1ヶ月というのは短いようで随分長い。

夏休みが終わり土岐は神南高校へ帰ってしまった。
毎日メールをして、迷惑にならない程度に電話もして、会えない距離を埋めようとしたけれどやはりどこか物足りない。
あれだけ毎日のように顔を合わせていたのだ。
当然と言えば当然である。


いつもと同じ授業が終わり、部活に顔を出してから寮へと戻る。


(疲れた…)


ようやく金曜日。
明日はゆっくり眠れると安堵の息をつきヴァイオリンケースを持ち直した。
右手で重い玄関を開ける。







「おかえり、小日向ちゃん」





そこにはいるはずのない人物が立っていた。
思わず目を丸める。
見慣れない私服。
普段よりもずっと大人びて見える。
かなでの反応に満足して口元に三日月を描く男は、他でもないかなでの恋人だった。


「土岐さん…!!」


驚いて、嬉しくて、本物かどうか不安さえ感じてしまう。


「どうして…?神戸じゃ…」

「あんたに会いとうて、車飛ばして来たんよ」


唇に人差し指を立てて悪戯っぽく片目を閉じればかなでの頬が朱に染まった。
土岐はふっと微笑む。
かなでのそんな顔を見られただけでも神戸から時間をかけてきた甲斐があるというものだ。


「…嬉しいです」

「それ聞いて安心したわ。…帰ってきてすぐやけどせっかくやし、ドライブ行かへん?」

「今からですか?」

「そ、荷物置いてから。そんな遅くならんように帰ってくるし…」

どや?とかなでの顔を覗き込む。
端正な顔が間近に迫って思わず一歩後退った。
嫌なわけではなく、緊張して赤面するのを堪えられない。
土岐はポケットから車のキーを出して指でくるくると回しながら返事を待っている。

ただ会いたいがために長時間かけて自分のもとに来てくれた恋人。
かなでが断れるはずがなかった。


「いきます、…行きます!」


コクコクと首振り人形のように何度も頷く恋人が可愛くて自然と頬が緩む。
神戸に持って帰りたい。
けれど、現実はそう都合のいいようには出来ていない。
だからこそ楽しいのだと、目の前の少女が教えてくれた。
もちろん、本人に自覚はなくても。


「ほな、車持ってくるから準備しとき」



寮の隣の駐車スペースに置いている愛車を玄関まで寄せるため、一度かなでに背を向ける。
そしたら、ぽふっとやわらかな衝撃が背中を襲った。


「…小日向ちゃん?」


首だけ振り返るように後ろを伺う。
荷物を抱えたまま広い背中に額をあてぐりぐりと頬を擦り寄せた。
土岐の匂いがする。
会えなかった日々が嘘みたいにかなでの心を満たしていく。

大袈裟な表現かもしれない。

だけどそれくらい1ヶ月という時間と、神戸という距離は長くて遠いのだ。
好きという気持ちは通常の思考まで麻痺させるらしい。


「…どないしたん?」


土岐が微笑う。

年上というのはこんな時でも余裕があるのかとかなでは体を離して見上げた。
顔には不服を浮かべて、唇には不公平だと書く。


「なんや、ご機嫌ななめ?」

「土岐さんは、我慢できるんですか?」

「?」

「…前みたいに、すぐ、ぎゅってするのかと思ってました…」


どうやら、会ってまだ一度も触れていないことにご立腹らしい。
少し会わない間に随分甘えたになったかなでに目を瞠る。
いつでも可愛いところは変わっていないけれど、以前なら言わなかった言葉が、しなかった行動が、堰を切ったようにポロポロ出てくる。

遠距離恋愛も案外悪くないと、心の中で笑みを浮かべた。


「可愛いこと言ってくれてまぁ…。俺も同じ気持ちやけど、場所がな…」


寮の前でそんなことをしていたら他の生徒に何を言われるか。
土岐は別に構わないのだけれど、かなでのことを考えると得策ではない。


「せやから、ほら。早う荷物置いといで」



車に乗った後、目一杯抱きしめてやる。


わざわざ会いに来たのだ。
そりゃもう息が出来ないほどに抱きしめて帰りたい。












車に乗り込むと、少し冷えた空気が身体を包んだ。
9月も暮れになればだいぶ涼しくなる。
着て行ける可愛い服が見つからなかったのだと制服のまま助手席に座るかなでの膝にブランケットをかけてやった。

「ありがとうございます」

夏には後部座席にいた彼女が、秋には恋人へと姿を変えて助手席に座っているのが妙に心地好い。
踏み込んだアクセルがいつもより軽いのは土岐の心と共鳴しているからだろうか。
スピードを出しすぎないように緩く戻してメーターを確認する。


「こうしてると、離れてるのが嘘みたいです」

「…せやな、ほんまに」

「大会が終わってから1ヶ月…あっという間でしたね」

「…せやなぁ」

「もっと近くだったら一緒にいられるのになぁ…」

「…………せやな……」


「もうっ、土岐さんちゃんと聞いてますか?さっきからせやなせやなーって、そればっかり!」


ブランケットをぎゅっと握りしめて頬を膨らませる。
運転してるからかもしれないけれどもう少しきちんと話して欲しい。
責められるような口調に土岐は小さく笑った。


「聞いとうよ」


信号にあわせてブレーキに足を乗せる。
ハンドルに肘をついて凭れかかりながら、顔を横に向けた。



「…俺は、あんたの声だけ聞けたらええ。他の雑音なんかいらん」

自分が話す時間なんか省いて、かなでの声を聞いていたい。


「で、でも…」

「ずっと会えんかったんよ?もっと聞いときたいわ。俺のことなんか気にせんと、喋って」


そんなことを言われたら、怒れなくなってしまう。
普段から静かな場所を好む土岐が今は自分の声だけを聞きたいと言う。
単純に嬉しい。
嬉しいけれど、そう思うのは土岐だけじゃないということに気付いて欲しい。


「嫌です」


キッパリと言ったかなでに驚いてしばし瞠目する。
あっさり断られてしまった。


「……ダメなん?」


「だって、私だって、土岐さんの声が聞きたいんです。それなのに私ばっかりで土岐さんは喋らないなんて…そんなのずるいです」

「小日向ちゃん…」



「土岐さんが喋らないなら、私も黙ります」


ムッと唇を固く結んで視線を逸らし、フロントガラスへ顔を向ける。
素直なんだか素直じゃないんだかよくわからないその仕草に挑発されるように、身体が勝手に動く。


「それはあかん」


耐えられる気がしない。
かなでの柔らかな唇に触れようとした寸前、シートベルトが肩に食い込んで接触を阻止する。
良いところで邪魔が入り眉を潜めながら土岐は止まった。

停車中でブレーキを踏んだままだということをすっかり忘れていた。
しかもタイミング良く信号が変わってしまう。


「あっ、青です」


閑静な町並み。
後続車も特にないけれど仕方なくアクセルを踏む。

車内は無言のまま、外の景色だけが流れていく。








(あ…れ?)



かなでは少し焦った。
土岐の言葉に反抗したつもりだが、もしかしたら怒らせてしまったのかもしれない。
どうにも落ち着かなくて、もぞもぞと無駄に動きながら様子を伺う。

運転する横顔は普段なかなかじっと眺められない。
輪郭にみとれて、かなではこっそりため息をついた。

その視線に気付いた土岐が唇を横に引き妖艶に微笑む。


海の見える公園のそばで、車は止まった。


「…土岐さん?」


夕焼けが沈む地平線はとても綺麗だ。
それに、どこか物悲しくもある。


「やっぱり、一日じゃ足らんわ」


「え?」


「ほんまは明日帰る予定やったんやけど、もう少しおってもええ?」



首を傾げて問いかける。
眼鏡のレンズが太陽の光を受けてオレンジ色に染まった。


「もちろんです!それなら寮が使えるかまた聞いて…」

「必要あらへん」

「えぇっ?!でも、泊まる場所がなくなっちゃいますよ?」


かなでは眉を下げた。
この辺りには学生が泊まれるような宿もないし、駅の近くにあるホテルも高いお金がかかってしまう。
許可がおりれば、寮に泊まるのが一番良いと思えるからすすめたのに。

それとも、他にあてがあるのだろうか。


考えられる限りの選択肢を出しながら運転席を見つめる。


しかし、土岐の答えはかなでが想像するそのどれとも違っていた。








カチャリ、と音がして土岐のシートベルトが外れる。






「一晩くらい、ここにおったらええやろ」




広い海に光が沈むと同時、近付いてきた深い影に呑み込まれる。


酸欠になりそうなキスをされたら、
もう、頷くしかない。





1ヶ月

100517

……………………
遅くなりすぎた1ヶ月記念SS。
土岐はせやなよりそやねって言う気がする(笑)いまさら。



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