悲しいのなら泣けばいいと言ったら、泣いてはいけないのよと返された。声が大きくて、僕はびっくりした。泣いたらいけないなんて、そんなことはない。だって今まで僕は、そう教えられてきた。先生の話や道徳の授業、ポピュラーソングだって許しているだろう。友達の慰めだって、テレビの中の人たちだって、僕の勝手な涙を許している。だから泣いた。今まで何度も泣いた。数えられないくらい、どうして泣いたのか思い出せないような、つまらないことでも泣いた。
 いつしか僕は、泣くことが好きなのかもしれないと思った。クラクラするほどの体の熱。止まらない嗚咽。頬をつたう涙の冷たさ。勝手にできる水たまり。反復しかできない思考。そして、涙が途切れる瞬間の、焦りと絶望。

「馬鹿じゃないの?」

 彼女の声は、さっきより弱く響く。冷たく鋭い瞳は、きっと僕が泣こうとするのを抑えつけているんだろう。彼女の耳には、小さなイヤリングが揺れている。

「あんたは、馬鹿だ」
「それならば、君は阿呆だね」

 それしか言えなかった。彼女が綺麗で、目が離せなくなった。この世のものとは思えなくて、背筋が凍る。
 僕は、今までにない恐怖を感じていた。人間の体というものは、なぜこんなにも複雑なのか。なぜその小さな体から、ただ視覚として機能する目から、水がこぼれるのか。不思議だった。悲しみを示すそれが、僕の脳に知らせるのが怖かった。自慰をしているようで、虚しかった。いつまでも溺れていたかった。
 彼女は愚かだ。僕が泣くのを全否定した本人が、僕のために泣いていた。泣かないでと喘ぎながら、水がいっぱいになった瞳で僕を責める。震える細い手が、僕の手を握りしめた。

「なにを泣いているんだ。僕にはわからないよ」

 口にすれば、それは囁くように小さな声だった。彼女の手は冷たくて、死んでしまうのではないかと思った。反対の手で、彼女の涙に触れる。すうっとつたって、僕の指を濡らした。いとしいいとしい生き物の、僕のための涙。それは、とても怖かった。抑えられなくなって、彼女を抱きしめる。泣かないで、と囁く。

 そのとき気づいたのは、僕は泣くことより、やっぱり彼女にキスをするほうが好きだってことだ。

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