リリリリリ…リリリリリ…。

初期設定のままのアラーム音が遠くで聞こえる。眠い、まだ起きたくない。でも確か二度寝用のアラームを消したはずだから、これは……いや、違う。本アラームで起きれなくて、何回目かのスヌーズでやっと気が付いて、かなりの寝坊で急いで支度して、会社に…着いてない。そうだ、何かにぶつかって…。ということはここは病院?でも身体のどこも痛くないし、アラームの音が未だ鳴っている。あれはいやにリアルな夢だったってこと?

ぽやぽやする頭のままでとりあえず手を伸ばす。手探りで携帯を持ってきて重い瞼を開けるが、画面は真っ暗いままでアラーム機能は表示されていなかった。いつの間にか音が止んでいる。不思議に思いながら画面を点灯させてみた。

「…?…えっ…え、えええ?!!」

一気に眠気が覚めて飛び起きた。待ち受け画面に表示されている愛しのわんこベストショット、これは問題ない。それに被さって表示されている文字が大問題だった。

4/1 09:15

そんなはずはない。だって今は秋のはずだ。最近は一段と冷え込みが強いから、そろそろ冬服の準備もしないとなあって思ってたのだ、まさか冬を飛び越えて春が来るだなんてそんな。

今が本当に四月一日だとすると、わたしは半年以上にも及ぶ盛大な夢を見ていたってことなんだろうか。それともタイムスリップでもしてしまったのか。…どれもありえない。一番有力なのは、今現在が夢で起きたら病院か車っていう考えだけど…ここは現実だよって眠りから覚めた頭が告げている。

あーもうどういうことなの。わからん。もう一回寝ちゃおっかな。起きて事故後なら問題ない。痛いのは嫌だけどね。

携帯を握ったままベッドに横たわる。待ち受けのわんこは相変わらず可愛い。ふわふわの毛に真ん丸おめめ。

「…ん?」

かわいい、のに違和感がある。日付じゃなくて、それ以外に。わんこはいつも通り。日付を除けば携帯に異常はない。それ以外に違和感ってことは…?顔の前に持ってきていた携帯を下ろしてみる。目に映るのは、部屋。見覚えのない、綺麗な部屋。

ぞわっと一瞬で全身に寒気が走る。寝てしまおうなんて気は吹き飛んだ。もっとまじめに考えないといけない。体を起こして部屋を見渡してみた。わたしの部屋より広いけど、物が何もない。今わたしのいるベッドだけがぽつんと置いてある。窓が一つと、ドアが一つ。なぜか寝具はまるごとわたしが使っていたものだ。だから気付くのが遅れた。

例えば、ただ“知らない部屋で目を覚ました”だけなら、誘拐だとか、事件の可能性があるんだけど。実際にはそれだけじゃないわけで。家を出てからのどれにも、説明がつかない。異様な恐怖のせいで鳥肌が立ちっぱなしだ。誰かにどうにかしてほしいけど、ここにいるのはわたしだけ。自分でどうにかするしかない。…嫌だけど、ドアを開けなきゃだよなあ。とりあえずここはどこなのかを把握しないと。

恐る恐る立ち上がってドアノブを捻ってみた。

「…えっ広い」

現れたのはリビング。対面式のキッチンが付いているから、正しくはそこにダイニングキッチンも続くのかもしれない。ずっと実家暮らしだったから部屋の用語とかよくわかんないけど。そして家具などは相変わらず何もな…あれ?自然に設置されていたから気付かなかったけど、角にテレビが置いてある。うちにあったのよりも大きい。それからキッチンもよくよく見てみれば、電子レンジ、オーブン、炊飯器、冷蔵庫が置いてある。モデルハウスみたいに綺麗だから違和感がなかった。多分全部新品。

自分が出てきたのを除いて、リビングにある扉は二つ。ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な。決まった方を開くと、また扉が。あれっこれって、と思いながら開けると予想通りにトイレで。閉じてから廊下を通ると今度は引き戸が登場。

「おお…ドラム式」

お目見えしたのは洗濯機に洗面台。ってことはその奥の擦りガラスはお風呂に繋がるわけだ。ガラリ。

「うわあ…」

何かさっきから感心ばっかりしてる。だってすごいんだもん。理想の家像、みたいな。使ってた洗濯機は未だ縦型だったしね?お風呂だって、ちょっとカビキラーしたほうがよくね?みたいなタイル張りで、浴槽はギリギリ二人入れるかなーくらいのものだったし。なのに。

「でかい…」

余裕で足が伸ばせるだろっていう広さのバスタブ。こんなお風呂にゆったり使ったら癒されるんだろうなあ…。
後ろ髪を引かれながらリビングに戻って、残った扉を開けた。少しだけ廊下があるもののすぐに広い玄関が見える。置いてある靴は一足だけ。かれこれ二年くらい愛用してるパンプスだ。そろそろ新しいの買わなきゃだなって思いつつも、一目惚れできるものに出会えなくてそのままな一品。くたびれてるから、埃ひとつ落ちてない玄関と微妙にマッチしてない。

さて、外に出てみるかな。家の中に全く気配がないから、恐る恐るなんていう気持ちはかなり薄らいできていた。…というのに、いざパンプスに足を通した時、予想だにしなかった音が鳴り響いた。

ピーンポーン…ピーンポーン…。

冷や汗がドバっと吹き出た。来客?ここがどこだか自分でもわかってないってのに?鍵がかかっているのを確認してから居留守を考えるが、すぐに声が続く。

「お届け物でーす」

…誰に?出た方がいいのかもしれないが、この状況で知らない人に会うのは怖い。…あ、そういえば。リビングに何気なくモニターがあったことを思い出す。確かああいうのってインターホンと連動してるはず。パンプスを脱ぎ捨ててからリビングまで走って見てみると、確かに運送会社の制服を来たお兄さんが立っていた。荷物もあるから嘘じゃなさそうだ。マイクボタンを押して、聞いてみる。

「あの、誰宛てですか?」

「みょうじなまえさま宛てになってますが…宜しかったでしょうか?」

わたし宛て、だと…?何で?どうして?全然宜しくなかったけどお兄さんを放置するわけにもいかないので「すいません合ってます、今出ます」と通話を切った。…え、まじでどういうこと?

開錠してドアを開けると、お兄さんが箱を二つ玄関に置いた。そんなに厚くない箱と、そこそこ大きい箱。

「判子かサインをお願いします」

「あ、サインで…どうも」

ペンを借りて指された場所に名前を書く。二枚とも書いて、ペンを返して。お疲れ様でしたーと見送ってから、ちょっと待てよと思う。さっきサインした紙。急いでサインしたから他の場所は見てなかったけど、視界の端におかしい文字が映った気がする。

「はあ…?」

箱に貼られている送り状を確認して、思考が一瞬止まった。住所欄がおかしい。神奈川県。…神奈川?!ここはどこだろうっていう疑問が番地単位で解決されたけど、知りたいのはそういうことじゃないんだよ。どうして神奈川?一回旅行で中華街に行ったことがあるだけで、こんなところに住んだことも住む予定もなかったのに。余計にわけがわからなくてオーバーヒートしそうだ。

とりあえず、箱を開けてみよう。きっと何か手がかりがあるはずだ。ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な……薄い方、君に決めた。ベリベリっとガムテープを剥いで開封。幾つか封筒が積み重なっている。

ひとつめ、無地の封筒。判子と、通帳。めくってみて目が点になる。残額が、記憶と違う。引き落とされる保険料やら携帯代やらを除いた分を全額下ろしているから、ほとんど入ってないはずなのに。三のあとにゼロが五つ。わたしの給料の二倍以上だ。

ふたつめ、宛名部分に印字。準備資金。さっきのと違って糊付けがしてある。破らないように開けてみると…何この諭吉パレード…。ちょっと待って、何の準備をわたしにさせるつもりなんだ?

みっつめ、下方に印字。RIKKAI UNIV。…?英語?ローマ字?

「り、っかい、ゆに……。……?!!!」

エッ。本日最大の衝撃がわたしを襲った。事故よりもランクが上だ。だってありえない。ありえない。心臓がどっくんどっくんとざわめきだした。嫌な予感がする。汗ばむ手で中身を出した。きらめく校舎、佇む自然、充実した設備、清く正しく制服を着用した男女。パンフレットを握りしめて洗面所までダッシュした。さっきは鏡を見る余裕なんてなかったけど、まさか、そんな、ことは…

「あったよ…」

鏡の中に映っているのはわたしであってわたしじゃない。残業疲れでボロボロになった肌はどこにもなくて、ついでにどうにかCカップまで育った胸もなくて。ハリのある健康的な肌に、Bあるか怪しいちっちゃい胸。髪の毛の長さは変わらないけど、カラーリングされていない。格好はなぜか出勤時のままで、服に着られている感が満載だ。背丈とか胸とか。

力なく玄関に戻って、座り込む。とっくにキャパオーバーですぐにでも眠りたいけど、そういうわけにもいかない。開梱作業を終わらせないと。

よっつめ。宛名、みょうじなまえさま。コトの説明が書かれているかと思いきや、中身は何故か箇条書きだった。

・生活費
毎月支給。今月分支給済み。
・準備費用
配布済み。
・持ち込み物
必要最低限と思われるもの。寝具、その他別箱。
・住まい
支給済み。最低限オプション有り。その他は準備費用にて。


一番重要な説明は、無しかよ…。パンフレットと自分の身体を見て理解しろってことなのか。確かに、見ればわかるよ。わかる、けれども。あんまりわかりたくない。

つまりここは、日本だけど、わたしが今までいた日本と少し異なって。何年も前の容姿になっていて。何度もそんな設定の話を読んだことがあるなぁ、と遠い目になる。

一年前、友達に薦められたスポーツ漫画のタイトルは有名で、わたしも知っているものだった。絵柄が苦手だし、今から読むには遅すぎるし…なんて思いつつも、暇だったから何となく読んで。そうしたら予想以上に面白くて、熱くて、気が付いたら全巻家に揃っていた。大人買い怖い。お財布に大打撃でした。最初の内はただたんにストーリーが好きなだけだったものの、もともと二次物が好きだったこともあって色々と読み漁り、こんな解釈もありだなーこんなキャラ設定もありだなーと十人十色な彼らを見て、考えて、もっと深く好きになった。社会人なんだからいい加減に現実で恋しろよって親は呆れてたけどね。

今になって思えば、もっと早く自分の置かれた状況に気付いたっておかしくなかったのかもしれない。よくある話だったから。だけどあれらはあくまで“お話”だ。どんなに感情移入して読んでも、いいなって思っても、彼らに「愛してんよー!」って思っても、現実にはありえないことで、彼らは実在しないんだってことをはっきりわかっていた。だから、いくら気付けるフラグが散らばっていたって、そんな可能性を候補にあげることは考えつけなかった。

「一体全体どうなってんだ世界…」

何かの拍子におかしくなっちゃったのか、もとからこんな茶目っ気があったのか、わたしがおかしくなったのか。三番目じゃなければいいと切実に願いながら、最後の封筒に手を伸ばした。

よっつめ、無地、でかい。厚い。すっごい重い。思わず破りそうになりながら持ち上げて、中身を出す。

「…なるほどね…」

入っていたのは服や日用雑貨品から家具まで何でも揃ってるカタログと、神奈川の観光雑誌。付箋がついているページをめくると、洋服店や雑貨屋、ショッピングモールの紹介が書かれていた。準備費、と書かれていたお金の使い道はこれなわけだ。生活を始めるための準備。家具までっていうのは面倒だけど、準備用のお金は用意されていたわけだし、書かれていた通りに料理するためのものとか、必要最低限のものは最初からあるし、重いものはカタログで頼むこともできるし。頑張れば、どうにかなる、のかな…なるといいな…。

底が見えたダンボールを押しやって、もう一つの箱を引き寄せる。その他、別箱って書いてあったけど、何が入ってるんだろう。ベリベリ音を立てながらオープンザボックス。…おお。無意識に声が出た。これは結構気が利いている。まず、化粧道具やらスキンケア用品やらが詰まった、生活するのに必須な花柄ボックス。それから、数年前に一目惚れして買ったふわっふわの白いバッグ。中身はいつも入れてるものがそのまんま入ってる。ハンドタオル、ポケットティッシュ、ウェットティッシュ、化粧ポーチ、お菓子、予備の割り箸、筆箱、財布。一応財布の中身を確認してみると何も変わってなくてびっくりした。少ない所持金はもちろんだけど、免許証まで入ってる。幼くなったのに、いいのかなあ…まあ、入ってるってことはいいのか。使う機会はないんだろうな。

これにて開梱終了。携帯を点灯させて時間を確認すると十時半。まだ一時間ちょっとしか経ってないことに驚きだ。気持ち的には一日が終了した感じ。精神的な疲れがピークにきそう。眠っちゃいたい。…替えの服も食料もないから、そんなわけに行かないか。家具はあとで頼むことにして、早速観光雑誌を開かないと。可愛いお店がいっぱいで気になるけど、一度に済ませたいからとりあえずはショッピングモールだな。と、ここまで考えてふと、あれっと疑問が浮かぶ。…何か、足りなくないか。

首を捻ると同時にインターホンがなった。デジャヴュである。

「どちらさまですかー」

「あの、先ほどの者ですがお届け物一つお渡しするのを忘れておりまして!」

ドアを開けるとすぐに、何十分か前に見たお兄さんが現れた。玄関に座り込んだまま荷物を開け散らかしているわたしを変に思ったのだろう、少し視線を感じたが特に気にすることではない。

「サインでお願いします」

「あ、はいどうぞ」

借りたペンでチャチャッと記名。失礼しましたーと帰るお兄さんに二度目のお見送りをしてから三度目の開梱。

「足りなかったのはこれか…」

疑問解決。入っていたのは制服でした。パンフレットだけじゃどうしようもないもんね。

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