公爵の策略 魔女の陰謀(本編) | ナノ

極彩色の一夜と各々の思惑 5
 青い空に白い雲。
小鳥達の囀(さえず)りと、小川のせせらぎが聞こえる。何処までも続く芝生と虹色の花畑。ひらひらと舞い遊ぶのは鏡の翅を持つ蝶。
 其処はまるで、絵本の中である様に、色彩に富んだ場所だった。
 リゼが白雲の寝台に仰向け寝になって"浮いて"いる所から、少し離れて建つのは、彼女が母から譲り受けた黒硝子の巨塔。この土地はリゼの持ち物だった。全て現実に存在する彼女の"部屋"の一つだ。実際に存在する土地に、リゼの部屋を"繋げた"のだ。
 彼女には黒硝子の巨塔が仕事部屋兼、完全な私室だった。この部屋にある森で、薬草や薬石を手に入れ魔女らしく大鍋で異臭のする薬を作ったり、魔導書を読んで過ごす。
 とある一日の事だ。セフィルドが借金を返済してくれたお陰で、再び時間が穏やかに過ぎる。
 リゼは長く考えて居た。
 セフィルドは、十二分過ぎる程にクロイツェル家に尽くしてくれている。
 "貴方利用されてますよ"と言ったのは自分だが、事実、自分は彼と結婚する気など小指の爪の先ほども無いのだ。
 リゼには目標がある。
 それは、魔女として一人前になる事だ。魔女として生まれ、その為の知識を教えられたのだ。誰もが当然掲げる事だろう。
 シェナンフォード家を無視する事は出来ないし、する気も無い。今はまだ猶予期間と言うやつで、けれども将来は立派な魔女になりたいと考えて居る。
 だからと言って、クロイツェル家の名に、父に、恥じぬ当主になる事を疎かにしたくも無い。
 父が住むこの国では《鈴と椛と黒猫印》は商品の販売を主にしているが、本来魔女と言うのは知識と魔力を提供するのだ。勿論、御代として何かしらの"代価"は頂く。 故に"公爵夫人"だなんて困る。
 そうだ。
 今からこの国を出る時に少しでも罪悪感が薄れるように、セフィルドに何か"贈り物"をしよう。
 彼が自分に山と贈り物をしてくるならば、自分も何か贈ろう。例えば、セフィルドが心底望んで居る事を叶えたり。"お返し"になる様な"何か"を。
 率直に言えば、"公爵に諦めさせる時に後腐れ無くする"為に。リゼはこの時、己に正直だった。
「----よし!」
 リゼがパチンと指を鳴らすと、景色が一変する。今度は温室だ。
 四季をまるっきり無視した、多種な花と木がある。テーブルやソファー、寝台もあり、尚且つ、快適な温度に保たれている温室だ。緑が目に優しい。
 いくら伯爵邸にある一人娘の部屋だからて言っても、もとの部屋の大きさを遥かに越えている。勝手を知らない人間がこの"部屋"に入ると確実に迷だろう。これは空間固定と拡張式と時空法則の応用で、兎に角、部屋の扉を開けた時に現れる"表"の部屋だった。
 リゼは床に降りるともう一度指を鳴らす。此処から部屋の扉までかなり距離があるのだ。それこそ、感覚にすれば数キロの。
 空間を切り取ったように"出口"が開く。其処は伯爵邸の彼女の部屋がある階の廊下だった。
「ヴィッツ、居ないのー? 出掛けるわよ?…まあ良いかしら」
 散歩にでも行っているのだろう。何も知らない人がヴィッツを愛玩動物として撫で回すのを酷く嫌うくせに彼は猫の姿でひなたぼっこするのが好きだ。その姿で煙草を吸っているのを何度か見かけた事がある。 一階に降りると、リゼにトルキンが声を掛ける。
「お出掛けですか、お嬢様」
「ええ、ちょっと本屋に」
「ローズヴェル公爵様からディナーのお誘いを受けておりますが」
 彼の為に何かしようと決めた矢先にめげてしまいそうだった。コルセットは我慢するべきなのだろう。
「…なら昼過ぎには戻ります」
 女と言うのは古今東西、紳士と歩くのに"化ける"時間が必要である。

  □ □ □

 賑やかな往来の老舗時計店と、靴屋の間の狭いスペース。こじんまりとした、ささやかな赤いショーウインドーを持つ古本屋がある。
 行き交う人々は、その古本屋が見えないかのように足を止める事が無い。
----カラン カラン
 優しくて懐かしいドアベルの音が店に響いた。
「おや。いらっしゃい、お嬢さん」
 揺り椅子に座り、膝に毛布をかけた店主である老人が、パイプ煙草を口から外してにっこりと笑う。
 真っ白な髭で口元が隠れている。
「また来たのかね」
 外は初夏だと言うのに、老人はくすんだ赤いチェック柄のシャツに、毛玉だらけの緑色のセーターを着ていた。
 店の中は外界と切り離されたかのように静かだ。
 書架に収まらず、椅子の上に堆(うずたか)く積み上げられた古書は、天井まで届きそうだった。店の中は奥の壁が見えない位に広い。これはリゼの部屋と同じ原理だ。
 魔術だ。
 店の中から外を見ると行き交う人々の様子が十分にわかる。
 書架と書架の間を、音も無く蝙蝠(こうもり)の羽や鳩の翼が生えた本が飛び回り、収まるべき場所にスッと戻る。
「だって、此処は世界一素敵なインクと羊皮紙の匂いがするのだもの」
 リゼは此処の常連だった。この店は客を選ぶ。店主が気の向いた客にしか店の小さな扉を、いやそれどころかその外観さえ見せない。
 この世のあらゆる古書を取り扱う本屋の名前は《明後日の一里塚》。
 正式には《明後日の方にある一里塚》。この古本屋を知る者からは単に《一里塚》や《明後日》《明日の次》《目印》など好きに呼ばれている。
 どの様な入手経路かは一切不明だが、《一里塚》に来て手に入らない"本"は無いと言われている程だった。望めば売ってくれるかは別ではあるが。主に魔術に関する本を揃えている店主は変わり者だ。
「前に注目した古書は来てますか?」
「ああ、あるよ…お嬢さんみたいな若い子が欲しがるものじゃないと思うがね」
 老人が指をひゅいっと動かすと、カウンターの下から握り拳二つ分の厚さはあろうかと言う大きな本が出て来た。
 題名は《世界毒薬大百科》
「ありがとうございます…ところで、いつまで"その格好"で居るつもりアンセル?」
「----なかなかの演技だろう?」
 笑みを含んだ言葉と共に、ぐにゃりと店主の姿が歪む。
 立派にたくわえられていた白い髭は消え、現れたのは幾筋も違う色の髪をした男性。うなじの所で髪を一つに括っている。見た目は優しそうだが、彼が店主をつとめる《一里塚》は分かっているだけでも、九百年前からその存在が知られている。
 《一里塚》そのものは、更に前からあった様だが、アンセルの出生は誰も知らない。明らかな事はアンセルもまたリゼと同じ魔術を扱うと言う事と、彼がシェナンフォード一族では無いと言う事か。
 シェナンフォードは生まれた女は必ず魔力を持つと言う魔血統だ。他の一族は性別関係無く魔力を持つ者が生まれるが、一般人に比べれば圧倒的に生まれる数が少ない。
「アンセル、私貴方に相談があって来たの」
「どうしたんだい」
 アンセルは、膝の上に本を開いて話す。
「前に公爵と婚約したって話したでしょう?」
 クスクスと、アンセルは可笑しそうに笑った。風の囁きの様だ。
「結婚してしまえば良いじゃないか。そうすれば君は公爵夫人だ。一生遊んで暮らせるよ」
「意地悪」
 アンセルはリゼがどうにかして公爵から逃れようとしているのを知っている。
「豪奢なドレスを着て毎晩舞踏会だよ?」
「興味が無いわ」
「大勢の侍女にかしづかれて豪遊し放題」
「自分の事は自分でするわ…私、セフィルドに"何か"しようと思うの」
「ああ…"手切れ金"?」
「その通り」
 払い損になっても構わないと言ったのはセフィルドだ。リゼはそれを利用した。
「"何か"って何が良いと思う?」
「何でも良いんじゃないかな。公爵はリゼが好きなんだから何でも嬉しいと思うけどね」
 リゼは顔をしかめた。十七の小娘を本気で愛す訳が無い。その表情を見たアンセルは、言い切る。
「好きでも無い相手の家の借金を、全額肩代わりする男は居ないさ」
「でも、私は公爵と会った事が無いもの。なら公爵が結婚したいって言うのも変よ」
「忘れてるんじゃない?」
「そんなことは…」
 アダムスと違ってリゼに貴族の知り合いはほとんど居ない。勿論、"人間"の、貴族はと言う意味だが。だから忘れる筈が無いのだ。リゼは婚約したあの夜、初めて彼と会った。
「ふぅん…"魔法の香水瓶"はどうかな?」
「願いを叶える、あの香水瓶?」
「そうだよ、まぁ"器"は何だって良いんだから、君が公爵の"香水瓶"になれば良いんじゃないかな」
 "魔法の香水瓶"に宿るのは精霊だ。彼等は願いを叶えるのに制約があるから色々と面倒がある。でも、リゼ(きみ)ならどうだい。アンセルは言う。
「それは良いかも」
「その代わり、願い事に回数制限は無し。君が良いと思うまで叶えるけど、君は公爵に願い事が何か訊いちゃ駄目だ」
「どうして」
 それでは叶えようが無いではないか。
「それが僕が君から貰う相談の"代価"だから」
 アンセルは悪戯っ子の目をして笑った。リゼは嵌められた事を悟る。
「聞いて無いわ!」
「言ってなかったからね」
 穏やかに微笑んで《一里塚》の店主は"まぁ頑張ってよ"と、有り難い御言葉を下さった。

  □ □ □

 家に戻ってからも、なお大変だった。
 リゼは母から貰った純黒のドレスを着る心算だったのだが、アダムスは絶対に公爵がくれたドレスの中から選びなさいと言って譲らない。
「せっかく下さったのだから着なさい。お前は数える位しかドレスを着てないだろう」
「数える事が出来るだけ着ているなら十分よ」
「一度も着た事の無いのだってあるだろうに」
 確かにあるが。しかし、だ。
「公爵だってお前に着て欲しいと思っているさ」
 白旗である。

  □ □ □

「セフィルド様、そろそろ伯爵邸に到着します」
「ああ」
 ローズヴェル公爵家の家紋が施された馬車に揺られながら、セフィルドは目的の場所へ向かう。彼はずっと心待ちにしていた。
 婚約者殿を直接誘うと断られるのは今までの経験上明白だったので、敢えて執事のトルキンに話を通した。
 昼前に伯爵家から返事が届いた時から、セフィルドは機嫌が良い。
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