「工藤」

 後夜祭が終わってから、私は体育館の外に出て、冷たい風にあたっていた。私を呼び捨てする人は彼だけ。だけど、なぜか振り返れなかった。心がスースーする。まるで、ヤザキと初めてケンカしたあの時みたいだった。

「……びっくりした?」
「びっくりしたよ。すごく」

 すごく、が強調されていて、なんだか怒っているように聞こえた。冷たい風が足元を通り抜けて、ヤザキの横髪が視界に入る。髪、けっこう伸びてたんだ。またそうやってぼうっとするのを、生徒のざわめきで心が制止した。

「……着替えてくる」
「ちょっと待て」

 ヤザキが私を掴まえて、観察するように見た。頭から足の先まで何度も往復している。手の体温がまた、あの日を思い出させる。私は堪らなくなって抵抗した。

「あ、えっと」
「うわ、ごめん!」

 手首がするりと自由になって、どうしようもなくなる。ヤザキの手は片耳を隠すように当てられて、顔は俯いていて目が見えない。沈黙のあと、私は聞いた。

「……ヤザキはさ、私が浴衣着て嬉しい?」
「え? そりゃあ、嬉しいよ」
「それはよかった」

 私がはにかむと、世界はいつも通りの空気に包まれて、それをヤザキも感じとっている気がした。安全圏に入って、心臓の音は気にならなくなる。声の調子も、砕けた感じに出せるみたいだ。

「なんで?」
「ヤザキを喜ばせたいなと思って着たから」

 風が強く吹く。アップした髪は多分もうめちゃくちゃだろう。

「……なんで、」
「くしゅん!」
「ふっ…………ごめん。風邪引くから着替えてきて。もう大丈夫、ちゃんと見た」

 目を細くして笑いを漏らしたあと、口元だけ緩めて微笑んだ。古びた蛍光灯のせいなのか、ヤザキの瞳の色が違って見えた。いつか見た真面目な顔とは違う。少しだけ自嘲を含んだ、そんな感じ。

 私は、その不思議な感覚にうっとりしながら、更衣室で着替えを済ませ、もう一度彼に会いに行く。ヤザキアユム、17歳、私の友達。新鮮だった響きさえ、今は日常化してきて、少し頭がおかしいんだ。
 白いワイシャツに適当に結ばれたネクタイは、普段の私達そのもので、夜なのに、まるで今から授業が始まるみたいな気分にさせる。文化祭は終わってしまったけど、また静かに学校が始まっても、私は脱力したりしないだろう。

 名前は忘れたあの人の言葉は、一瞬で私を独りにさせようとする。一方で、「一生」なんて言葉を使った人が近くにいた。
 今あの言葉を思い出して、それはギターに乗せられて、好きな歌が頭に浮かんだ。胸は同じリズムを取って、私に訴えかけてくるようだった。


title by 貴方の唇に届かない

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