Auravictrix:本編 | ナノ

  Auravictrix 4 
「なあ看守」
 ディアギレフはもう何十年もWalkerとして世界を渡って来たので、学業などろくに身に付けぬまま育ち今に至る。
 世間一般の学生の青春時代には、AREA02の砂漠地帯で敵船と長期交戦を行っていたくらいだ。教科書の知識より銃器や剣、航海術など、専らその方面についてにしか経験も知識も無い。
 なので。ある程度の諸文化や言語、その方面や人生経験以外の"難しい事"を言われてもお手上げだ。さっぱり、である。
「悪(わり)ィ。今なんつった」
 寝呆けて居る訳では無いと思う。本日二回目の食事を済ませ、いつもと同じ流れで彼女と話していた筈だ。
「だから、出ようと思えば出れるぞ。独房(そこ)から」
 今すぐにでも。
「……」
 どうやって。幻聴では無いらしい。
「幾ら俺が相手だからって。あんた、そんな嘘はどうかと思うぞ」
 完全にディアギレフは狼狽えていた。いや、だってそんな。何を言い出すかと思えば。無敵と謳われる監獄船に、そんな逃げ道が存在するなど誰が思うのだ。
「お前だから言ったのだよ」
「……いや、なおの事駄目だろ」
「因みに、私しか知らない」
「やめてくれ。俺の心臓がもたねぇって」 色々な意味で。この歳でそんな、まさか。有り得ねえだろ、ディアギレフ。
「AREA02に、戻るのだろう?」
 勘弁してくれ。

  □ □ □

 有り得ねえ。レギは何百回目か解らない科白を口にした。
「有り得ねえだろ。あの馬鹿船長」
 ミネルドの領海に浮かぶ大型戦艦の甲板で、一人の男がそう吐き捨てた。
 レギ・エブラハム。サー=ヴァルターギュ号の乗組員にして副船長である彼は、近頃、寝ても覚めても苛々として不機嫌だった。
「ウチに帰って来れねえ野郎が何処に居るってんだ。豚箱(チェルニチェヴァ)なんざにぶち込まれやがって」
 原因はディアギレフである。
「でもよレギ。捕まった若い乗組員と交換条件に連れてかれた訳だし、船長(あのひと)は気にしちゃねぇだろ」
 高性能遠距離双眼鏡を覗き込みながら、レギの言葉に返事をしたのは、鮮やかな水色に白の渦巻き模様のバンダナをしたバルドーであった。
「だからって自分(てめぇ)の首を差し出すか普通。マジで有り得ねえ」
 姿は見えずとも、その先に必ず居るだろう敵を射殺す様にして、レギは角縁の眼鏡の奥から目を眇めた。
「チェルニチェヴァの本隊と戦闘中だったんだ。あん時はそれが最善だったろ」
 実際、こっちは物資補給で上陸する直前。銃弾(タマ)だってそう無かった。
「でもよ、奪い返しに行くんだろ?」
 準備は万端。派手な宴の前哨戦だ。
「ったりめぇだ。馬鹿な事抜かしてんじゃねぇぞ、バルドー!!」
「えええ。俺何で怒られてんの」
 理不尽じゃね。不機嫌なレギから拳骨をお見舞いされたバルドーは頭を押さえる。
「けど実際、どうやって侵入するんだ」
 問題はそこであった。
 レギは束の間、あらゆる条件を想定して成功率の高い手段を弾き出す。しかし。
「もう一々面倒だ。正面から叩き潰す」
 彼は完全にブチ切れて居た。
「おいおいおい! 幾ら腹立ってるからって、落ち着けレギ。お前、俺達の中で唯一の頭脳派だろ。深呼吸しろ、深呼吸」
 普段の冷静沈着、計算高いお前はどうした。戻って来い、策士の副船長。
「うるせぇ。船長(あのひと)だってそうしただろうよ」
「まあ、そりゃあ船長は回りくどい事考えんの苦手だし」
 面倒だし、まあ勝ちゃあ同じだろ。それがディアギレフの口癖だった。そして不敵な笑み。
「なら俺の判断も間違っちゃいねぇ」
 おい野郎共!! 何時もより銃弾多く持って行け!! ありったけぶっ放してやろうぜ。半月刀もよく研いどけよ。
 レギは船内に戻ると声を張り上げた。後に続くのは乗組員達の雄叫びである。お祭り騒ぎにも似た空気の中には、物騒な言葉も混じっていた。
「俺達の頭(トップ)に手ェ出したんだ、好きにさせて貰うさ」
 そうだろ手前等!!
 Walker共の手綱代わりになって居る筈のディアギレフが不在。頼みの副船長もこの様子だ。
 それはつまり、制御を失った暴走を意味した。

  □ □ □

 首を捻る。
「……」
 これと言った妙案は閃かなかった。
 "あの馬鹿が戻ったら一発殴ってやる"とレギが敵を撃ち抜く筈の銃弾を弾倉に込めながら瞳孔を開き、それを目撃したバルドーが青褪めながら必死に宥めていた丁度その時、ディアギレフは独房で片膝をついて思案していた。
 彼女は居ない。
「解んねぇなァ」
 仲間が来ると確信していようが、出れるものならやはり今すぐ外の空気を吸いたいものである。
 しかし鉄格子の扉はうんともすんとも言わず沈黙を守ったまま、状況打開の兆しは全く無い。
 それ所か、疑心の坩堝(るつぼ)に嵌ってしまって居る。何故、看守はあんな事を言ったのか。ディアギレフとてそれ位は考える。理由が解らない。敵(たにん)に情報を渡す危険。そこに余程の利益が無ければ割に合わない。
 それとも、単にディアギレフを混乱させて楽しんでいるのか。
「…よお」
 このままでは本当に彼女の名前を知らぬまま、監獄船(ここ)から出る事になるのでは。実につまらない。
「どうした、看守」
 彼女は真顔だった。出会ってから、どれほど言葉を交わそうとも、看守の感情らしい感情が窺えたのは、あの羨望が一度きりである。ましてや喜びに頬を上気させた姿や泣き顔など、ディアギレフは知らない。
 自分以外の誰かは知っているのだろうか。この独房の外での彼女を。
「気に入らねぇな」
「そう怒るな」
 彼女はディアギレフが独房に対する苛立ちを感じているのだと勘違いしたらしい。実に気に入らない。
 その菫色に変化は無い。
「あんた、結局何がしてぇんだ」
 違う。こんな話がしたいのでは無い。こんな、何の価値も無い。もっと、本当は。
「このまま行けば、あと一時間弱でお前の仲間とやらがチェルニチェヴァと交戦を開始する」
 初めてだった。ディアギレフの問いに眼差しさえ返される事無く、看守は手にした書類を捲る。
 ミネルド領海にサー=ヴァルターギュ号を確認。チェルニチェヴァに兵士、物資共に戦力の不足は無い。相手が悪かったな。
「目の前で仲間が死ぬぞ」
「……」
「お前に残された時間は幾許も無い」
 刹那、ディアギレフの瞳が陰る。だが彼は、直ぐに看守を見詰める眼差しに力を込めた。
「俺に時間がねぇよって事は、だ。つまり監獄船(あんたら)だって同じだろう」
 こんな場所(ところ)に来てる暇は無い筈だぜ、なあ看守。
「違うとは言わせねぇよ」
「----…」
「なあ、あんたは一体俺をどうしたい」
 俺にどうしろって言うんだ。何を望んでる。どうしたら、あんたは笑うんだ。
「教えてくれ。何であんたはここへ来た」
 眼差しの一つで彼女の本心を捕らえる事が出来れば、どれほどに楽だろうか。
 だが、楽をしたい訳では無い。
「私は良いのだ。この船に一体何人の人間が職務の為に乗船していると思う」
 それに、多少の単独行動は許される。
「私は自由だ」
「…そうかい」
 ディアギレフは、眉間に深く皺を刻む。
100927
    ここまで読んだよ!報告
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -