はあ…とため息を吐き出した。圧巻。すごかった。かっこよかった。楽しかった。すごかった。小学生か!というレベルの言葉しか思い浮かばない。胸がいっぱいで、気持ちを表す言葉を見つけることができない。夢見心地のまま席を立って人の波に乗った。
会場の外に出ると穏やかな風に包まれる。ここに来る途中は燦々と照っていて私を汗だくにさせた太陽も既に沈んでいて、昼間に比べると幾分か楽な暑さだ。
地下鉄に乗り込んで三駅。バス停の最寄駅で降車してから辺りを見回して、ファミレスで視線を止めた。バスの時間まではまだ暫くあるからのんびり夕ご飯タイムとしよう。居酒屋のキャッチをスルーしてメニューに思いを馳せた。さあて何を食べようかなあ。

ハワイアンロコモコ風プレートに追加して頼んだデザートまで平らげたところで、清算してバス停へ向かった。出発まで三十分だから良い頃合いだ。
バス停に設置された椅子に座るとじわじわと蒸し暑さが襲ってくる。風はたまーに温いのが吹くだけ。…暑い。五分我慢してみても涼しくなってくれるはずがなく、じんわりと額に汗が浮いてきた。駄目だ暑い、アイス食べたい。ナビを起動してコンビニを検索した。ええと、ここから一番近いところで徒歩五分。時計を確認すると、出発まであと二十五分ある。よし、ちゃちゃっと行って来よう。

折角の素敵な日なのだからと、ちょっと奮発して買ったのはハーゲンダッツ。クッキーアンドクリーム、グリーンティー、ストロベリーで悩んでストロベリーを選んだ。
自動ドアをくぐって鞄の口を広げる。財布を片付けようとすると後ろからぶつかられて鞄を落としてしまった。手にしていた財布が前方へ吹っ飛んで行く。コンビニへ来ようとしていたのだろう男の人の足元に辿り着いた。急いで鞄を拾って取りに行かなきゃ、と思って屈むと、また後ろからぶつかられて前のめった。何なんだ、今日はぶつかられる日なのか。二連続とかついてない。歩くときは前見なさいってお母さんに教わったでしょうに。コンクリートがめり込んで痛い手のひらと膝に衝撃を受けていると、ガッと音がした。重さのある布が、アスファルトを擦るような。
「っ、待て!」
アルトボイスの叫びが前から聞こえてハッと顔を上げると、ジャージを着たおじさんが私の鞄を持って走って行くのが見えた。そっかぶつかったのは意図的だったのね…なんて考えてる余裕はない。立ち上がろうとするも手に力を入れると痛みが走った。ひい、と声が漏れる。追いかけられない私の代わりに、前方にいた男の人が走って行った。財布の飛んだ先にいた人で、さっき叫んだのもこの人なんだろうと思う。男の人は若さの差か運動神経か、おじさんとの距離をぐんぐん縮めていく。気付いて焦ったおじさんは、私の鞄を思いきり振りかぶった。…待って、ちょっと待って。
「避けてー!!」
「えっ?…うっ…!」
ごめんなさい、遅かった…。私の鞄がお腹にめり込んだ男の人は地面に叩きつけられてしまった。おじさんはその隙に全速力で走り去っていく。ううう、手と足が痛いけど、そんなこと言ってられない。痛みを我慢して立ち上がって、男の人のもとまで走った。
「すみません、大丈夫ですか…?」
尻もちをついている男の人の隣にしゃがみ込む。頭を上げた男の人の髪が流れて、顔がこちらに向けられた。うっわあすんごい美形…。
「こっちこそごめん、これは拾っといたんだけど…」
そう言って渡されたのは財布だ。あ、さっき吹っ飛んだ時に拾ってくれてたのか。となるとおじさんは財布の入ってない鞄をひったくったことになる。携帯は服のポケットに入れていたし、盗み損じゃないか。
「ありがとうございます、お財布あって助かりました…!あの、お腹、大丈夫ですか?」
「うん、気にしないで」
とは言うものの、男の人はさっきお腹を抑えていた。痛いに違いないのだ。だって、
「すみません、私、鞄に何でも詰め込む癖があって…」
そう、鞄の中がごっちゃごちゃなのである。自分でも重いなーと思っていたそれを振りかぶられたら、痛くないわけがない。申し訳なく苦い顔をすると、男の人がハッと目を見開いた。
「そうだ、俺はいいけど、君は?さっき押されて…」
言われて、自分の手のひらと膝を見る。手のひらに砂が入り込んでいるし、膝はストッキングが破れて血が滲んでいる。…ダメだ、痛い。見てしまったら一気に痛みが帰ってきた。目に涙の膜が張るのを感じる。
「ああ、やっぱり怪我してるね。大丈夫?俺の家近いから、良かったら手当していく?」
「いや、そんな迷惑かけられません!家に帰ってから手当てするから大丈夫です、ありがとうございます」
…ん?家に帰ってから?何で?…バスで。…あああ!
「バス!バスのチケット!!」
慌てて財布を開ける。お札入れに入ってるのは、お札、と、公演のチケットだけ。バスのチケットは…。
「もしかして、バスのチケット、鞄の中…?」
「はい…」
「どこ住み?」
「新潟、です…」
「…バスって、チケットないと、乗れないよね?」
「はい…。それに、多分、もう出発したかも…」
「新しく乗ったりは?」
「一か月前からの発売なんですけど、夏休みだから、多分もう売り切れてます…」
何てこった。公演の為に遠征してきて、帰れないなんて。もう一度財布の中身を見る。所持金、三千円。五千円持ってきていて、二千円は夕飯に使った。クレジットカードは、ない。キャッシュカードも、ない。万が一スられることを考えて家に置いてきてしまった。それが裏目に出るなんて。何てこった…これじゃあ、新幹線に乗ることも、ホテルに泊まることもできない。ビジネスホテルは疎か、ラブホテルにだって泊まれないだろう。
「あ!」
「うん?」
「明後日と、来週のチケットも、鞄の中だ…」
張り切って取った公演のチケットは財布の中だけど、交通手段が盗まれた。今日帰ることもできないし、どうにか帰れたとしても、明後日と来週観に来ることはできない。痛みで膜の張っていた瞳から、違う理由で水分がポロッと零れた。自分だけじゃないんだから泣いちゃだめだ、と言い聞かせても止まってくれない。色んなことがごちゃごちゃになって泣き声まで漏れる。ごめんなさい、コンビニへ行ったタイミングが合わなかったばっかりに、面倒事に巻き込んでしまってごめんなさい。せめて汚いものは見せないようにしようと両手で顔を覆った。
「…うん、わかった」
男の人がそう言って、頭にポンと手を置いた。
「とりあえずうちにおいで」

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -