公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

極彩色の一夜と各々の思惑 7
「と、言う訳で結婚はしばらく先になりそうだ」
 ロパスはあちゃー、と言った様子で額に手の甲を当て、天井を仰ぐ。
「なんつー無茶苦茶な婚約を…お前」
 たまに、突拍子も無い事をやらかす男だと思っていたがここまで無茶な奴とは。
「結婚出来なかったら完全に払い損だぞ?」
 人生最大の浪費だ。
「構わないよ。努力はするしね」
 だが逆に、セフィルドにここまでさせる"伯爵令嬢"にロパスは俄然興味が湧き始めて居た。
「リゼ嬢は魅力的な女性(ひと)だよ」
 親友を変えるだけの、"何か"が彼女にはあったに違いない。明日辺り、伯爵家を訪ねてみようか。

  □ □ □

 リゼはブルーベリーパイを焼いていた。母から教わったレシピだ。
「ヴィッツ! 悪いけど、シロップの瓶取って来てくれるかしら」
 ドライフルーツで作った紅茶シロップ。それで淹れた紅茶は本当に美味しい。
「今日はパイか」
 屋敷の台所で、リゼは焼きたてのパイをオーブンから取り出す。
 シロップの瓶片手に現れたヴィッツが、棚から白い小皿を四枚持って来る。午後のお茶の時間だ。
「次はバタークッキーが良い」
「そうね。そうしましょう」
 リゼは丁寧にケーキナイフで放射状に切り分けて行く。
「今日は上手く焼けたんじゃないかしら」
「いつも上手いさ」
「あら、お母様には敵わないわ」
----カーンっ!カーンっ!カーンっ!
 その時、ノッカー音が屋敷中に響いた。フライパンを打ち鳴らして様な、けたたましい音。日替わりだ。
 玄関の方から、応対するトルキンの声が聞こえる。
「お客様かしら」
「他人の家のお茶の時間にわざわざ訪ねて来るなんて、余程抜けているのか礼儀知らずだな」
「そんな事言っちゃ駄目よ、ヴィッツ…お皿、もう一枚ちょうだい」
 せっかくだからパイを出そう。リゼは紅茶の準備をする。
「ん」
「ヴィッツは先に食べてても良いわよ? 私、これ運んで来るから」
「待つ」
「ならちょっと待っててね」
 お皿に移されたパイと淹れたての紅茶セットを、スイーツワゴンに乗せてリゼは客間に向かった。
 残ったヴィッツは小さく呟く。
「一人で食べたって美味くねぇよ」
 聞く者は居ない。

  □ □ □

 「ブルーベリーのパイです。よろしければ召し上がって下さいね」
 執事と入れ違いで客間に入って来た彼女が、細部のレースまで真っ黒な普段着のドレスを着て、当たり前の様に給仕をしているのを見た時は驚いた。
 クロイツェル家は"リゼ嬢"が一人娘だとセフィルドに聞いた。と言う事は、だ。
「お嬢さんが"リゼ嬢"?」
 令嬢にしては短い、肩に掛かる程までしかない金髪と黒の対比、秋晴れの様なアイスブルーの瞳が美しかった。
「…ええ、そうですが」
 今の一言で誰の知り合いか予想はつく筈だ。ロパスはリゼを観察する。
 造作は悪くない。
 だが、そもそもセフィルドは顔で相手を選ぶ奴でも無い。
「初めまして、ロパス・トゥーダ・エリクソンと申します。よろしく」
 リゼにロパスが手を差し出す。
「リゼ…クロイツェルです。ごゆっくりして行って下さいね、エリクソンさん」
「ロパスで良いよ。俺達には共通の知り合いが居るんだから」
 僅かに首を傾げて考える素振りを見せた"婚約者"殿は、一人の男に思い当たったのらしい。
「公爵のご友人ですか」
「ご名答」
 公爵…公爵な。せめて、いつでも名前で呼んで貰える様になれよセフィルド。ロパスは小さなエールを友に送る。確かにこれは結婚には程遠い。
 どうやら"リゼ嬢"は社交界のご令嬢達とは違って、外見や地位に惑わされる型(タイプ)では無い様だ。
「君に会いに来たんだ」
「…"婚約者"に会いに、ですか」
「そう。どうしても挨拶しておきたくてね」
「それはわざわざ、ご足労を」
 普通、"セフィルド・ウォルセン・ローズヴェルの婚約者"だったらもっと爆発的な喜びがあっても良んじゃないか、とロパス思う。
 ローズヴェル公爵家の現当主はセフィルドだが、彼の父は息子に家督を譲ったとは言え、未だ元老として国政の中枢に居る。
 ローズヴェル家は名家も名家、初代国王の双子の弟がローズヴェル家の初代当主であり、今現代まで脈々と続いている。
 ご令嬢達が夢にまで視ると言う『公爵夫人』の座---セフィルド自身に願われてまでして許された事の意味を、彼女はきっと知らないだろう。
 それが、どれほどの"変化"であるかを。
(…振られなきゃ良いけど)
 そんな事になったらあいつ立ち直れ無いんじゃねぇかな。あいつ、振ったことも無いけど、"振られる"って経験が無いからなぁ…大丈夫かなぁ。ロパスは思案する。
 彼は望めば何だって手に入る環境に居たけれど、今まで"望んでいる様に"見せて来ただけに過ぎない。
 そんな彼がこの娘を選んだ。
 注がれる令嬢達の瞳のどれでも無く、このアイスブルーを。
(取り敢えずは様子見かな)
 社交界に出て来ない伯爵家のお嬢様。及第点を贈呈しよう。
「にしても、このブルーベリーパイ美味しいな」
「ありがとうございます」
「……」
 何となく解った気がする。親友が、彼女に惹かれた理由が。ちょびっとだけだけど。明確な理由は本人でなければ解らないが。
 表裏の無い、春の花がほころぶ様な笑顔。手を伸ばして触れてみたいと思う様な。
「なあ、リゼ『にゃ〜』
("にゃ〜"?)
「あらヴィッツ」
 彼女の肩に飛び乗ったのは黒猫だった。
「君の猫かい?」
「家族です」
 いや、だから君の猫だろう?
「なんだか《黒硝子の塔(コールツェン)》に出て来る魔女みたいだな。知ってるだろ? お伽話の絵本」
 喪服にしか見えないドレスを着て、黒猫を従えた魔女の童話だ。この国の誰もが知る夢物語。
「《黒硝子の巨塔(コルツェンヴェルン)》ですよ」
「え?」
 リゼの囁きを、ロパスはパイに気を取られて、よく聞いてい無かった。
「いいえ、何でもありません。そうだ、私とヴィッツも一緒にお茶して良いですか?」
「もちろん良いさ、お邪魔しているのは俺の方だしね」
 リゼの肩に乗ったヴィッツは、ピクリとも動かずにロパスをじっと見詰める。
(…なんか睨まれてる気がする)
 気の所為(せい)だろうか。
 その後は、自分の分の紅茶とパイを持って来たリゼと黒猫とで、小さくも明るく満ち足りたお茶会となった。
 伯爵邸を後にする時の事である。
「じゃあ、今度はセフィルドと来るよ」
「お待ちしてます」
 視界に入ったノッカーが、大鷲から熊に変わっている気がした。
(見間違いか?)
 玄関から門まで一直線にのびる庭道を馬車に向かって歩きながら、首を傾げたロパスであった。
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