Auravictrix:本編 | ナノ

  Auravictrix 2 
 ディアギレフは首に掛かる小さなプレートを見た。角を削り取られ、曲線を有した親指程の長さしか無い銀のプレートだ。B4-5207の文字が凹字で刻まれている。
 彼に首輪をつけたのはWalkerの追跡捕縛を目的とする【青冥に雷霆】であった。
 先進五ヶ国の有力な組織の中で、ミネルドの、Walkerの影を踏もうとする国家機関がそれであり、民間人からしてみれば、Walker殲滅の為、日夜を問わず活躍する英雄と言えた。民衆はWalkerを白眼視する事はあっても、【雷霆】に喝采を惜しむ事は無い。
 大義により鳴り響く白き雷撃は、チェルニチェヴァを最大限に利用してWalkerを駆逐している。【雷霆】だけでは無い。人類が新たに脚を踏み入れたAREA02と言う世界を舞台に、各地でそれぞれが名を背負い、"鼬ごっこ"が繰り広げられていた。
「ディアギレフ・ロウ」
 一体、何日ぶりであろうか。己の名を呼んだ相手を、ディアギレフは瞠目してまじまじと見上げた。

  □ □ □

「お前がディアギレフ・ロウか」
 何故だ。何故気付かなかった。
 ディアギレフは、すぐさま口角を上げて笑みを作る。幾ら食事の最中であったとしても、この静けさだ。食器と食器が触れ合う音以外とて、容易に耳が拾えた筈である。なのに。
「看守か? 嬉しいね、牢屋で退屈死しそうだったんだ」
「問いに対する返答を求める。お前がディアギレフ・ロウか」
 抑揚の無い声だ。男にしては高い声。これは女のものだ。少し低い。だが一つ一つの発音がはっきりしている為、少しも聞き取り難くない。
「…ああ、そいつは確かに俺の名だ」
 まるで人工知能を相手に喋って居る心地だ。人間味が無い。沈黙。
「看守が何の用だい。縛り首の執行日が決まったか?」
「ああ」
「、へえ」
「嘘だが」
「……」
 何考えてんだコイツ。そう思ったディアギレフに罪は無い筈だ。
「嘘なのか?」
「三日後の日没と同時に行う、かも知れない」
「おいおい」
 本気(マジ)で怒っても良いだろうか。
「常に可能性はゼロを超える。未来の事など、私が承知する所では無い」
「いや、まあ、そうだけどよ」
 真顔だ。彼女の菫色の眼差しがディアギレフをとらえる。真意が掴めない言葉の応酬も、ここまで来ればいっその事関心して仕舞う。
「で? わざわざ御足労頂いてどうしたんだい」
 再び沈黙。先程よりも長い。
「寝る」
「待て待て待て」
「眠い」
「お前、本当に自由だな」
「……」
 ディアギレフは既に食事などどうでも良くなって居た。頭が痛い。譬喩である。鉄格子の向こう、通路に躊躇無く横たわる女が原因だ。溜息。どう扱って良いのか皆目見当がつかない。
 規則的な呼吸。返事を期待した訳では無かった。ただ、つまんねぇなあと思う。
「…なあ、寝ちまったのか」
「ああ」
「ンにゃろう」
 白い世界に女の黒みの強い赤紫は強烈だった。女が着ている制服の色である。今までに何度となく目にして来た、チェルニチェヴァの象徴色。同じ色の軍帽。そして消音の軍靴は黒だ。しかし丸腰である。
「看守。お前名前は」
「"貴殿に名乗る程の者では"」
「ふざけるなよ」
 ディアギレフは、その言葉に微塵の怒りも込めていなかった。怒りとは対極の感情を胸に笑う。何だか面白くなって来た。何だコイツ。
「ディアギレフ・ロウ」
 じゃらり。半身を起こした女は"ある物"を取り出した。目線の高さに掲げられたそれは、鈍色。
「ここに鍵がある」
「そうだな」
「欲しくは無いのか」
「望めば手に入るならそうするが」
 この状況で無い物ねだりをする程、餓鬼(こども)じゃねぇんだ俺は。
「そんな可愛げのある振る舞いなんざ、この年になって来ると忘れちまうもんだ」
 ディアギレフは一つの確信を抱(いだ)いて笑みを深くした。そこにあるのは実に賊らしい、不敵さだ。
「それに、もう暫くしたら仲間が来る」
 覚悟しとくといいぜ。俺の仲間は遠慮を知らねぇ。
「派手に暴れるだろうよ」
 虚勢では無い。
「願望だろう」
「来るさ」
「何故そう思う」
「あいつ等、馬鹿だからなァ」
 止めたって這いずってでも来るに決まってる。まあ俺もその馬鹿であるんだが。
「俺達Walkerは、奪われたら奪い返すのが常識でね」
 仮にWalkerでなくとも、あいつ等は必ず俺を助けに来る。ディアギレフは真っ直ぐに女を見て告げた。
「仲間だからな」
 彼女は不可解なのだろう、相変わらずの無表情だ。けれども、その瞳の奥には微かな戸惑いが見えた。
「解らない」
「そうか? 簡単な話だろ」
 ディアギレフは歯を見せて笑った。そんな彼を、女は再びとらえる。
「遠慮を知らないのはチェルニチェヴァも同じだ。Walkerの侵入は許さない。此処に辿り着く前に始末する」
 それでもお前は、仲間とやらに来て欲しいのか。
「そう易々とはくたばらねぇさ。うちには頗る頭の良い男が居るからな」
 侵入方法なんざ、百でもあるだろうよ。
 女は何かを思案する様子でディアギレフを見詰めていたかと思えば、背を向けてまた通路に寝転がる。
 今後こそ、本当に眠ったらしい。

  □ □ □

「看守。なあ、名前を教えてくれよ」
 ディアギレフのその問いは、ここ数日の常套句になっていた。
 あの日以来、女は毎日独房を訪れる。初めの内こそ彼女の目的を考えていたディアギレフだが、三日で飽きた。理由など、もうどうでも良い。
「馬鹿の一つ覚えの様に、そればかりだな、お前は」
 彼女は決して、ディアギレフに名乗らなかった。尋問する訳でも無く、話すか仮眠と呼べるかも怪しい短時間の睡眠を取るか、ただそれだけだ。留まる時間は不定。だが長くて精々数十分だろう。目覚めれば食事だけが置かれ、姿を見ない時もあった。
 彼女からは、必ずしも質問の答えが得られる訳ではなかった。しかし、"無視"された事は一度も無い。無言であっても、視線が返って来る。ならばそれで良い。
 彼女はディアギレフと話す時、膝を抱えて座る。
「呼び名が無いのは不便だろ。そっちは俺の名どころか素姓から罪科まで知り尽くしてる癖に、不公平じゃねぇか」
「監獄船(ここ)で公平を語るな、囚人」
「けち。けーち」
「やめろ、不快だ」
 ディアギレフは嬉しくなって破顔する。なるほど、"不快"らしい。実に満足だ。
「お前さ、人形じゃねぇんだな」
 いやあ、俺は随分と機械みてぇな奴だと思って居た訳だか。まあ当たり前だけどよ。初めてじゃねえか、あんたが自分の事を話すのは。
「もっと教えてくれ」
 俺はあんたを知りたい。
「……」
 こうして一対一で顔を合わせて居るからこそ、気付く事もある。独房は姿を変えた。ディアギレフにとって、今の状況に苦は無い。

100921
    ここまで読んだよ!報告
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -