最後に見たのは夕焼け空、トラック、君の手、光、どれだっただろうか。とりあえず轟音と共に僕は宙に飛んでいって、落ちた。僕はぐったりしている自分の体を眺めていた。落ちなかった何もない僕は、発狂した。
感覚が何もない。しばらくしたら月が出てきて、僕は死亡したのだと自覚した。冬の夜空の中、ただぽかんと浮いていて、寒くもないのに体を震わせて、泣いている。なぜ僕なんだ。まだこんなに若いのに……。やり残したこと、と言うほどの強い後悔はないのに、焦燥感が増す。 戻りたいと思った。
僕は飛び方を掴んだ。風を切る感覚がないから、動いてるのかも分からなかったが、確かに景色は変わっていった。商店街はイルミネーションで彩られて、綺麗だった。そこで、人々は当たり前のように生きていた。とても美しい、命が欲しい。僕は飛んだ。
飛んでいると、今の自分に少し規定があることに気づいた。人が住んでいる地上から100メートル程度しか浮くことはできない。腹は減らないが、疲れは感じる。それは肉体的ではなく精神的なものだ。そして、その疲れは回復しないようだ。僕は、眠れなかった。
――終わりが近づいていく。
そっと囁かれた気がした。
僕は先を急いだ。疲れた心をどうにかして、動き出す。僕は本当の死を迎えるまでに、もう一度会いたい人がいたのだ。
気付かなかったが、僕は死んでからもう3日経っていた。そして今は、クリスマスイブの真っ昼間であった。飛ぶのは走るのと同程度の速さであって、期待はできないらしい。低空飛行しつつも、誰とも目が合わない気持ち悪さ、幽霊も便利じゃない。
僕は彼女を探していた。死ぬ寸前まで一緒にいた人で、尚且つ僕の死の瞬間を見た人。ショックを与えたに違いないが、それでも確認してみたかった。
彼女をようやく見つけたのは、葬儀場だった。僕の遺骨は、たくさんの人に触れられたあと、ゆっくりと運ばれていく。思い知る。もう戻ることなんてできないと。地上までこんなに近いのに。
「どうしてだ……!」
「気さくな、いい人でしたね」
「ひょっこりと帰ってきそうなのに……」
親戚や友人は、ぼそぼそとそんなことを口にした。彼女は隅で泣いていた。
「僕がいなくなって悲しい? 悲しいか。そうか」
泣く彼女を見て、悪い気はしなかった。僕の死を愁う人がいることに、心底ホッとした。そんなことを考えた僕は、既に死を受け入れていたのだ。そばにいても、涙を拭けないなら、それならば泣いていてほしかった。僕が消えるまで、永遠に。
しかし、僕が主役でいられるのも時間の問題だった。式は終わり、食事を済まして皆帰っていった。暗い気持ちを切り替えるようにクリスマスのムードに飲まれていく。むしろ、今日葬式をさせたことが、悪いことのような気がしてきたのだ。僕が悪い訳じゃない。だけど僕だけが死んだ。僕はいない。
当たり前だが、彼女の涙の線も途切れた。ソファに体を休めていた。もう3日も経ったのだ。ずっと泣いている訳にはいかないのは分かっている。だから、僕は彼女の部屋でじっと待っていた。僕は疲れていた。
「忘れないで、忘れないで」
聞こえていない。
「……僕がいたこと、忘れないで!」
彼女はうっすらと目を開けた。聞こえたのかと期待して、彼女にそっと近付くと電子音が鳴った。来客であった。
彼は彼女の顔を見た途端、抱きしめた。すっぽりと収まって震えながらまた泣き出す。僕は意外にも冷静だった。疲れているせいもあった。彼は、確か彼女のいとこだったか……そんなことはどうでもいい。僕はもういない。彼女のそばにはいてやれない。
ならば。
「どうか幸せに」
誰かさんの悪戯だろうか、彼女が振り向いて視線が交差した。死後初めてのことだった。愛おしい赤い鼻、その涙は僕のもの。ふっと笑みがこぼれて、僕は「好きだ」と呟く。
意識が朦朧とする中、彼女の涙が止まる。反対に、僕の目はおかしくぼやけていた。夜の街の光がどこまでも続いている。僕は、高い高いところへ行く夢を見た。
体を追うように、心は消えていった。
081011