「ありがとうございましたー」
綺麗な包装紙で包んだ花束を手早く整え直し、客である老婦人に笑顔で手渡した。
老婦人は嬉しそうにそれを受けとるとありがとうと礼を言って軽く会釈をして帰っていく。遊戯も店の入口まで着いていき「またお越しください」とにこやかに見送った。
だいたいの予算を告げられ後の花の選択は遊戯のセンスに任された注文だったのだが、今の花束は我ながら上手くできたと思う。
入院した主人の見舞いに持って行くのだと話していた老婦人の客も出来映えには満足そうだった。
花屋で働いているだけあって遊戯は花が好きだし、触れたり見ているだけで楽しかった。何よりお客さんが花で笑顔になってくれるのが一番嬉しい。
フラワーショップ「フィオーレ」は童実野駅の改札を出ですぐにある花屋だ。
香り高い薔薇を思わせる深紅を基調としたアンティーク系の店内はそれなりに広く、色とりどりに並んだ花や種、観葉植物などやガーデニング用品も少し扱っている。駅前広場に面した建物はガラス張りで、外からも中の花の様子が見えるため足を運びやすい作りになっていた。
人通りの多い駅の中にあり、すぐ近くに病院やホールといった施設が立ち並ぶ立地条件がいい店だった。いつも安定して客足のある店舗だが、平日の昼過ぎを回って人の出入りは落ち着いてきている。
武藤遊戯がこの花屋で働き出したのは、高校生になったばかりの時にアルバイトの求人広告に応募したのがきっかけだった。
家からも学校からも近く、駅中だからか意外と高い時給に釣られて始めたはいいものの、力仕事や覚えることも多く初めはとても苦労した。花屋の仕事を甘く見ていた訳ではないのだが、思ったよりハードで大変な職業だと知り、その分やりがいも感じた。
バイトを始めた頃は特に思い入れもなく片手で数えるくらいしか分からなかった花の名前もかなり覚え、今では花に携わるこの仕事がとても好きになっている。
高校3年になると遊戯の働きぶりが認められて正社員にならないかと店長に誘われた。
進路に悩んで進学かそれとも実家の玩具店を継ぐか決めかねていた遊戯はその誘いを受け、それからもう4年ここで働いている。
少数のスタッフで店を回しているため店長は現在接客を全て遊戯に任せ、店のワゴンであちこち配達に回っている最中だ。
今日は朝一から店に入って昼に店長が帰ったら休憩になっている。
遊戯は店内に飾られた時計に目を遣り、昼食について考えていた。
せっかく駅前にいるのでレストランに行ってもいいが、家から近い職場なので帰って作ってから食べても時間には余裕がある。
今月ももう終わりに近付いているから次の給料日までなるべく節約した方がいいのだが、出勤中に見かけたイタリアンレストランのパスタの新作も気になる。そういえば中華もしばらく食べていないなとガラス窓の向こうの中華料理屋を見遣る。
飲食店が充実している駅前周辺の職場は厄介だと遊戯は思う。特に体が空腹を訴えてくる今の時間帯はそちらばかり気になって目に毒だ。
遊戯の思考が完全に食べ物の所に飛んで行きそうになったとき、来客を告げるドアのベルが鳴った。意識を現実に戻して慌てて顔を上げた。
「いらっしゃいませ……わっ、」
訪れた客に笑顔を向けた遊戯の視界に飛び込んできたのは真っ赤なアネモネの束。
鮮やかな色にきょとんとして大きな瞳を瞬かせる遊戯の図上から、堪えた笑い声が降ってくる。遊戯を見て笑ったのはアネモネ───ではなく、頭ひとつ程上に楽しそうに笑う常連客の姿があった。
「これを、ブーケにして貰えるか?」
遊戯より数段高いスラリとした身長。シックな色合いのスーツと黒いコート上品に着こなし、鋭い瞳を優しく細めてこの店の常連客のひとりであるアテムが赤いアネモネを手に微笑んでいた。
「アテムさん。わぁ、驚きましたよ」
「すまない、驚かすつもりは無かったんだが……可愛い顔をしてぼんやりしていたから」
お腹がすいて食べ物の事でも考えていたのか?と鋭く図星を突かれて、遊戯は頬を赤くしてアネモネを受け取った。
店の外の飲食店を順番に見ながら昼食の事について真剣に悩んでいる姿を常連客に見られたのかと思うと恥ずかしい。遊戯は顔をうつ向けたままアテムの注文通りアネモネの花束を作り出した。
ほぼ同じ高さに切り揃えられている茎を花束にした時に形が整うようにレジの横に差してあったアレンジメント用のハサミで軽く切り、何ヵ所か手を加えて根本をまとめて固定する。
本来なら主役となる花とそれを取り囲む数種類の花とで花束を作るのだが、今回はアテムの注文に合わせて鮮やかな赤のアネモネだけの花束にする。プラスチックのフィルムを着せて包装紙とリボンを遊戯が丁寧に巻いていく間、アテムはじっと遊戯を見つめていた。
「お待たせしました」
しばらくの作業の後で遊戯は笑顔で花束になったアネモネをアテムに差し出す。
遊戯から見たら我ながら満足の行く出来だが、アテムは気に入ってくれるだろうか。ここの常連であり職業柄フラワーアレンジメントの類いを見馴れているアテムに自分の作った物を見られるのは密かに緊張する。
アテムはすぐには花束を受け取らずに花束と遊戯を優しげな目で見てから、ふっと笑みを溢してアネモネの花束を受け取っり、そしてすぐに恭しく遊戯に向けた。
「遊戯。俺の気持ちだ。受け取ってくれないか?」
まるで映画のワンシーンのように、向ける相手を間違えているのではないかと思うほど魅力的な笑顔を持って花束を手にするアテムは同姓の自分から見ても本当に様になるなと感心しながら、遊戯は「はい!」と笑顔になってそれを受け取った。
実はアテムが買った花を持ち帰った事は一度もない。
初めてこの店に来てくれた時から、アテムは購入した花をその場で遊戯にプレゼントするのだ。
初めはどうして花屋の店員にわざわざプレゼントしていくのだろうと不思議に思ったものだが、今は本人が言うようにアテムの気持ちだと思って素直に受け取っている。
今日仕入れたアネモネは形がよくとてもいい出来だ。嬉しげに貰った花束を見下ろす遊戯を満足そうに見てアテムは呟いた。
「今日も花が似合って綺麗だな」
「はい!今日のアネモネはすっごく綺麗ですよね」
「いや、花じゃなくて……」
脱力するアテムをどうしたんですかと見返しても、いや何でもないとがっくりしたまま返される。
遊戯がきょとんとしていると、カウンターを回ってレジのそばに入ってきたアテムに抱き締められた。花がつぶれないように慌ててカウンターの上に置くと、アテムは遊戯の肩に顔を埋めて腕の力を込める。
「アテムさん?」
「…最近忙しくて来れてなかったから……やっぱり落ち着くな、ここは」
「そうですか?それはよかったです」
「ああ。…はぁ……癒される」
忙しい中でもこうして通ってくれるだけ、アテムもここの花が好きでいてくれるのだろうか。
花が好きで花屋で日々働く身としては、アテムの言葉が純粋に嬉しく感じられた。彼の腕の中で遊戯もにっこり笑う。
そうしていると場違いに遊戯のお腹が大きく鳴った。
先ほどまで昼食のことが頭をぐるぐる回るくらい空腹だったのだ。アテムがこらえきれずと言った感じで吹き出す気配がする。遊戯の頬に熱が集まる。
「…ん、俺に抱き締められても平然としていたのに、今赤くなるのか」
「はい?」
「いや…何でも。遊戯、この後の予定は?なければ連れていきたい店の候補がたまってるんだ」
「行きます!」
ふたつ返事で鼻唄を歌いながらアテムの腕から抜け出すと、玄関のベルが鳴って遊戯が目を輝かせる。店長が帰ってきたのだ。
苦笑するアテムを急かして、扉を大きく開けて外の針葉樹の匂いを大きく吸い込んだ。
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