ようやくコンクールが終わり、羽を伸ばすのも束の間。
かなでには大事な義務が残っていた。
「ひなちゃん、宿題は終わった?」
「大地先輩…それは言わない約束です」
ほろり、涙が出そうになる。
夏休みに毎日顔を合わせていたこともありオケ部の絆は以前よりぐっと深くなった。
「あはは、あと数日だからね。よければ俺が手伝おうか?」
神の申し出に胸の前で指を組み懇願するように目を輝かせて何度も頷く。
「ぜ、ぜひ…!!」
「君と二人きりの時間を過ごせるなんて光栄だな。練習が終わってから寮にお邪魔してもいいかい?」
「はいっ!」
勢いよく返事をしたかなでを妹のように可愛がる大地。
そしてまた同じく大地を兄のように慕っている。
そうわかっていても、心配なものは心配で…
「俺も参加させてくれ」
「律くん!」
「律…」
部室で二人が仲良く話している姿を見かけたらいてもたってもいられなかった。
「もちろん!ね、大地先輩!」
「…あ、あぁ。だけど律、お前もまだ終わらせてなかったのか」
「三人で一緒にやりましょう!」
「いや律がいるなら律に教えてもらえばいいんじゃ…」
「先輩、教えてくれないんですか?」
大地は内心苦笑しながら親友の宿題事情を案じた。
律を想えば身を引いた方がいい気もするけれど、かなで本人が服の裾を掴んで引き止める。
眼鏡の奥の視線が痛い。
「大地、用事がなければ俺からも頼む」
普段と変わりのない声音。
それがまた大地の悩みのタネを増やすことになった。
***
寮に移動して広間のテーブルを囲む。
かなでを端に座らせ、その向かい側に律が座り大地は間に立って移動する。
律は元々勉強できるため大地が教えることは少なく、ほぼずっとかなでに付きっきりで教えていた。
「─ってことなんだけど、ここまでわかったかな?」
「すごい…!私にも解けそうです」
かなでがパアッと明るい表情になれば自然と大地にも笑みが漏れる。
「……」
律は黙々と机に向かって問題を解いていた。
眼鏡のせいでまったく表情が読めない。
「大地先輩って教え方もうまいんですね!」
「いやいや、ひなちゃんが頑張ってるからだよ」
「先輩も寮に住んでたら毎日楽しそうなんだけどなぁ〜…残念です」
ピタリ、と律の手が止まった。
自分のノートに夢中のかなではそのことに全く気付いていない。
「…大地、」
「ん?」
律は腕時計をじっと見ている。
大地は素早く察して、やれやれ、と半ば呆れつつかなでから離れた。
「ごめんね、ひなちゃん。そろそろ時間だ。遅くなる前に帰ることにするよ」
「えーっ!あと少しなのに!」
「小日向、あまり大地を困らせるな」
(…よく言うよ)
平静を装う律に大地はちょっとだけ仕返しをすることにした。
「あ、そうだひなちゃん」
無邪気なかなでに顔を近付け律に聞こえないようにそっと耳打ちする。
「……」
「…………!」
悪戯っぽく笑みを浮かべる大地に、ポン!と一瞬で顔を真っ赤にするかなで。
「…大地」
「あーわかったわかった。それじゃ、帰るね。残りの宿題、頑張って」
急かされた大地はヒラヒラと片手を上げて寮を後にした。
二人きりになり、静寂が部屋を包む。
ノートを走るシャーペンの音だけがやけに耳に響いた。
「な、なんか響也遅いね」
「友人の家に泊まりに行くと言っていたから、今日は帰ってこない」
「そうなんだ」
夕食が済んでしまえば皆自分の部屋に閉じこもってしまうのか、誰一人としてラウンジを通らない。
「終わりそうか?」
「うーん、もう少しかな…。律くんは?」
「俺は終わった」
言うと同時、ノートを閉じる。
眼鏡を外しながら眉間を押さえる。
集中しすぎて少し目が疲れているのは、早く終わらせてかなでの宿題を見たかったからだ。
再び眼鏡をかけて課題とノートの端を揃えた後、席を立ってかなでの隣に移動する。
「わからない所はあるか?」
「え、えーと…」
丁度英語の問題を解いている途中だった。
「文法だな、俺も昨年同じものを勉強した。この単語は二重の意味を持つから─…」
なぜだろう。
ちっとも集中できない。
「聞いているか、小日向」
「え!?あ、はいっ」
「………。やはり、大地に教わる方がいいか」
心なしか、律の声が掠れて聞こえる。
「…情けないな。俺はお前に勉強すら教えられない。これでは飽きられても仕方ないとわかってはいるんだが…」
「律くん…?」
「小日向、隠さなくていい。大地のことが気になるんだろう」
かなでは瞬きを繰り返した。
「え?ええっ?」
どうしてそんな考えに辿りつくのだろう。
「なんで?!」
「何故って…それは、」
律は自分の喉が詰まるのに気付いた。
言いたくない。
「なんで大地先輩?律くん、私たち、付き合ってるんだよね…?」
「……そうだが、大地と一緒にいる時は、俺といる時よりも…その、楽しそうで……」
歯切れの悪い声がかなでの耳に届く。
なんとか誤解を解かなければと思いながらも、どこか嬉しく思ってしまうのは悪い事だろうか。
「……あの、もしかして、本当に………………やきもち?」
恐る恐る尋ねてみる。
律は無表情のまま堪えて、しばらくして、眉間に皺を刻んだ。
「…………悪いか」
かなでは、自分の顔に火がついたんじゃないかと焦った。
どんどんどんどん熱くなる。
「り、律くん……」
「大地の事が好きなら、はっきり言ってくれ。でないと」
「大好きです」
「……、やはり、…そうか。……俺はお前の邪魔を……」
「律くんが、大好きです」
そう言って、律に正面から抱き着く。
たった今、振られたばかりだと思っていた律は驚いて息を呑む。
かなでは嬉しくて嬉しくて、ただぎゅっと抱き着くばかりだった。
「こ、小日向…!」
「律くん、好き好き好き。大好き」
胸にぐりぐりと顔を埋める。
他のことなんて考えられない。
律は焦った。
「大地…は?」
「大地先輩はお兄ちゃんみたいな感じだよ?律くんとは全然違う」
「だったら、何故…」
「平気なんだと思ってた。律くん、あんまり私に構わないし。好きって、もしかしたら幼馴染みの延長くらいなのかなって…」
観覧車の中で言った一言を忘れているのかと、律は疑いたくなった。
確かに、自分といても楽しいのかわからないし、他の恋人たちがするような真似もできない。
それでも別の男に楽しそうに笑いかけているのをみればなんとも言えない気持ちになるし、こちらを見て欲しいとも思う。
本当に好きだからこそ、かなでが大地を想うならば身を引かなくてはならないと考えていた。
「あーびっくりした。でも、ちょっと嬉しい。律くんも、そんな風に思うんだってわかったら、安心しちゃった」
「……」
先程よりもぴったりと密着して背中に腕を回すかなで。
安心されても、困る。
「構って、いいのか」
「え?」
かなでの腕を取って少し背を屈め、背中から首に移動させる。
回された手が離れないように律はかなでの腰を引き寄せて、そっと顔を近付けた。
触れるだけのそれが、一気に身体を熱くする。
「い、いま…キ、キ…」
「俺だって、男だからな。油断されたら、困る」
少し赤くなりながら笑った律の顔が、とても鮮明に記憶に残った。
これ以上は耐えれなくて、慌てて離れようとするけれど律の手がそうさせてくれない。
「り、律くん…?」
「俺も好きだ。…もう少し一緒にいたいと思うんだが…ダメだろうか?」
大地が言った言葉は
実に正しかったのだと。
かなでは教訓にすることにした。
『…ふふ、あの律がやきもち妬いてるよ。彼氏の前であんまり別の男を褒めないように、ね?…普段真面目だからって安心してたら、どうなるかわからないよ』
もう限界
100415
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無邪気なかなでに律は日々困っているといいなぁと思います。
それでたまに我慢の限界を突破しちゃって急に焦り出す(笑)
…油断せずにいこう←