「これやるよ」
そう言って投げ渡されたのは、レモンサイダーの飴だった。私が暇そうにしてるのを見かねてくれたんだろう、口に入れると大好きな香りが広がる。
「ありがとね」
「……ん」
彼は振り返らずにそのまま返した。別にそんな心配しなくてもいいのに。私にだってやることはある。
私は3メートル程離れた場所で飴をカラカラさせながら眺める。いつも通りのネイビーのカーディガン。私よりは暗い茶色に染めた髪は、右だけ跳ねていた。その向こう側から風が吹き抜けて、包まれたような気持ちになる、これが私の好きなことだ。目が離せなくて、時間が止まったように、彼が振り返るのを待つのだ。この2時限目が終わるまで。
「お前いつまでいるんだよ? 単位落としても知らないぞ」
彼は姿勢を崩し、フェンスに寄りかかる形になっただけで、振り返らない。話しかけたのは、きっと授業終了の召集がかかったからだ。今週の彼の楽しみも、私の楽しみも終わる。
「融が撃沈するまで」
「お前な……」
やっとだ、不機嫌そうな顔して振り返った。10分程しか経ってないのに、久しぶりな気がする。にかっと笑ったら、口の中でサイダーがはじけた。
「それに。勉強は教えてくれるでしょ、融が」
「はいはい。……だけど俺は言わないよ、最後まで」
薄く平べったくなって、私は彼の瞳の中から消えた気がした。視線が定まらない。嫌い、だけど羨ましくて仕方がない。なんとなく、わかってはいたはずだった。ずっと彼が見ているものを、知らないフリをしていたんだ。染み出した酸味がどくどくと喉につたっていく。
生まれるのは、切なさなんて綺麗なものじゃない。
――カシャ。
「おい、何撮ってんだよ!」
「題名、黄昏の融……保存」
「お前最悪! 消せよ」
最悪なのはお前だよ、バーカ。
080923