寮の玄関で靴を履いている後ろ姿を見かけ、かなではひょっこりと顔を覗かせてみた。



「どこか出かけるんですか?」



サイドを長くして輪郭を隠す黒髪の持ち主は突然声をかけられ少し驚いたように目を瞠る。


「…小日向さん」


振り返った場所にあったぽわんとした顔の少女は何の考えもなく話しかけてきたのだろう。
ぴょこんと跳ねた前髪を揺らしながら興味津々といった風に目をパチパチさせている。
芹沢は踵までぴったりと収まった靴をならしてかなでに向き直った。


「東金部長に頼まれて、これから買い出しです」


主に大会に関係ない類の。
消耗品系の。
何故自分が買いに行かなければならないんだという物ばかりの買い物リストに唇を尖らせたくなる。
しかしそれはかなでにはまったく関係ないことなので愚痴るわけにもいかず、僅かに眉を潜めるだけにして答えた。


「それ、私もついて行っていいですか?」

「は?」

「あっ、もしかして急ぎですか?」

「いえ、そういうわけでは…」


ないけれど、自分についてきたところで彼女に利益があるとは思えない。


「芹沢さんの邪魔でなければ…」

「あなたも何か買うものがあるんですか?」


かなでは首を横に振る。
その仕草にますます疑問が増す。
別に買い出しについてくる分にはまったく構わないのだが、用事もないのに外に出るのは面倒じゃないのだろうか。
自分だったら絶対御免だ、と思わずにはいられない。


「車ではないので暑いですし、時間もかかりますよ?」

「はい、大丈夫です」

「そうですか。それならどうぞ」


芹沢がそう告げると、かなでは嬉しそうに目を輝かせ靴を履き始めた。
先に玄関のドアを開けながら準備が終わるのを待つ。




太陽の光が眩しくてふと見上げた空はどこまでも広く青く、雲の行方はわからない。

盛夏、というのだろう。

並木から聴こえる蝉の声が一瞬止んで、また一斉に響き出す。
うるさいほどの大合唱にじわりと汗を滲ませながら、芹沢とかなでは寮を後にした。







駅前の大通りは夏休みということもあり人でごった返している。


「すごい人…暑いですね…」


パタパタと手のひらで顔を仰ぎつつ芹沢に顔を向けるかなで。


「ええ…本当に。小日向さん、大丈夫ですか?」


先ほどからフラフラと危うい足取りで色んな人にぶつかっている。
危機管理能力が薄いのだろうか。


「大丈夫です!きゃっ」


(ほら、また…)


言ったそばからよろけているかなでに芹沢は人知れず息を吐く。
小柄な彼女は人込みに埋もれやすく、きちんと背後を気にかけておかないとすぐにどこかへ行ってしまう。
眉を寄せながらかなでが追いつくのを待つ。

普段は自分勝手な東金と土岐に仕方なくついていくばかりで、自分が待つ側というのは少し新鮮だ。
ようやく近づいたかなでにまた障害物が降りかかりそうになって芹沢は思わず肘を掴んだ。
目で見るより、女の子の腕というのは随分細い。
かなでは驚きからか弾かれたように芹沢を見上げた。


「あ、ありがとうございます」


僅かだが、少し頬が赤くなったように見える。
掴んだ手をパッと離してくるりと前に向き直った。


「いえ、別に。…ですが、もう少し気をつけて歩いてもらえると助かります」


コホン、と咳払いをしながら言うとかなでは後ろでペコリと頭を下げた。
その拍子に芹沢の背中にかなでの頭がぶつかる。


「……」

「すっ、すみません!!」


距離もはかれないのだろうか。
芹沢は痺れを切らして盛大にため息をつく。
びくりとかなでの肩が震えたのがわかるけれどそんなことは気にしない。

これまで会ってきた女性というのは大概東金か土岐のファンで、自分勝手かつ図々しい人ばかりだった。
中にはプレゼントを自分で渡せないからと恥ずかしがり屋のフリをする女子もいたけれど、結局あとで「渡してくれた?」だの「どんな反応だった?」だの質問責め。
だから、正直年頃の女子というのはあまり好感を持てなかった。

けれどかなではそのどれとも違う。
用もないのに、自分と出かけたいとついてくる。
よく転ぶし、天然だし、ちっとも安心して歩けない。

こんな感覚は初めてだ。


「─小日向さん」

「はい?」

「俺の後ろを歩くの、やめてもらえますか」

「…え……」


かなでの表情が曇る。
それは、芹沢の目にも瞭然だった。


「後ろに誰かいるのに慣れてないんです。……すぐ転ぶし」

「あ…あの、やっぱり迷惑」

「ではなくて、こっちに来てください」


ぐい、と腕を引く。

避けるわけでもなく、前を歩かせるわけでもなく、ただ隣に引き寄せた身体にかなでの顔がわかりやすく朱に染まる。


「……顔、赤いですけど」

「へっ、やっ、これは、あの」


芹沢のひやりと冷たい手がかなでの額に添えられる。

すごく心地好いのだけれど、それと同時にまた体温が上昇し心臓が煩く響いて混乱する。



「熱…ではなさそうですが…」


「あ、はい!や!大丈夫です!」

途中に入った「や!」の意味はまったくわからなかったが、芹沢は手を離して普段の表情に戻す。
よく愛嬌がないと言われる顔だ。



「では、行きますか」


再び歩き出した芹沢に遅れないよう歩き出す。

彼の歩幅はそう広くない。
普通に歩いて充分並べるはずだ。
それなのに、


「わっ、た、っと…きゃっ!」


面白いくらいに人とぶつかる。
まるで縁日のような人の流れにかなでは焦った。
このままでは本当にただのお荷物になってしまう。
迷惑だけはかけたくないのに。

小さく首を竦めて服の埃を払い顔を上げてしゃんと前を向くと、三歩先で呆れたように片眉を寄せて芹沢が待っていた。
慌てて距離を詰めようとすれば、それを制止するように芹沢の方から近付いてくる。

そのままかなでの方に手を差し出して、



「─貸してください」





無表情のままそう言われて、かなではポケットからハンカチを取り出した。










「……あなた、バカですか」






芹沢は目を伏せたくなった。
どこの誰がこのタイミングでハンカチを貸せなどと言うのだろう。
当のかなでは困りきった顔で首を傾げている。




「手を、貸してくださいと言ったんです」


「す、すみません!!」



ハッとして急ぎハンカチをポケットに戻した途端、今言われた言葉を理解する。



(てっ、てっ、手ーっ!?)



ボンッと効果音付きで赤面するかなでに芹沢は遠慮なく手を取った。
手、というよりは手首と言った方が正しいかもしれない。


「放っておいたらそのうち交番にでも届けられそうなくらい危なっかしいんですから、ちょっとは自覚を持って、…寮まで我慢してください」


面倒を見なくてはならない大きな子供が、またひとり増えてしまった。
少し体温の上がった手から意識を逸らしつつ道を進む。


「芹沢さん、あの、て…手っ」

「我慢してくださいと言ったでしょう」

「手首じゃなくて…っ」


もう片方の手で芹沢の手を一旦解いて、きゅっ、と手のひらを握り直してみる。


「…こっちじゃ…ダメですか?」



真っ赤な頬で恥ずかしそうに、それでもへらりと笑ったその顔が芹沢の心に予想もしていなかったさざ波を起こす。

(─っ、)

不意打ちは、ずるい。




「あっ…すみませんやっぱり嫌─」

「だったら、とっくに離してます」


なんだかもう、変に吹っ切れて、かなでの手をしっかり握り返してしまった。

相変わらず赤い顔のままの彼女はりんご病かと疑うくらいに染まっていて、多分、それが伝染してしまったんだと思う。



「あれ…?芹沢さんも顔赤い…?」

「うっさいですよ、気のせいです。黙って歩いてください」



どんどん口が悪くなる芹沢に、どんどん胸が高鳴っていく。



「も、も、もしかして」


「何ですか」



「熱ですか!?」














「…本物のバカでしたか…」



馬鹿な子ほど可愛いと言うけれど。


「ひどいです…!」


あまりの抜けっぷりに、思わずかなでの髪に小さく口付けしてしまった。


「……」

「……あ」


ハッと我に返りすぐに顔を離せば、硬直したかなでの姿に吹き出しそうになる口元を押さえる。



「すみません、事故です」




我ながら白々しいけれど。

今はまだ、好奇心に負けたということにしておこう。






こんな天然ボケを好きになってしまっただなんて、口が裂けても言えない。



口が裂けたら、その時は



…観念して、認めなくもないけれど。




恋と変の中間

100601

……………………
やっと書けた…!
私はちょっとずつ口が悪くなっていく芹沢が好きです(笑)
イメージと違ったらすみません;


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -