが捕まえる事が出来なかった。その間も一人、又一人と犠牲者が土の下へと眠る最悪の状況が続いた」
 ヤルトが、一体何の事件について話して居るのか、グレンには直ぐ察しがついた。
 およそ一世紀前に起きた、無差別連続殺人事件の事だ。
 王都巡回警備隊設立以来、最悪の事件だと言われている。
「そこで男は、事件解決をある者に委託した」
 待て。グレンは疑問符を浮かべる。
 当時の巡回警備隊総隊長だった男は、ついに部下達と尽力して殺人鬼を捕まえた筈である。何故、上司は俺を見ない。
 グレンはそう教わった。他でも無い、目の前に立つヤルト総隊長に、だ。
 グレンは茶色の前髪から覗く、曇り空の眼で違う、と訴える。けれどもそれは、ヤルトの眼差しに黙殺された。
「前任の総隊長だった上司に渡されていた封筒を、彼は引き出しの底から取り出した。本当ならば、彼はその封筒を使う事無く退職する心算(つもり)だった」
 一体、何の話をしているのか。
「その封筒には、事件を解決出来るだろう技量を持った者への連絡手段が入っていた」
「…それで、そいつが殺人鬼を捕まえたんですか」
 上司の無言は肯定だった。
「さて、ここで問題だ。彼は事件解決の為に、相手に何を支払ったのか。何を代価に要求されたのか」
「…報酬、ですか」
 世の中の理である。
「法外な値段の金だ…だが、人命よりは安い。そして事件は解決、めでたしめでたしと言う訳だ」
「どうして真実を教え無いのですか。まるで騙すみたいに」
 ヤルトは部下へと振り返る。目の前の部下は若い。
「本人がそれを望んだのだよ。自分の名を公にしてくれるなと。私も前の総隊長も、その前も…助力してくれた者の名は知らない」
 ヤルトの視線が、グレンが手にする封筒に止まる。
「もう解るだろう? その封筒に入っているのは"魔女"への通行手形…王都巡回警備隊(うち)に代々伝わるお助け最終手段だ。そして君は《陰の覇王》捕縛の責任者。と言う訳で有能なグレン一等隊隊長君、君が"魔女"に助力を請い給(たま)え」
 今、総隊長の言葉に理解不能な単語が出て来はしなかったか。グレンは暫し絶句する。
「…"魔女"、ですか」
「そうとも」
 至って真面目な表情(かお)で、ヤルトは肯(うなず)いた。魔女、だよ。
「あの、それは総隊長が「出来るな?」…善処します」
 温厚で通っている筈のヤルトの目は、ちっとも笑ってはいなかった。王都巡回警備隊(ここ)で"無理です"は通用しない。
 今まで悉(ことごと)く自分達は《陰の覇王》の尻尾を掴み損ねている。
 その捕縛を、"魔女"に依頼せよと上司は言う。しかも、どんな"代価"を求められるか予測がつかないので、グレンに外れ籤が回って来た。
「では、行って来給え」
「…はい」
 戦地へ一人、送り出される兵士の気分を味わったグレンだった。

  □ □ □

 グレンは、退出したその足で早退し、帰宅する。
 取り敢えず、頭の中を整理しようと彼はソファーに深く腰掛ける。
(魔女だなんて居る訳無いだろ)
 なんて非現実的な存在か。グレンはそう思いながら、ペーパーナイフで自分の今後確実に左右するだろう封筒の封を切る。
 中から出て来たのは便箋が一枚。
 ごく薄く黄ばんでいる所を見ると、長い間開けられていない事が解る。
 文面はこうだ。光の当たり具合で七色に変化するインクで、"人生の一大事、本当にお困りの際にのみ、お使い下さい。魔女との契約、取り扱い注意"と綴られていた。
 "取り扱い注意"の辺りが胡散臭い。もの凄く胡散臭い。既に泣きたい心境である。 そしてもう一枚。
 表面が綺麗に研磨された銀色の、丁度トランプを二枚並べた程の大きさしかない薄いプレート。
 何も彫られてはい無い。
 グレンは、何気なくそのプレートを裏返して我が眼を疑った。
 裏も表と同じ様に磨かれて滑らかだ。縁には四季の花と蔦植物が浅く彫刻され美しい。
 けれども、その上を文字と言う文字が浮かんでは消え、魚の様に"泳いで"いた。
『その封筒に入っているのは魔女への通行手形だ』
 先刻の、上司の言葉が彼の頭をよぎる。内心まさかそんな物がある筈も無いと思っていたが、これはいかにも"それっぽい"ではないか。
「ご入り用ですか、お客様」
「うわぁっ?!!」
 突然の声に極度の緊張が味方して、グレンは飛び上がった。振り返る。
 グレンしか居ない筈の居間に、少女の声が落ちた。
 烏の羽根の漆黒のドレスを纏った金髪の少女が、燕尾服の従者らしき男と一緒に佇む。
 その瞳は水色のインクを流し込んだ様に鮮やかだ。
「およそ一世紀ぶりですよ、この封が開けられたのは」
 思わず放り投げてしまった銀色のプレートを、彼女はそっと床から拾い上げる。
「《代価の天秤(エルヴェンゲイツ)》---シェナンフォード一族の魔女との契約書。今回は貴方が契約主ですか」
「君が…"魔女"?」
 銀色の"契約書"があたかも肯定を示す様ににキラリと光った。
「《黒硝子の巨塔》が主人、リゼフィーユ・ラメレッド・シェナンフォードです。こっちの彼はヴァデラヴィッツ」
「ちっス」
「…グレンだ。グレン・トータス」
 表通りを走る馬車の音が耳に届く。背の高い振り子時計がボーン、ボーンと低く時間を知らせた。
「どうやって中に?」
 不法侵入など、今のグレンには取るに足らない瑣事であった。純粋な疑問。
「貴方が《天秤》に触れたから。貴方は自力で解決する方法を持ち合わせて居らず、強く打開策を求めて居た…契約を必要としていた。"これ"は常に緊急を想定しています。魔女の力が必要な時に居場所が遠かったり、わからないだなんて、話にならないでしょう?」
「そりゃあまあ、確かにそうだな」
 鳴り止め、自分の心臓。グレンは音無き声で繰り返す。
「それで、どの様なご用件ですか? 最後に使われた記録では、確か殺人鬼の捕縛でしたけれど」
「…万事解決するだけの力が本当にあるのか?」
「さあ、それは私が知る所ではありませんから。どうとも」
 誰にも解りません。少女は囁く。
「ですが、解決出来る様に必ず最善を尽くすのは確かです」
「? …代価を払えば何だって叶えてくれるんだろ?」
「違います。むしろ逆で---もともと《天秤》は信頼の置ける者にしか渡さない身分証明書と言うか、親交の証みたいなもので…だから貴方が《天秤》で私達を呼び出しなのなら、私達は必ず貴方の…契約主の要求を呑まなければならない。もちろん、暗殺とか一生隷属しろとか、そう言うのは無理ですけど」
 人倫に反しますから。
「……」
 ヤルトから聞いた話とは微妙に違う。長い年月の間に、伝えられる言葉が変化したのだろうか。グレンは自分が放り込まれた状況を明確にして行く。
「でも、代価は取るんだろ?」
「それは勿論。こちらも商売ですから」
 彼は唸った。代価に何を取られるか解ったもんじゃ無い、と。一等隊隊長と雖も、金が有り余っている訳では無い。
「出来れば良心的な代価が…」
「ご用件を伺ってからでないと」
「---《陰の覇王》の捕縛」
 リゼの感情に合わせ、彼女の表情は変化する。驚き。納得。疑問。
「《陰の覇王》の捕縛…? どうして」
「どうしてって言われてもな…俺は王都巡回警備隊だしな。俺だって《陰の覇王》が国民の英雄だって事は十分承知してる。でもアイツは法を犯してる」
「道理ね」
「汚職にまみれた政治家から宝石を盗んだとしても、それは間違い無く窃盗罪だ」
「うんうん---それで、契約を」
 "契約"の言葉にグレンは何が起こるのかと身構える。彼は心臓を抉られたりしたらどうしようかと本気で考えて居た。
 リゼが《天秤》を宙へ投げる。
 くるくると回転して重力に従って地に落ちるかに思えたそれは途中、彼女の目の前でピタリと止まり、今度は反時計回りに急速に回転を始めた。
「我が名はリゼフィーユ・ラメレッド・シェナンフォード。《星屑の安息地》に根付く魔血統、《目録の既読者》の末裔(すえ)。今ここに交わされし契約は、我が名と我が眷属、ヴァデラヴィッツ・アシェリンの名に於いて成される。束の間の支配は陽の下(もと)、グレン・トータスによって施されるも、闇の内は侵されぬ聖域と成れ…歯車は軋む事無く潤滑に、目的の地を目指し到達せよ」
 信じ難い事に、《天秤》はスッとグレンの手に収まった。
「これで?」
 契約が成立したのか。だったこれだけで。あれほどに、歴代の総隊長が重々しく受け止めて居た"契約"が。
 彼の言葉に、リゼが苦笑した理由を、グレンは理解出来なかった。
「私達をどうぞよろしく、グレン・トータスさん」
 言って、彼女は貴婦人の様にそれはそれは優雅に礼をしてみせた。
 それが、グレンと魔女の出会いだった。

  □ □ □

「ではこれから第一回対《陰の覇王》捕縛作戦会議を始めます」
 一晩明け、朝一でヤルトのもとへ契約についての報告を行ったグレンは、ヴィッツの---玄関を出て、直ぐの所で燕尾服を着ていながら、紙巻き煙草片手にガンを飛ばすのは心底、止めて欲しかった---案内でクロイツェル伯爵邸に辿り着いて居た。
 まさか、自国の貴族の中に魔女が居るとは思わなかったグレンは、あんぐりと口を開けてしばらく石化する事となる。
 今、彼が居るのは客間だ。
 紅茶とスコーンを出してくれたトルキンが、端々に気を配ってくれているのが解った。
『お嬢様は確かに魔女でありますが、普通の娘となんら変わりは御座いませんよ』
 何処か、未だに魔女と言う存在に対して半信半疑だった気持ちが、顔に出ていたのだろう。グレンは、トルキンの穏やかな声に一瞬ヒヤリとした。
 けれど、長年伯爵家に仕えていると言う執事の言葉はグレンにとって心強いものだった。
「議長はグレンさん、副議長は私で、書記はヴィッツ」
"グレンさん"ってのは止めないか? 呼ばれなれてないからむずがゆい」
 警備隊と言う、男ばかりの職場で"さん"だなんて誰も呼ばない。上司からは"君"、部下からは"隊長"だ。
「ならグレンも、私の事をリゼって呼んで頂戴ね」
「…わかった」
 貴族だからと言って、妙に肩に力を入れる必要は無いのかも知れない。
「ところで、その黒板も魔術かい?」
 客間には、大きな黒板が宙に浮遊していた。白墨(チョーク)で"目指せ! 王様の確保"と綴られている。
「そうよ。では一つ目、『王様について考察』…今までに警備隊で解っている事を、グレン議長」
 リゼは、グレンに契約の代価として要求した、宮廷御用達の老舗高級菓子店のチョコレートケーキを味わいながら、紅茶を啜る。
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