チャイムが鳴る。
私の席は、一番後ろの窓際、みんなが羨ましがるところ。午後の風は清々しくて、カーテンがふわふわするのを眺めているうちに、黒板はさらに遠くなる。先生のキンキン声も、心地よい小鳥たちの歌に変わった。机に頭を乗せると、カリカリと板書する音が聞こえだす。前の男子生徒が、ふわああっと欠伸をする。赤茶色の髪が私の心を捉えて、意識があるのに視界から外れない。私は誰なんだろう。なんでここにいるんだっけなあ。
夢の中で、私とヒロセがキスしてた。夢だけど。学校でこんなこと考えるなんて、私はなんて淫乱な女になってしまったのでしょう。ふ、淫乱だって。自分で思ったくせに笑っちゃった。
もう少し前まで私は女じゃなかったはずなのに、いつの間にか女になってた。近所を走り回ってた友達もいつの間にか女になってた。きっと、ヒロセが男になったときぐらいからだ。
私はヒロセを追って、この高校にやってきた、ヒロセの友達だ。本当は幼なじみって言うのかもしれないけど、子供っぽいから、私は友達と言うことにした。それに、幼なじみってなんかいやらしいでしょって、中学のときに女の子から言われたのだ。「えり」
教室のざわめきの中で、ヒロセが振り返って私を呼んだ。唇が、夢に出てきたそれと全く同じで、恥ずかしくて笑ってごまかした。
「うわ。えり、髪ぼっさぼさ! 爆睡すんなや」
「タンジェント君が出てきた時点で、私の数学の知識全部ふっとんだ」
「俺、ちゃんと数えたぜ? 先生が今日松本さんを指した回数はなんと7回!」
「うわあ……昨日より2回増えました博士」
「先生のロリコン疑惑が更に濃くなりましたな」
ぎゃはははは! いつものように教室に笑い声が響いた。何人か振り返って私たちを見てるけど、もう気にならなくなった。気にしたい人は気にすればいい。私たちはもう完璧に異性で、完璧に友達なんだから。
ヒロセは、私の部屋にも躊躇いなく入ってきて、私のベッドで寝たりする。テレビ観たりゲームしたり、たまに勉強して過ごす。だから今日もいつものように、一緒に下校して、家に帰ってきた。
「まだ寝たりないー。おやすみ」
そう言ってヒロセは寝てしまった。今日もまた香水の匂いがついちゃうんだろうなあ。私は床に座り込んで、彼の赤茶色の髪をぼんやりと見つめた。
そして、唇から目を逸らす。どうしてあんな夢をみたのだろう。ヒロセの無防備な寝顔に、どくどくと罪悪感が生まれていく。
「ヒロセ、ごめん」
もう、無理だったみたい。中学のとき、ヒロセと噂になったときはもう、とっくに友達じゃなかった。周りの子の恋の話を聞いては、ヒロセのことばっかり考えたんだよ。ね、これじゃ友達失格でしょ?
「えり、泣いてんの?」
涙を見られたなんて、女丸出し。気持ち悪い。
「……えり」
「ヒロセはさあ、なんで彼女作らないの? 作ろうとすれば、すぐできるでしょ」
「……えりだって、作んねえじゃん」
「うん。だって私はヒロセが好きだもの」
ヒロセの顔が目の前にあって、夕日が髪をさらに赤く染めていた。真剣な顔が、ただのクラスメートの男の子みたい。それが愛おしくて、くすぐったくて、私はすらすらと言葉を紡いだ。
「ヒロセ、私もう、友達やめるから」
「……わかった」
夢の中で、私とヒロセがキスしてた。ちゅっ、といやらしい音が部屋に響いて、私は呼吸困難に陥ってしまっている。ばいばい、私の友達。ばいばい、子供だった私。心の中で呟いては、ヒロセのキスであっという間に汚されてしまった。
「名前で呼んでよ。昔みたいに」
私は言われた通りヒロセの名前を呼ぶと、その大きな手が、私のネクタイをさらっていった。
夢じゃなかった。
091229