Auravictrix:本編 | ナノ

  Auravictrix 11 
----これは一体、どう言う状況だろうか。
 部下達との飲み比べに勝利し、気付けば眠っていたらしい。ふと眼覚めた身体は水を求めていた。
 ユグは手近にあったグラスを仰ぐ。ちきしょう、こいつァ酒じゃねぇか。
「そっちじゃねぇよ。ほら」
 横から差し出された手には水筒。カスティロである。
「…おー、サンキュ」
 酒に強いと言っても、些か呑み過ぎた。嗚呼、明日は酒が抜けるのに時間が掛かりそうだ。ユグは、重い頭で周囲を見渡す。
 他の奴等も随分と騒いだらしい。鼾をかきながら床と仲良く爆睡している。
 ふと目を止めた先。思わずユグは目を擦った。見間違い、ではない様だ。
「…何やってんだ? 船長(あのひと)」
 床に正座したディアギレフ。それを見下すのは、椅子に腰掛けたレギだ。見下ろす、のでは無く見下している。
「いや、あの。ですから」
 ディアギレフは非常に歯切れが悪い。その上敬語だ。大の大人が肩を落として身を小さくしている。
「それで、だな。レギ…さん」
 二人の周囲だけが氷点下だ。レギの瞳は冷ややかを通り越して、まさに"極寒"の二文字である。
「そんな訳で、チェルニチェヴァに行きたいなあ…と」
「……」
 無言の圧力。もとより鮮やかな水色の瞳を持つレギだ。氷塊よりも冷たい瞳と、ただただ続く"無言"。その効果は凄まじい。氷柱がグサグサと心を抉る。
「----へえ…成る程な。つまりあんたは、危険は百も承知で、燃え盛る火に飛び込もうとしている訳だ」
 挙げ句、カスティロに殴られて此処へ来た、と。沈黙再来。
「……」
「……」
「……」
「…ごめんなさい」
「ハッ」
 レギの失笑は精神的にキツい。ユグは無関係な筈の己が怒られている気がした。
 次に来るのは言葉の劫火か。けれども身構えたディアギレフの耳に届いたのは、思い掛けない一言であった。
「なら船長。針路の命令を」
「……それだけか?」
 てっきり説教と拳が飛んで来るのかと思っていたディアギレフは、寧ろ訝しんで問うた。
「カスティロに十分言われたんじゃねぇのか。あんたはそれを、ちゃんと理解して納得したんだろ」
 だったら俺がとやかく言う必要はねぇ。
「だからと言って、その女を信用するのは別の話だ。まあ、俺としてはこのままAREA02を目指しても何ら問題はねぇが」
 ディアギレフはぎょっとして、レギの言葉を取り消す様にして声を張り上げる。
「駄目だからな! よっし、針路変更。目指すは、チェルニチェヴァだ!!」
 ディアギレフの下知に、ユグはにんまりと笑って、胸一杯に空気を吸い込むと叫んだ。
「起きろ! 手前等ッ!! 持ち場へ就け!」
 戦闘だ。

  □ □ □

 我が声を聴け。
 始まりし、終焉(おわり)の中で_


 白光。
 視界の縁から正常な色彩が戻って来る。ああ、眠っていたのか。こうして目覚めるのが日常と化したのは何時からであったのか。それさえも忘れて久しい。
「おはよう。ニサ」
 聴覚は声を多層に拾う。数値、誤差予想範囲内です。クリア。背後の会話は遠い。
 それでいてはっきりとした、まるで、荘厳な鐘に似る、不変。
「よく眠れたかね」
「…は、」
 かせ。声が出ない。"正常"だ。何時も通りの症状。
 横たわる己の五体は動きが鈍い。何ら問題は無い。何本も繋がった脳波計測の為の、電子線。左腕には、血管へと続く針と細いチューブ。ニサは身体を起こした。
----此処は澱んでいる。
「一時間以内に食事を。ビショップ君と一緒に摂って来なさい」
 肩に掛けられた白衣は、嗅ぎ慣れた薬品の臭いが染み付いている。それが昔から変わらない、アーガスタスの匂いだった。
 万年筆が差し入れられた胸元のポケットには、簡略化された"太陽と雷"のマーク。【青冥に雷霆】のものである。
 ニサは白衣の前を掻き合わせた。寒い。
 ニサの素足が床に着く。ヒタリと冷たい。出口は何処だ。センサーに反応して自動的に開いた扉。室外は暗い。響く鐘の音。
 まるで親をなくした子犬だ。見付けた横顔に、彼女はぼんやりと思う。
 壁に背中を預け、軽く俯いた姿にデジャヴ。【SR】第零部隊をその双肩に背負う男は、ニサの目の前には居なかった。少なくともニサにとって、何時も彼は"シャーゼロック・ビショップ"でしかない。
「…よう」
 こうしてチェルニチェヴァでの非番の数日、ニサを待つのがシャーゼロックの常だった。以前に、そんな事をする必要は無いとニサはシャーゼロックに言った。その時彼は、俺がしたくて勝手にしているだけだと微かに笑い、ニサの頭を撫でた。
「俺の隊長室(へや)に飯、用意してある」
「そう、か」
 働きを取り戻した声帯。直に全てが元通りだ。繰り返される正常と異常の波。いや、寄せては返すそれに、境界線は遥かの昔に融解してしまっているのではないだろうか。この身に起きる出来事、それが全てだ。それしか無い。
「どうかしたのか」
「…いや、なんでもねぇよ」
 並んで歩く二人。ニサの視線は前へ。彼女の隣を行くシャーゼロックから、時折寄越される眼球の動き。
 本来ならば、ニサとシャーゼロックが歩く廊下は、【SR】の隊長達でさえ立ち入り禁止区域のレッド・ゾーンだ。それを堂々と破るシャーゼロックついて言及して来ないヒュドラストの判断基準は理解し難い。
 取るに足らぬ、些末な事だと思っているのか。それとも、泳がされているのか。
 真意は解らない。だが、ヒュドラストが儀式の様に繰り返される"これ"を、知っているのは間違いなかった。
「五時間と三十分後にはAREA02へ発つ」
 また暫くは会えなくなるな。シャーゼロックは呟く様にして告げた。ニサは何も言わない。
「"首切りギュスターヴ"が、AREA02へ進行中らしい」
 近頃は大人しかったんで、また派手に暴れてくれるんだろうよ。
 ギュスターヴ・ココ。その二つ名の通り、男の手に掛かった者達の多くが、首を落とされて命を散らして来た。悪魔より残忍な所行を大層好むと評される、大物Walkerである。
「シャーゼロック」
「うん?」
「食後は枕を所望する」
「ああ、そりゃあ良い」
 そこに男女の色は無い。

  □ □ □

『簡単な事なのだよ』
 せめて、同じ場所に。目線を等しくしたいと願った。視界に華奢な背中を映すのでは無く、隣に立ちたい、と。
 死に物狂いだった時期がある。若かった。どうしても、その場所が欲しかった。
 ニサもそれを見抜いて居た筈だ。
『彼女が無茶をしない様に、君が目を配らせて置けば良いだけの話だ』
 欲しかった。
『----だろう?』
 傍らに居なければ、ふらつく身体を支える事も出来ないのだと。そう、思った。
 ましてや火の粉を避ける、楯になる事など、出来やしないのだと。
 己に言い聞かせた。楯を持つならば、もう片手には"剣"を握る必要があった。
 シャーゼロックの場合、その剣の名は"地位"だった。第零部隊の地位と、それに付随する功績。その二つには、ヒュドラストに対する発言を許すだけの力があった。
 アーガスタスがニサに何をして居るのか、し続けて来たのかをシャーゼロックは知っている。
 こうして極閉鎖的な対人関係しか持たない彼女の食事相手になるのも、胎児の様に丸まって眠る身体を抱き寄せて髪を撫でるのも、結局は何も出来ずに居る自分に、心の奥底では気付いているからだ。後ろめたいのだ。その一言で済ませるには、余りにも安易だが、そうとしか表せない。
 もし、ニサにそれを言った所で、あやす様な眼差しをくれるのだろうけれど。
----大丈夫だ。お前は正しい。
 そう言って。

 嗚呼、これは贖罪だ。

101102
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