Auravictrix:本編 | ナノ

  Auravictrix 3 
「ところで、煙草持ってねぇ?」
「"船内は全室禁煙となっております。ご協力を"」
「ちぇっ、良いじゃねぇか…あ。あんた吸わないタイプか」
 一人であった時はどう仕様も無いので諦めて居たが、折角自分以外の人間がここに居るのだ。ディアギレフは煙草を吸いたくてならなかった。この投獄を機に、禁煙への第一歩を踏み出す気は更々無い。
「ディアギレフ・ロウ」
「んー?」
「お前は何故、AREA02に脚を踏み入れたのだ」
 座った体勢で床に手をつき、首をだらりと後ろに。世界が反転していたディアギレフの耳に届いたのは、そんな問いであった。女の言葉に、ディアギレフは勢いよく顔を戻す。
 視線の先、彼女は牢から顔を背け、全くこちらを見てはいない。白刃の切っ先を思わせる、その横顔。
「そりゃあ、あんた、世界を知りたいからさ」
 AREA01とは何もかもが異なる、もう一つの"世界"。
 AREA01の常識など、これっぽっちも通用しない。舐めてかかれば直ぐさま冥府の門を叩く事になるだろう。
 空に奪われた大地には、ディアギレフの想像など足元にも及ばぬ"世界"が待ち構えているのだ。
 どうしてAREA01で無関心を装えるだろうか。寧ろ彼はAREA02へ興味が無い人間の方が不思議であった。
「どんな奴にも最期はあるんだ。なら俺は、AREA02を思う存分見て回ってから死にたい」
「……」
「だから、監獄船(こんなばしょ)では死なねぇよ」
 通過点でしかねぇんだから。こんな、AREA01中を動き回る監獄船なんて。つまんねぇ。
「恐ろしくは無いのか。未だAREA02の謎は解明されていない」
「それはそれで一興ってもんだろ」
 だからこそ、面白いってもんさ。
「…酔狂だな」
「Walkerを捕まえて酔狂だなんざ、誉め言葉だぜ、お嬢さん」
 笑い声が独房に木霊する。だが、直ぐにディアギレフの声はぴたりと止まった。
「やめろ」
 唸る。その眼、やめろ。ディアギレフは眉間に深く皺を刻み込む。
 酔狂だと、彼女は言った筈だ。呆れや軽蔑を含むなら理解出来る。今まで世間から散々向けられて来た。慣れっこだ。気にしやしない。
 なのにどうして。その菫色が羨望に染まる必要がある。必要無いだろ、あんたはチェルニチェヴァの看守なんだろ。
----では諦念で覆い隠しきれず、昏(くら)く歪(ひず)んだ瞳は何だ。
「眼?」
「…何でもねぇ」
 なお性質(たち)が悪い。本人はそれに気付いていない。置いてけぼりにされた瞳。
 重油を流し込んだ様に胸が重い。ざらついた不快感。焦燥。目に見えないものへの、腹立たしさ。
 違う、本当に腹立たしいのは----…。
 ああ駄目だ。
「寝る」
 ディアギレフの言葉だ。こんな時は寝るに限る。それが彼の持論であった。一度寝て、頭を軽くして考えねぇと、大切なもんを見失う気がする。
「そうか」
 瞼を閉じてディアギレフは横になる。ただ一言、彼女はそれだけ言って立ち上がる。遠退く気配。視界には白。
「----…」
 ディアギレフの意識は、はっきりと醒めていた。眠気など微塵も無い。

  □ □ □

「おはよう」
「ああ、おはよ…はっ!?」
 驚いた。心底びっくりした。
「何だ。寝起き早々、騒がしい奴だな」
「いや、だってよ」
 あんたから挨拶すんのとか、無かったろ、今まで。彼女はやはり真顔だった。真顔、だが"おはよう"である。その落差はどうにかならないものなのか。
「朝食だ」
「朝なのか、今」
「お前が朝食だと思えば、そうだろう」
「…あくまでも俺に、時間を把握させたくねぇか」
「"全ての認識を奪う"。その為の独房だ」
 投獄初日から変わらない、計算し尽くされた食事。彼女が床に置いたトレイを、ディアギレフは小さな扉から引き入れる。
「----…なあ」
 消毒され、薄いフィルムで包まれたスプーンとフォーク。それに手を伸ばす前に、ディアギレフはある事に気付く。
「ニコチンの毒性は青酸カリの倍以上にも匹敵し、喫煙者が吸引する主流煙よりも、呼気と共に排出される副流煙の方が凶暴だ」
「ありがとな」
 この時ばかりは、彼女の言葉など頭に入って来なかった。やばい、にやける。
 投獄初日から変わらない、計算し尽くされた食事。だが今日は"デザート"付きだった。手の平に収まる一箱で、気分は既にカロリーオーバーだ。
「後先短い囚人へ、ささやかな餞別だ」
「嫌な事言うなよ」
 そしてもう一つ。重要な点にディアギレフは思い至る。
「…なあ、看守」
 火は。目の前には煙草。だがその先を燃やす筈の火(ライター)が無い。
「地下四階(こんなところ)で火気など危険だろう」
「……」
 何処までが本気だ。冗談と受け取って良いのか心底迷う。ちらり。真顔だった。
「え、マジか」
 彼女が寄越した煙草は、結構な品だ。薄利多売の安物では無い。上層階級の軍人だとかが好んで口にする、値の張る品であった。
「もしかしてあんた、偉い?」
 何でこんなもん持ってんだ。
「偉い人間が、デスクワークをそっちのけにしてお前の前に居ると思うのか」
 言っただろう。後先短い囚人への、ささやかな餞別だと。
「俺にどうしろと」
 これじゃあ吸えねぇだろ、煙草。
「我が儘な奴だな。煙草を持ってないかと訊いて置いて、更には火を寄越せと」
「いやいやいや、普通持ってねぇかって訊いたら吸いたいからに決まってんだろ」
 あんた間違ってるよ。絶対俺の方が正しいって。何その"どういう教育を受けて来たんだ、親の顔が見てみたいものだな"って感じの目。頼むから察してくれ。
「冗談だ」
「マジか」
 鉄格子越しに、ライターが点(とも)る。
 飯よりも美味(うま)かった。

  □ □ □

「てかよ、今更なんだけど」
 吸って良かったのか。
「監獄船(ここ)って全室禁煙なんだろ」
 何本目だろうか。喫煙で生き返る辺りが、もう駄目な大人の証拠だ。ディアギレフは女を見た。
「構わない。私が許可しているのだから」
「おい、それで良いのか看守」
 いや、喫煙を満喫しているのは紛れも無く自分だが。大丈夫かこの船。
「それとあんた、何時もここに来て俺と話してるけどよ、バレたら拙くないか」
 ディアギレフの世間での扱いは、"零級"国際指名手配者である。
 一方彼女は、チェルニチェヴァの看守だろう。幾ら見張りが仕事でも、既に"見張り"のラインを軽く飛び越えているのはディアギレフも気付いていた。ただ触れなかっただけだ。
「どうなるだろうな。銃殺刑か」
「笑えねぇぞ、それ」
「我が身の明日(あす)より他人の心配か。大層な御身分だ」
 お前のそれは、無意味な考えだ。止めておけ。一秒一秒の思考に全く有益な点が無い。疲れるだけだぞ。
「何で言い切れる。あんたの話だろ」
「有能だからな、私は」
 チェルニチェヴァが今更、私を手離すとは思えない。
「……」
 気に入らない。

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