公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

極彩色の一夜と各々の思惑 6
 作戦は成功した。
「随分と機嫌がよろしいようですね」
「ああ、よろしいとも」
 従者のニコルに是と返す。当然だ。
 リゼはセフィルドの誘いを悉く断って居る。彼女と過ごせる時間は、セフィルドにとって本当に貴重なのだ。
 今夜は一流の五つ星レストランに予約を取ってある。丁度、そのレストランの最上階にあるバルコニーから、夏の祭典で打ち上げられる花火が見える。今夜の花火は、この夏に何度かある祭典の内、一番最初のものだった。
 馬車が停まると、ニコルが先に降りてドアを開いた。広い庭を過ぎ、獅子のノッカーを鳴らす。
 応対がある間、セフィルドはふと気付く。この前来た時、確かこのノッカーは鷹ではなかっただろうか。
 それは、リゼが魔術で気紛れに変えたものだと彼は知らない。
 出迎えたのはトルキンだった。
「ようこそお越し下さいました、ローズヴェル公爵」
 セフィルドは、トルキンの姿が目に入って居なかった。玄関フロアから二階へと両側に伸びる赤い絨毯の敷かれた階段から、降りて来たのは清楚な貴婦人。
 少し伸びた、金にも銀にも見える髪には薔薇の髪飾りをし、ごく薄い菫色のイブニングドレスを纏う。細腕を包むのは白絹の長手袋。手には薔薇の透かし模様の扇子(ファン)。広く開いた胸元を飾るのは紫水晶と金剛石を絶妙に組み合わせた首飾り。
 アイスブルーの瞳が宝石のようだ。
 率直に言おう。見惚れた。
「ディナーのお誘いありがとうございます。セフィルド」
 その手を取って口付ける。
「いつもに増してお美しいですね、リゼ嬢」
 それは、セフィルドの本心からの言葉だった。本人は世辞だと思っているのか、当たり障りの無い微笑みを返すだけである。
「では参りましょう」
 腕を差し出せばそっと組まれた。
 目眩がしそうだ。

  □ □ □

 彼女はもっと、自分が周囲の男共にどんな目で見られているのか知るべきだ。
 リゼとレストランに着いてから歩むごとに、紳士の目が彼女を追うのがセフィルドには分かった。
 彼女は自分の美しさを、良くも悪くも全く理解していない。周りの紳士(こいつら)に譲る気はさらさら無い。セフィルドは心中で事実を紡ぐ。状況はどうであれ、彼女は自分の婚約者だ。
「此方で御座います」
 給仕に案内されたのは三階の特等席。白いテーブルクロスと赤い、天鵞絨張りの椅子。すぐ外は夜の都が一望出来た。
 セフィルドは、席に着く為にリゼの腕を解こうとする。
「---…」
 一瞬だけ彼女の腕が強張った。
「リゼ嬢?」
「あっ、ごめんなさい」
 リゼはハッと我に返り、すぐに離れて席に座る。
「何か、ご気分でも?」
「いえ、そうでは無くて…」
 席に着いても、どことなく様子が変だ。では何故。
「貴女の気を沈めるものが何か、お教え願えますか?」
 彼女が楽しめないのなら此処にいる意味は無い。セフィルドは今すぐ店を出ても構わなかった。
「大丈夫です」
「リゼ嬢」
 その手を握る。
「…此処は貴族が多いから」
 躊躇いがちに呟かれた言葉に驚いた。
「"貴族"は嫌いですか」
 貴女もその一人であるのに、と。
「…息苦しくて」
 嗚呼、彼女が何を言わんとするのか解った。
 確かに貴族社会は見た目の華やかさを裏切って、沼地の様だ。
 身分や家柄で全てが決まる。成り上がり貴族はどう繕っても商人として扱われるし、政敵の失脚を狙う輩もいる。笑顔の下や扇子の陰で毒を吐く。だが、セフィルドは知って居た。
「全部が全部、"そう"ではありませんよ」
 彼にも、友と呼べる貴族はいる。
「…そうでしょうか」
「ええ」
 リゼが外を見た。硝子に彼女の顔が映る。
「…見ている分には良いのですけど、あの脂粉の臭いが立ち込める世界で自分も同じようにするのは気が引けます」
「女性と言うのは着飾るのがお好きなのでは?」
 セフィルドは態と、からかう様に言ってみせた。酷薄なアイスブルーが、夜景の更に向こうを見詰める。
「私はあまり…綺麗なものや可愛いのは好きですけど」
「……」
 セフィルドはリゼの手を離したく無いと思った。不可能と分かって居ても、惜しい。思わずには居れ無い。
「…夜の闇が好きです」
「---え?」
 珍しいご令嬢がいるものだ。普通は怖がるだろうに。セフィルドは、それがどういう事か聞き返そうとしたが、丁度、前菜が運ばれて来た。この給仕。
「美味しそう」
 それまでの様子が嘘の様に、彼女は明るい表情(かお)をする。
「味も確かですよ」
 無理をしているのでは無いだろうか。無理をさせているのでは。
「ところでリゼ嬢、一つお尋ねしても?」
「何でしょう」
「貴族の私も嫌いですか?」
 彼にとって、最重要事項だった。
「別に嫌いではありませんよ」
「なるほど」
 しかし、好きでも無いと言う事か。
「では、貴女に乾杯」
 傾いた三鞭酒(シャンパン)グラスがチャリンと鳴った。

 □ □ □

 昔見た、異国の海は、それはそれは鮮やかな水色で綺麗だったと。いくつか話してくれた異国の話。
 セフィルドの話を聴くのは飽きなかった。きっと社交界で培った話術の為だろう。声も、聴いていて少しも耳障りだと思わなかった。むしろ心地良い。
 落ち着いて自分のペースを保って話すセフィルドは何をしていても品格があり、なる程公爵はと納得する。
 少し早く店を訪れたので、デザートを食べ終わり一息つく頃には、外で花火が打ち上げらていた。
「外に出て見ますか?」 リゼがセフィルドに促されて出たのは、十分な広さに造られたバルコニーだ。
 七色の光が夜空に咲く大輪の花の様だった。金にも七色にも輝く花火を素直に綺麗だ思う。目を奪われる。
「…綺麗、ですね」
 花火の考案者は、なんと偉大なのだろうか。
「火薬でこんな花を咲かせるなんて…」
 一瞬の造形が瞼裏に鮮やかに残る。ふと、視線を感じて隣を見れば、海の碧と眼差しが絡む。
「そうやって夜空を見上げる貴女の方が綺麗ですよ」
 平気な顔をしてセフィルドがそんな事を言うものだから、リゼは苦笑するしか無い。割り切るのも大切かもしれない。
「お気に召して頂けましたか?」
「はい、とても」
「それは良かった」
 本当だ。嘘は無い。楽しい夜になった。
 楽しかった。


 本当に、本当に綺麗に笑うものだから目を奪われた。彼女の髪は夜になると銀に近付く。自分と話していてあまり、心からの笑顔を浮かべ無い彼女が、楽しいそうにしているのをすぐ隣で見る事が出来るのは今夜、自分だけに与えられた特権だ。
---ずっと隣で見ていたい。
 そう思う事を許して欲しい。
 例えば十年後、二十年後…今はまだまだ難しいだろうが。
 密かに嘆息したセフィルドだった。

  □ □ □

 流行に敏感な淑女達が、一流の装服師に作らせたドレスを纏い、扇子(ファン)の影で秘めやかなお喋りを交わす。
 噎せ返る様な脂粉と、香水の匂いが充満する王宮の大広間で、紳士は女性の手を取り楽の音に合わせてダンスを踊る。
「ねぇ、お聞きになりました?」
「もしかして《陰の覇王》の事かしら」
「貴女は"あの噂"を信じられます?」
「それはそれは素敵な殿方だと専らの噂でしょう」
「何でも、盗めぬ物は無いのだとか」
「某のご令嬢は心まで奪われて」
「美丈夫で紳士の鑑とまで言われるならば、宝石の一つや二つ盗まれてみるのも又一興と言うもの」
「是非一度お目にかかりたいわ」
 噂好きでお喋り好きの蝶達は常に"変化"を求める。
 退屈な日常に色を添えてくれる甘美なる蜜をたっぷりと含んだ華を…。


「ご機嫌いかがかな? ローズヴェル公爵」
「おや、これはこれはエリクソン公爵。お久しぶりです」
 王宮の大広間で交わされる挨拶は何処か艶めいている。
 セフィルドに話し掛けて来たのは、赤銅色の髪に金の瞳を持つ青年だった。
「…少しは反省したらどうだ、セフィルド」
 嫌味が通じないらしい親友に、エリクソン公爵と呼ばれたロパスは給仕から三鞭酒(シャンパン)を受け取り、渡す。
「一体何の反省か、生憎と私には身に覚えが無いよ、ロパス君」
 何処までもすっとぼけるセフィルドに、ロパスは溜め息をつく。
「お前がこの一カ月の間、社交界に全く顔を出さなかった反省だ。見てみろよ、ご令嬢方はお前に声を掛けて欲しくてさっきからずっとお前を見てる」
 言われた方にセフィルドが目をやれば、サッと扇子の陰になる。実に素早い。
「《陰の覇王》の噂と同じくらいに、お前は今、王宮の噂話の的になってんだぞ…それで? "あの噂"は本当なのか」
「あの噂?」
「ここまで来て惚(とぼ)けるなよ、セフィルド。お前がクロイツェル家の借金を肩代わりした上、そこのお嬢さんと婚約したって言う話だ」
「ああ、確かにしたね」
「! っお前…この、バカ!」
 サラリと返された肯定に、ロパスは親友の耳元で小さく怒鳴る。この場が王宮でなければ、胸倉を掴んでいる所だ。
「頭に響くじゃないか、ロパス」
「お前が婚約しただなんて正式に公になったら女の嫉妬の嵐だぞ?!」
 この男は社交界一の遊び人だ。
「おや、君は親友の婚約を祝福してくれないのか。寂しいな」
「王宮は大洪水だぞ。ねちっこい女の涙で」
「それはいけないね。今の内に堤防でも造っておこうか」
 クスクスとセフィルドは笑った。
「……」
 ロパスは知っている。
 セフィルド・ウォルセン・ローズヴェルと言う男は、本気の恋をしない。
 今までに社交界で散々流した浮き名は全て"暇つぶし"だ。女から、求められるからその手を取る。自分から手を伸ばす事など絶対にしない男だ…少なくともロパスが知る、一カ月前まで親友は。
 セフィルドに、何があったと言うのか。
「…お前、本気か?」
 彼が本気で誰かを求めるだなんて、これ程衝撃的で劇的な変化をロパスは他に知らない。愛だの恋だの、"そんなもの"と一蹴して来た筈なのに。
 何か、今まで彼が持っていなかったモノをセフィルドは求めている。
「ああ、本気だよ」
 笑い方も変わった。ちゃんと、"心"で笑っている。令嬢達に向ける作り笑いでは無い。その碧眼が、ずっと柔らかい。
「…そうか」
 変化すると言う事は、幸運でもある。
「いつか紹介してくれよな」
「無理かもしれない」
「……はい?」
 ロパスは即答された可能性に、目を剥く。何を言って居るんだ、この男は。セフィルドは、ロパスに今況を話して聞かせた。
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