“おほかたに 花の姿を見ましかば 露も心のおかれまじやは”





「もしも世間並みにこの美しい花の姿を見たならば、露ほども心がこだわる事はない」

「…先生?」

「これは、実はすっかり心が囚われている…という意味なんですよ」

「…え?」

「僕の心もすっかり君に囚われてしまった」

「!」

「ねぇ、朧月夜に良く似た僕の可愛い可愛い生徒さん」

朧月夜に似るものぞなき。
朧月夜の美しさに比べられるものなど他にはないというこの一節は、まさに彼女のこと。僕を照らす月のこと。そう、それは君だ。



「陽子さん」





【花宴-はなのえん-】

IFの世界:Fan Book Special Story 〜 Version 黒子テツヤ(古文の先生/メガネつき)














「光源氏は何人もの女性と関係を持ちましたが、僕は違う。僕が愛してるのは君だけだ」

「先生、あ、あの…」

「あれ?二人でいる時は僕を何て呼ぶんでしたっけ?僕の記憶違いですか?」

「テ、テツ…、やっぱり呼べません!」

「可愛いですね、そういうところは相変わらず」

生徒指導室での密会は、光源氏が桜の宴の後で朧月夜と密かに愛し合った話と少し似ている。
僕のクラスの生徒であり、僕が焦がれてやまない愛しい人。世間には決して他言出来ないこの関係が、僕には影を帯びているようでとても心地良かった。

「陽子さん、君、さっきクラスメイトの紫原くんに肩を触らせましたよね?」

「あ、あれはむっくんが声をかけてくれたのに、私が気付けなくて、それで…!」

「言い訳は聞きたくないです」

僕は彼女を膝の上に乗せたままその口を塞ぐ。甘い吐息が溢れると分かっていながら、無理に、まるで噛みつくように彼女の唇を堪能する。
何度も何度も角度を変えて、息継ぎすら許さない口付けに彼女は少し苦しそうに僕の袖を掴んだ。

「ッ…」

「まだお仕置きの最中ですよ?息ぐらい我慢して下さい」

あまりに激しく彼女と口付けていたせいか、かけていた眼鏡が邪魔で一度だけ彼女を解放する。
口付けから解放された彼女は少しだけ咳き込みながら肩で息をした。

「…っはぁ、はぁ」

「そんなに苦しかったですか?これでもまだ優しくした方なのに…」

「だって…」

「それに、紫原くんのことをあだ名で呼ぶのも気に入らない。僕のことは“先生”で、彼は“むっくん”…ですか?」

「!」

彼女の全てを独占したい。彼女を閉じ込めて、鎖で繋いで僕の名前だけを呼ばせたい。
誰と口をきくことも許さない。誰に触れられることも許さない。彼女は僕の為だけに存在し、そして僕の為だけに生きればいい。

「陽子さん…」

「は、はい」

「深き夜のあはれを知るも入る月の、おぼろげならぬ契りとぞ思ふ」

「…先生?」

「現代語訳してみて下さい」

「え…?」

「朧月夜は見目麗しく、光源氏を大変魅了し二人は関係を持ちました。けれど、物語ではその後、朧月夜は一度姿を消すんですよ」

月のように美しい人。いくら愛し合っても足りないその肌も、その声も、その臭いすらも愛おしくてたまらない。
彼女の全てを手にしたい。彼女の全てを支配したい。心も体も彼女の時間さえも、全てをこの手で握りしめていたい。

「光源氏は愛し合った朧月夜を探して焦がれ続ける。見目麗しい朧月夜は…陽子さん、まるで君そのものだ。でも…」

「せんせ…」

「でも僕は…」





“僕の前から姿を消すなんて絶対に許さない”





誰からも愛される月は、生きる人間の希望で道標だ。僕以外の人間も分け隔てなく照らし、そこに道を照らす。
僕はそんなこと許せない。僕だけを見て、僕だけの名前を呼んで僕だけを照らしてくれればいい。だから僕は、その月を僕の影で全て覆う。

「だから、こうして繋いでおくのはどうでしょう?こうすれば、光源氏を残して一人消えたりすることは出来ないでしょう?」

「!」

鎖の先にある手錠で、彼女の両手を拘束し鍵をかけた。短い鎖はジャラジャラと無機質な音を立てて主張する。

「は、離して!嫌!先生、これ外して下さい…!」

「陽子さん、二人でこんなことをしているのに、僕がこの部屋の鍵を閉めていないのは…一体何故だと思いますか?」

「…え?」

「おかしいとは思わなかったんですか?鍵もかけずに君を膝の上に乗せて、君と何度もこうして口付けをするなんて」

「…ッ!」

もう膝の上で抵抗すら出来ない拘束された彼女の唇を奪い、そして舐めとると、彼女は声にもならない美しい息を溢した。

「はい、時間切れ。落第点ですね」

「!」

「この部屋はね、最初から生徒指導室なんかじゃないんですよ」

そう、僕が用意した誰にも気付かれないこの一室は、時間をかけ、防音にして、彼女を閉じ込める為に作った特別な部屋。それは存在さえも悟られることがない場所で秘密の部屋。誰も知らない、誰も見たことがない、設計図にさえ記載のない開かずの間。
月が姿を晦(くら)ませないように、光源氏が一人で焦がれなくていいように。そして月が僕以外を決して照らさないように、僕が用意した影の部屋。

「やっと捕まえた、朧月夜…」

「ち、違います!私は…!」

「沢山叫んでもいいですよ。どうせ誰にも聞こえないですから」

朧月夜に一瞬で心奪われた光源氏は、朧月夜にこの和歌を詠んだ。
先程僕が彼女に現代語訳を命じた、この愛の一節を。





“深き夜のあはれを知るも入る月の おぼろげならぬ契りとぞ思ふ”

(深き夜の情感を知る貴女と私は、入る月のおぼろげではない。強い前世からのご縁でしょう)





そして、物語では怯える朧月夜をよそに光源氏がそっと抱き下ろして戸を閉める。彼の思いがけない振る舞いに彼女はたいそう怯えるが、決して抵抗は出来ない。そんな彼女の怯える姿を見て、光源氏は更に心惹かれ恋焦がれるのだ。
これは、ある意味で今のこの状況ととても類似している。怯える彼女を見ていると、どうしても愛おしさが増してたまらない。

「陽子さん…」

「先生、せんせ…!離して!離して下さい!」

「はいはい、落第点のイケナイ子には今から特別に個別指導をしてあげますよ」

「!」

そして、花宴(はなのえん)の話はこう展開する。おろおろと震えながら「ここに人が…」と言う朧月夜に、光源氏が一言こう告げるのだ。





“まろは 皆人に許されたれば 召し寄せたりとも なんでふことかあらむ。ただ 忍びてこそ”

(私は何をしても許される身なので人をお呼びになっても構いません。ただこっそりと、二人で隠れていましょう)





「二人でここに…永遠に隠れてしまいましょう、陽子さん」

「で、でも…!」

「君さえいてくれたら、他にはもう何も要らないんです」

世界は君と僕の二人だけになればいい。そうすればきっと君は僕だけを見てくれる。僕だけの名前を呼び、そして僕だけを照らしてくれるだろう。
影である僕を見つけてくれた優しくて美しい月。愛おしい愛おしい僕だけの朧月夜。



「好きです、陽子さん」



僕はただ、君の愛に応えたいだけなんだ。





〜fin〜



※花宴(はなのえん)=源氏物語、五十四帖の巻名の一つ。第八帖。





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