窓から入って来た夏の匂いを乗せた風が、髪の毛をくすぐる。 「名前、髪長くて良いなぁ」 向かい合ってお弁当を食べていた友達が不意に箸を止めた。 「そういえばずっと伸ばしてるね。何か願掛けでもいしてるの?」 からかうような口調で問われ、「まさか」と返した。 好きな人に髪の毛を褒められて伸ばしたり、願掛けをしたりなんのは、少女漫画でよくあるパターンだ。 ありきたりでつまらなくさえある。 現実であるわけがない、馬鹿らしい…なんて、一年前まではそう思っていたのだけれど。 「あれ、髪の毛何かついてるよ」 伸ばされた手が、彼に重なって見えた。 確かあの日も、こんな心地良い風が吹いていたから。 目が覚めたのは八時過ぎ。 驚いて何度も時計を見直すけれど、巻き戻る様子は微塵も無い。 急いで会談を駆け下りれば気が付いた母が呆れた顔をした。 何度も起こしてあげたんだから、もう知らないわよ、なんて言われれば責める相手は自分しかいまい。 朝食という二文字を頭から追いやって支度をした。 何しろ、遅刻をしたら風紀委員会からの罰があるともっぱらの噂なのだ。 彼らに関しては良い噂など聞いた試しがない。 息を切らしながらも並中までの道程を必死に走る途中で、チャイムの音が聞こえた。 (そ、そんな…) 絶望的になりながらも校門に辿り着くと、思いも寄らない人物が立っている。 まさか、委員長自らがいるなんて。 遅刻確定のベルを耳にした時よりも絶望を感じながら立ちすくむと、くす、という小さな笑い声が届いた。 「かなり頑張って走って来たみたいだね。でも残念、もう遅刻だよ」 「う…はい…」 どんな罰を言い渡されるのかと沈みながら涼しげな顔を見上げると、手がこちらに伸ばされるのが見えた。 女子に手を上げた例を聞いたことがないから安心していたけれど、まさか、と思って目を瞑るとまたくすくすと聞こえる。 「髪、綺麗だね」 思いもしなかった言葉と、髪の毛に指を通されたことに思わず体がびくっと反応すると、それにもまた楽しそうに彼は目を細めた。 「はい、髪の毛についてたよ」 手を出すよう促されて差し出すと花びらが乗せられる。 少し触れ合った手のひらが、何故か少し熱い。 「あ、りがとう、ございます」 「次からは、気をつけるんだよ」 そう言って踵を返そうとする彼に思わず見惚れていたけれど、そういえばと思い出す。 「あっ、あの、罰則、は…?」 遅刻すれば付き物だというそれを口にすれば、振り返って目をぱちくりとさせた。 「ワオ。見逃してあげたのにわざわざ自分から言うなんて正直者だね」 「えっ、」 「クスクス…じゃあ、はい、罰則」 墓穴を掘ってしまったのかと慌てれば、笑いの混じった吐息が額にかかる。 「?……ひっ、雲雀さん?!」 何をされたのか理解するまでに数秒掛かった。 (ま、まさか、でこちゅー…?!!) 唖然として自分で分かるくらい真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる私を雲雀さんは楽しげに見やると、頭をぽんと撫でて歩き出した。 「じゃあね、」 「ねえ聞いてる?」 「うわっ!」 突然友達の顔がドアップに映って後ずさる。 「髪の毛のゴミ取ったよ」 「あ、ああ、うん」 どうやら自分の世界に飛んでしまった頭を正常に戻しながら受け答えると友達は変な子、と笑った。 「まあアンタが変なのは今更ね」 「ひっ、ひどい!」 笑いながらお弁当の具を一つ奪ってしてやったりと食べると、教室口からクラスメートが自分を呼ぶ声が聞こえた。 それは何故か怯え気味で不思議に思いながら弁当を机に置いてからそっちをみれば、クラス全体が凍り付いているのがわかった。 「ひ…雲雀さん?!」 驚きを隠せないまま立ち上がって急いで駆け寄れば、「良い度胸だね」と低い声で言われて近くにいた人がビクつくのさえ伝わってきた。 何かしただろうか、と必死に考えても思い当たらない。 困り果てて口をぱくつかせれば、彼の眼光が和らいだ。 「僕を待たせるなんて、ね」 「へっ?」 呼ばれた覚えなんて…と首を傾げると笑った気配がしてすぐにさっきの友達のようにドアップの顔が映る。 ただ、それが雲雀だということが思考を停止させて。 「っん!」 唇を啄ばまれて頭は完全にショートする。 (あれ、これ、夢だっけ…?) 音を立てて離れた唇に思わず視線が釘付けになって、雲雀はそれを知ってか知らずか赤い舌で自分の唇を一舐めした。 色気に意識すらやられそうになりながらも何とか保つとまたクスクス笑いが聞こえていつの日かみたいに髪の毛を触られる。 「あれから君が来るのを待ってたのに、いつまで経っても来ないから僕が来るはめになったよ」 「あ、あれからって…」 「今日で丁度一年だよ、まったく。君の髪も大分伸びたね」 忘れた、なんて言わないでしょ? なんてついさっき思い出していたように、けれど現実で額にキスを落とされる。 「じゃあ、放課後に応接室ね」 雲雀さんはそれだけ言うとあの日のように頭をぽんと撫でて踵を返した。 突然のことだらけに頭がパンクしそう。 あれはただの気紛れだと思っていたのに。 彼に触れられた髪の毛に女々しく願掛けをして、この思いは胸に秘めておこうと思っていたのに。 まさか彼が待ってくれていただなんて。 嬉しさで涙が込み上げる前に、教室が大きな歓声で沸いた。 |