物心ついたときから、俺は周りに好きなことばかり置いて生きていた。乗り越えなきゃいけない英語も数学も、手を差し伸べてくれる友達がいるし、その先には楽しいことがあるんだって知っていた。それでも、気づかないうちに目に入ってくるものがある。
そいつのことを、俺はサケと呼んでいる。魚のじゃなくて、酒。俺たちの名字が同じだったから、区別するために付けた。そのときサケは、にやりと笑って「いいね、それ」と言った。
初めて会ったときから、サケは変な奴だってわかった。わかったけど、俺はあまり気にしていなかった。ちょっと前までは、よく一緒にバカしてたのだ。
「なにしたの、その服」
昼休みに姿を消していたと思えば、Yシャツの裾を汚して戻ってきた。サケは俺の表情を見て、喜んでいる。問題児によくある、無邪気な笑顔。
「ちょっと遊びすきた」
なにしたんだよって突っ込む暇もなく、チャイムが鳴って、俺の後ろに座った。教師が入ってくるのも気にせず、お気に入りのサイダーを取り出しシュワシュワと音をさせている。真っ先に注意され、クラスに笑いが漏れた。
サケの奇行は、学校でも有名だった。さっきのサイダーを振って爆発させたり、屋上から携帯を落とてみたり、校庭の木によじ登ってみたり、窓から飛び降りたり。いつも、いちごチョコレートの甘い香りをさせた口で、俺に変な話をしてきたり。
「サカイは、宇宙人は本当に存在すると思いますか」
「……いるね」
「おおー。その心は?」
「サケでしょ、宇宙人は」
俺はあくまで自然な返しをしたつもりだっだが、サケの表情は愕然としている。なにを間違えたか、よくわからない。
「僕は宇宙人じゃないよ」
「……わかってんじゃん。宇宙人、本当は信じてないとか?」
「まあね」
サケは得意げに、にやりと笑ってみせた。視線はゆっくりと外れていって、窓の向こう。もしくは、雲の上だろうか。
「誰だって、少しは変な人に憧れているでしょ。だから、僕は変人に憧れる凡人。……そういう風に見せたいだけ」
サケは口を開いたまま、ぽかんと外を眺め続けていた。机に置かれたチョコレートもサイダーも全部見えなくなって、景色をそのまま目に映しとるみたいに空を見つめていた。サケが考えているときの表情は、途端に彼に影を落とすのだ。
現実を考えたくない。現実を見られたくない。サケの奇行は、彼の現実との戦いであって、サイダーはきっと、思考を遮断するためのものだと思った。別に過去を消そうとしてる訳じゃなく、誰にも触れられないよう守るみたいに。そのくらい、彼女は特別なのだ。もちろん俺にとってもだけど。
「……サケは人間じゃん。人間らしい人間じゃん」
「はは、なにそれカッコ悪いなあ」
どこかに飛んでいってたサケの中身が戻ってきた。誰かに会いにいったんだろうけど、会えないことは知ってる。俺たちは、不可能が可能にならないリアルを、ちゃんとわかっている。
それでも、考えてしまうのはなんでだろう。不思議なサイクルで巡ってくる涙は、どこから来るんだろう。
サケの、にやりと笑った目尻から流れていく。
「だっせえ」
「……だっさいよ、どうせ」
俺は、サケに見られたくないから、帰ってから小さく泣いた。