Auravictrix:本編 | ナノ

  Auravictrix 10 
 サー=ヴァルターギュ号の船内。夜間の灯式に切り替えた為に薄暗い廊下。足元をぼんやりと照らす白光。
 その入り組んだ廊下を迷い無く進む影がある。乗組員達が散々に騒ぎ、酔い潰れた宴席を離れ、男は船長室を目指す。
 カスティロ・ギーネはこの戦艦の医療方に属していた。
 これ程に大規模な戦艦である。当然ながらディアギレフを慕い、従う乗組員達の健康管理から、諸々の場面で負った怪我の治療、時には手術までと、全てを行う医療方の役目は重い。
 彼はその医療方の古参で、医療方を指揮する医務室長の地位にあった。
 人命を預かる職性でありながら、それ以前にカスティロはWalkerであった。つまりこの男、他の乗組員達の例に漏れず"らしい"性格をしていた。
「キャップ」
 自動ドアの前に立ち、カスティロは室内に籠もっているだろうディアギレフを呼ぶ。使用されている私室は---副船長の他に、各役職の責任者に与えられる---声紋に反応する。室内では扉横の壁面に嵌め込まれたモニターに、カスティロが映っている筈だ。
 短く高い電子音の後、扉が横に開く。船は限られた空間だ。生活用として設計された部屋の扉に、前後に開閉するものは一つとしてない。
「おう。どうした、カスティロ」
 何だお前、呑んでねぇのか。ベッドに腰掛けたディアギレフは、普段の笑みを浮かべて来訪者に声を掛けた。
「俺まで床に転がる羽目になったら、酔った奴等を介抱する指示は誰が出すんだい」
「いやあ、何時も御苦労だなあ」
 流石は俺の船員だ。続く笑い声は聞き慣れたものである。
「なあ、キャップ」
 カスティロは何ら違和感無くディアギレフに歩み寄った。余りにも自然な動作でディアギレフの胸倉を掴み、思い切り左頬を殴り付けたので、ディアギレフが反応に遅れた程だ。
「…あんたが部下を庇ったのは傷付いて欲しくなかったからだろう。でもって今、旨い酒も呑めずに医務室のベッドで寝てる奴等があんたを助けに行ったのは、あんたにくたばって欲しくなかったからだろうよ」「……」
 だから勘違いすんなよ。俺が今、あんたを殴ったのは、これからあんたがやらかす事に対してだ。
「命張ってチェルニチェヴァに乗り込んだ奴等がどれだけ怪我してるか知ってる癖に、また自分(てめぇ)の足でチェルニチェヴァに出向く気で居るどうしようもねぇ馬鹿は、一発くらい殴られとくべきだろ」
 なあ、そうは思わねぇかキャップ。
「---…違いねぇ」
 ディアギレフは胸倉を掴まれたまま、口角を上げた。口の端に血が滲む。
「だよな」
 ディアギレフが右と言えば右、秩序の全ては船長にある。だが、ディアギレフは部下達のこうした意見が必要不可欠だと常々思っていた。自分一人でサー=ヴァルターギュ号を動かしている訳では無いのだ。
 何より、見えていなかったものに、気付かされる事もある。
「まあ、好きにしろ」
 カスティロはディアギレフを放し、机に備え付けられた椅子を引き寄せる。脚を組んで腰掛けると、深く息を吐いた。
「で? 何が良いんだ」
「"何"?」
 あんたがそこまでするんだ、よっぽど良い女なんじゃねぇのか。
「え。いや、別に」
「……ああ?」
 何処が良いとか言える程、俺はあいつを知らねえし。さらりと返されたディアギレフの言葉に、カスティロは暫し閉口する。
「ちょっと待て。なら何で、その女に拘るんだよ」
「んー、何でだろうなあ」
 腕を組んだディアギレフは、斜め上に視線をやってベッドに背中から倒れた。ぼすっ、と言う音の後に静寂。
「なんかさ」
「おう」
「苛ついたんだ。すっげえ気持ち悪くてよ。むかむかした」
「……」
 あいつ、自分の事"自由だって"言った時に、すっげえ変な表情(かお)してた。
「俺としては、それが厭だった訳で」
----もっと広い世界をさ、見せてやりてぇなあ、と。
「…キャップらしいな」
「そうか? 普通だろ。あんな表情されたら誰だって思うさ」
 自覚しちゃいやしねぇんだ。このオッサンは。カスティロは思う。自分がWalkerで、相手は敵だとか、理屈ばかりがあれこれと先に来て、踏み出せないだなんて、この人には無いのだ。ある意味、利己的な考えなんだろう。自分が厭だから、来いだなんざ。
 けれど、だ。
 こんな男だからこそ、己は此処に居るのだ。この、サー=ヴァルターギュ号に。
「よし。良いぜ、そうと決まれば俺は治療の準備に取り掛からねぇとな」
「よろしく頼むぜ、室長さんよ」
「任せとけ」
 ディアギレフはベッドから身を起こす。右手を後ろ首に回し、首を捻ればパキッと骨が鳴った。
「さてと。なら俺は、もう一回殴られに行って来るかね」
 眉を下げながらも器用に笑うディアギレフに、カスティロは軽く敬礼の真似事をしてみせる。
「武運を祈るぜ」
 "あいつ"は手強いぞ。

  □ □ □

 それは全ての始まりだった。
 輪状の卓の中央、ある一木が立体映像化されて浮かび上がる。
 AREA02の何よりも奇異であると同時に、最も強く存在を主張する【樹:Tree】。
 ヒュドラストは縮尺された【樹】を見詰める。彼以外に卓を囲う者達は全て、【樹】と同じく映像だった。向こう側が透けている。
 その中の一人が、嗄れた声で告げた。
『AREA02では年々、異常現象の増加を確認している』
 何が起こるか、予測は不透明である。しかし、我々はあの異世界の謎を解き明かさねばならない。
『トルカッティーニ提督。ミケロ博士の研究は順調なのだろうね』
「私共はこの惑星の失われた南半球を観測対象にしております。一朝一夕で目に見える結果は望めません」
 それを踏まえてならば、全く問題なかろうかと。
「順調と言えるでしょう」
『結構だ』
 茂る"かさ"はまるで屋根だ。安からく憩える宿場。AREA02で最も古い"事象"。
『我々の使命は、新たな人類の未来を切り開く事だ』
 最早、この世界に【樹】誕生を、【終焉日】を己の記憶で知る人間は存在しない。
 初めて【樹】を目にした先人達は一体何を思ったのだろう。その巨大な生命力を前にして、恐怖を、感動を、畏敬を胸に抱いたのだろうか。
『所で、トルカッティーニ提督。ニサがまた船内を徘徊していたとか』
『監視体制はどうなっている』
『"あれ"の価値を努々忘れるでないぞ』
「心得ております」
 四方から寄せられる声に、ヒュドラストは薄い笑みを湛えて是と肯いた。
 そうとも。ヒュドラストは尚も言い募る"彼等"の言葉を聞き流し、心中で囁く。

 貴様等に言われるまでも無く、私は誰よりもそれを理解している、と。

101027
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