普通じゃない日が終わって、朝になる。教室の扉は、前ほど重くなかった。だけど、いきなり全てが変わってしまうことだってあるのだ。だから私は、不自然なほど慎重に過ごした。
隣の席の女の子とは、話したことがなかったのに、今はすごく優しい。もしかしたら気付かなかっただけで、前からそうだったのかもしれないし、本当に意識的に変えたのかもわからない。私は冷たくもせず、あくまで謙虚な姿勢でそれを受け続けた。
「また明日ー」
「う、うん」
帰りのHRが終わって、誰よりも早く教室を抜け出す。図書室に行きたい。前はそれが逃げ道だとは思ってなかったのに、どうしてそうなってしまったんだろう。
「あ……もう、帰るの?」
教室を出てすぐ、男子にぶつかりそうになる。あまり覚えられない人の声も、これならわかる。ベージュのカーディガンを着たクラスの人気者、昨日のあの男。私は右足を一歩後ろに返して拒否を示す。それを見た彼は、悲しい目をした。
「……昨日のことは謝る、ごめん。今までのことも、すごい、ごめん」
なんで頷いてるんだろう。先生に言ったことに矛盾している。それでも頷くことしかできなかった。一言でも吐いたら、決壊してしまうと思った。
「仲良くなりたいんだ。ゆっくりでもいいから、信じて。……もうあんなことしない、させないから」
やめてくれ。そんなに俯いて、消えそうな声で言われたら、許してしまいそう。心が痛い。私は、許すのが怖い。
「だ……だめ。忘れられないから、信じられない」
左足を引いて、どうにか距離を取る。その隙間に落ちる涙を両手で隠した。なんで泣いてるんだろう。嬉しいのか悲しいのか、もうわからなかった。一番奥には、恐怖と憎悪があった。
「信じられないから、一生好きにならない」
ああ、なんて残酷な言葉。こんなことしか言えない。仲良くして下さいって言えるほど、私は無鉄砲じゃないから、しょうがない。彼が傷付いたって、結局はおあいこでしょう。
彼の顔を見ないまま、その場を離れる。おそらくお互い俯いてるから、何も見えない。私の涙も見えない。ゆっくりと向きを変えて、階段を下る。彼は追ってこなかった。
図書室の古びた扉の前で、深く息を吸って、濡れた頬をこする。湿っぽく冷えた空気が、かえって私を安心させた。
目に飛び込んでくる無機質な活字の羅列。教室より明るい蛍光灯と暖かいストーブ。まるで温室みたいに、私を迎えてくれる。蔵書部屋のぱさりと本の捲る音がして、ほっとした。