Auravictrix:本編 | ナノ

  Auravictrix 1  
 SA01暦152年6月13日
 AREA01 Big5-V:M A.M.10:18_


----ガシャン!!
 耳障りな、鉄と鉄が擦れる音。その音を背後に聞きながら、ディアギレフは"ああ、やっちまったな"と暢気に呟く。
 続く看守の罵倒も右から左へ。遠退いて行く鍵束の声さえも男を嘲笑う。
 さて、どうしたものか。今し方まで、己の手首足首には鉄球付きの白い塗装がされた鉄枷がはめられていた。所持品の一切は没収され、幾多の危機を共にして来た愛刀も無い。
 足下に広がる白亜。もとから白いのか、それとも塗装された故なのかは分からない。独房を形成する白煉瓦は全て均等な大きさで一種の美しさがあった。
 だが生憎と、意匠に感嘆する様な芸術的感受性を持ち合わせていないディアギレフは、どかりと胡座を組んで腰を下ろす。
「つまんねぇなー」
 ああ、退屈だ。此処には何も無い。ディアギレフが愛した世界が無い。砂漠の照りつける太陽、何処までも自由で偉大な大海原。踊る風に、突き抜ける大空。
「悪趣味な奴等」
 呟く声ははっきりと空気を揺らして受刑者の耳に届く。騒音は無い。外界から遮断された独房。周囲には他の房も無く、真実ディアギレフは独りであった。
「特別待遇はもっと別の形でしてくれた方がありがてぇんだが」
 白の世界。無音。自分を取り巻く状況の先にある思惑に気付き、ディアギレフは唾を呑む。おいおい、まさか。こいつは。
「はは…発狂しろってか」
 ディアギレフは乾いた笑いに言葉を無くした。なるほど、流石は天下に名を轟かせる無敵監獄って訳だ。何万って犯罪者を嚥下して来ただけはある。
 監獄船《這い寄る混沌(チェルニチェヴァ)》にその日、一人の賊が投獄された。

  □ □ □

----【B4-5207】
 それがディアギレフに与えられた刻印であった。囚人No.B4-5207。"地下"四階の豚箱は随分と生活味の無い場所である。薄汚れ、鼠の何匹かでも走っているのが監獄だろうに、此処は清潔さが度を超えて異常だ。
 ああ、我が戦友《扉向こうの深淵の主(サー=ヴァルターギュ)》号の傷にまみれ、汚れのこびり付いた酒蔵の床が恋しい。
 ディアギレフは時間の感覚を忘れていた。今が何月何日のどの時刻であるのかも把握出来ない。鉄格子の向こうの通路は常に照明が点(とも)っていた。
 何にしろやる事が無い。世界を渡る日常は崩れ、仲間ともはぐれた。ディアギレフは酒と煙草と世界と睡眠をこよなく愛していたので、彼が出来る唯一と言えば、己の欲求に従い夢の国へと落ちる事であった。
----そうでもしてねぇと、気が触れちまいそうだ。
 果たして自分は何日"保(も)つ"だろうか。まだまだ俺ァ大丈夫だ。もとよりそう繊細な神経なんざ通ってねぇ。会話する相手が無いってのは確かに辛い。だが、恐らくは数日しか経過して無い筈だ。
 自分に言い聞かせながら、ディアギレフは毎食用意される食事に手を動かす。看守は余程タイミングを見計らうのが上手いのか、白いトレイにのせられた食事は決まってディアギレフが眠っている間に届けられた。人為的に白く塗装された鉄格子の下、トレイにのせた食器類がぎりぎり入るだけの、摘みが付いた小さな扉がある。
 そこから引き寄せたトレイは、栄養素のバランスが綿密に考慮されたと窺える。まるで病人食だ。このチェルニチェヴァは全てが管理されている。姿の見えない監視の目が、あらゆる方向からディアギレフを突き刺す様であった。
「気に喰わねえな、全く」
 フォークを口にくわえてぼやくも、やはりディアギレフ以外の気配は無い。
 不味い。飯が旨くねぇや。味云々の問題では無く、分かち合う喜びが無い。いつもなら、月の明るい夜は船の上で肩を組んで夜通し宴だ。賑やかな音楽、音程の外れたお世辞にも上手いとは言えない歌声。
 だが其処には仲間が居た。何だって良いのだ。彼奴等が居れば、甲板は最高の舞台となる。
「…つまんねぇなあ」
 投獄初日より、確実に声に張りが無いのを自覚する。こうして俺ァ狂って行くのか。嫌になっちまうぜ。
 ディアギレフが捕らわれた監獄船《這い寄る混沌》を保有するのは、世に名高いミネルドであった。
 World Code:区域(AREA)01、科学技術においては他の追随を許さないミネルドは、世界各国を相手に水面下での"競争"を仕掛けて居た。
 先進国の集合世界であるAREA01の上位五ヶ国として挙げられるのは、GS大洋を挟んだ第一等【XV帝国】、現代の主な発力資源鉱石であるAT-8の採掘大国・エル=ドゥナ、最新科学機関を保持するミネルド、北の多国籍国家・NF(Neutral Field)、そしてガート・ルード(GR)連合の盟主国・パジェスタである。
 第一次(First)A01暦1806年9月14日。
 全世界はこの日、血塗れた岐路に立たされる。観測網に予測される事が無かった、世界規模の同時災害。終末の到来かと誰もが絶望した。各地で地震が発生し、それによる火災等の二次災害。倒壊した建物による圧死者だけでも、単位は億となった。沿岸部は大津波に見舞われ、陸地が削られた。阿鼻叫喚のまさに地獄。
 だが、その程度ならまだ良かった。
 人類にとって、何よりも損害であったのは、大多数の発展途上国が属していた南半球と先進国側の北半球間の"断絶"である。
 南半球を【AREA02】と呼ぶ。嘗ては発展途上国区域を指したその言葉は、現在では磁場が異常値を示し、AREA01の常識など一切通用しない、変容た異世界を言う。
 磁場の変化によりAREA02の大地は巨大な浮島となった。不運にも北半球と南半球を跨いで中間に位置していた国は、国土の半分を空に奪われる形となり、AREA02が存在していた地理は、擂り鉢型のクレーターを形成し、海へと消えた。その年を分け目として、獰猛な巨大海洋類の出現、絶滅種の復活、異常気象等、遭遇した事の無い混乱が続いた。
 生き延びた人々は1806年9月14日を【終焉日】と名付けた。終焉日より凡そ8ヶ月後、漸くAREA02へ調査団が送られる。上位五ヶ国の科学者によって編成された一団は、自国の復興も終えていない時期に、再び驚愕と果てしない恐怖を経験した。
 第一次調査報告書によると、AREA02から人類の姿は消滅していた。居る筈の同胞は遂には一人として彼等を迎える事無く、科学者達はパニックに陥った。
 やがて彼等は一つの理解を得る。終焉日に関係する一切の"災害"は人智を超えた力、或いは現段階では解明不可能な人外の力によるものである、と。
 何と言う皮肉か。当時の科学の権威達が、導き出したのは実に非科学的な回答であった。だが、そうする他に、彼等は一時的な見解に辿り着く術を持ち合わせて居なかったのである。
 AREA02の大地はAREA01の何処よりも緑が深く、古代種が当然の如く生命を息づかせ、又、動植物は多くの新種が発見された。AREA02の大河からGS大洋へと瀑布が流れ落ちる。
 調査開始から一カ月の後、調査団はAREA02のほぼ中心部に巨木を発見。幹の直径は264m、高さ739m、最早ある種の化け物にも映る、常緑樹であった。
 科学者達の欲求は純粋であり、眼前に積み重なった疑問は膨大であった。
 終焉日起こさしめた基因は。AREA02の人類は何処へ消えたのか。生態系に新入したあらゆる種は何故生まれたのか…。そして【樹】の存在理由とは。全ての5W1Hへの道程は余りに長く、けれども科学者達は追究を止める事は無かった。
 終焉日に一度リセットされた世界の中で、彼等はひたすらに追い求める。新たに爆誕した世界で。そう、世界は一度滅びたのだ。現在使用されているのは第二次A01暦であり、旧世界“滅亡"から152年の後を数える。
 人の流れも変化した。とある契機を境にして、命知らずな者達がAREA02へと乗り出した。その行為自体が国際法に違反する重罪であるにも関わらず、押し寄せる時代の波に耐えきれず決壊した防波堤の様に、国際法は奴等を縛る事は出来なかった。
 《喪われた大地》の何が彼等を駆り立てるのか。時が経てば経つ程に、AREA02へ旅立つ者の数は跳ね上がった。
 ディアギレフもその一人である。こうして独房にぶち込まれているのも、それが理由だ。
 AREA02への違法侵入者の存在を、世間は何時しか【Walker】の呼称で賊として認識する。
 Walkerになると、無条件に国籍の剥奪がなされる。つまり、あらゆる対賊捕縛機関から追跡の対象とされるのだ。

100919
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