仁王御前異聞 | ナノ

  仁王御前異聞 1  
言葉にする。
自身の考えを、思いを、形にする事は大切なのだと乳母(めのと)が言っていた。
口に出す事で"宣言"となり、如何なる困難も乗り越える正の力に変える事が出来るのだと。
だから清白(すずしろ)は幼い頃からの教えを守り、高らかに宣言してみせた。
「貴方の妻になんか絶対にならないわ!」
  * * *

清白は乱世に生まれた娘だ。
乱世の、一国一城の主である父を持つ娘だ。つまり武家の女だった。
 戦禍の絶えない御時世の、武家の女の例(ためし)に漏れず、清白も家名と国土と人命を守る為に同盟の供物(くもつ)となった。
覚悟はあった。
それはいつか必ず訪れる未来であったし、母や乳母に"心得"を教え込まれて来たから覚悟はしていた。
流行りの物語集の様に劇的で砂糖を吐く勢いの恋愛なんてただの空絵事だと解っていたし、顔も名も知らない武将の元にある日突然嫁げと言われるのが国主の娘に生まれた女の宿命(さだめ)だ。
清白にとってのその"ある日"は三週間前の事だった。
両親と十六年間住み慣れた城に別れを告げて既に二週間。
側付きの景親(かげちか)と夏の炎天下の地獄峠を二日掛かりで越えてこの河陰(かわなみ)の国に来たと言うのに、
「なにあの、ふてぶてしい態度は!」
同盟を交わした河陰の城に入って三日目。
居住を許された奥の間で清白は激怒していた。
その証に彼女の左手に握られた扇がミシミシと悲鳴を上げている。
「姫様、扇が可哀想なことになっておりますよ」
景親の言葉に清白はハッと我にかえり扇を畳張りの床に置く。
一番気に入りの扇が使い物にならなくなっては一大事。別れ際に母がくれた扇だ。
清白が新たな犠牲者となる物を探す前に景親は高杯(たかつき)の懐紙の上に盛られた花林糖を無言で差し出す。
甘味に目が無い彼女は直ぐにそれへ手を伸ばした。
一国の姫とは思えぬ食べっぷり。
ガリガリと噛み砕いては次々口に放り込む。
「なによあんな、あんな」
苛立ちを的確に表す罵倒の言葉が見つからない様子の清白に、景親は湯呑みを渡しながら言う。
「くそったれ」
「そう!くそったれの崇光(たかみつ)が!ああっもう腹立つッ!!」
景親から湯呑みを受け取った清白は冷茶を一気に仰いだ。喉を過ぎる冷たさに、ひとまず落ち着く。だが気は済まない。

如何にして敵国を減らし結束するか。それが乱世を生き抜く基本だ。
清白の故郷である鬼庭(きにわ)と河陰の同盟内容は鬼庭の大姫(:長女)であった清白を河陰の嫡男の妻として嫁がせると言うもの。しかもその"条件"は河陰の総大将が提示して来たと言うのに、
「どうして、開口一番に"帰れ"だなんて言われなきゃならないのよ!!」
そう、あれは三日前。
険しく、急勾配で有名な地獄峠を花も恥じらうお年頃の娘としてどうなのかと言うくらい汗だくになりながらも無事に抜け、やっとの思いでこの仁王城に辿り着いた清白達を待っていたのは"数日の内に夫になる予定"の青年とその右腕らしい臣下との対面。
旅の汚れを湯浴みで清めて、一張羅の打掛を纏い、今後の人生を左右する"夫"との初顔合わせは、鏡池に幾つもの石橋が架かり、緑が美しい庭に面した部屋で行われた。
『お初お目に掛かります。鬼庭が国の松前葵十郎(まさき きじゅうろう)が女(むすめ)、松前清白と申します』
----殿方は御仏の化身。なれば妻は一心にお仕えし支えなければなりません。
そう言ったのは母だ。
----乱世で戦場に出る殿方の命は朝露の様に儚いもの。だからお前もいずれ夫となる殿御を敬わねばなりませんよ。
母の言葉に間違いなどありはしない。
だからどんなに冷めきった態度で迎えられようとも、清白なりに歩み寄ろうと決めていた。
けれど、だ。
彼女の挨拶の言葉に返る声は無かった。
それ所か、清白の目の前に座っても居ない。では何処にいるのかと問えば、彼は庭にいた。
清白に背を向けて剪刀(はさみ)片手に花の間引きをしている。
振り返りもしない。
『こんにちは。若君様』
一度ならば清白の声が届かなかったのだろうと、再び先程よりも大きく声を掛ける。それが三度。
彼の傍らには帯刀した二十歳半ば過ぎ程の男がいる。四度目にしてその近従と目が合った清白はにこりと笑ってみせた。
     ここまで読んだよ!感想
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