*1
桜みたいなペールピンク、女の子だなあって感じさせてくれるローズピンク、気分の上がる元気なレッド、ついこの間一目ぼれして買っちゃったやわらかい色合いのマカロンシリーズ。花柄のボックスに入ったたくさんのマニキュアの中からお気に入りを厳選して、どれを塗ろうかうーんと悩む。私が爪に塗るのはいつもピンク系か白の混じったやわい色で、持ち物もピンクが多いから、周りからもそういう認識をされている。確かにピンクは好きだ。可愛くて、見ていると癒されるから。一番好きだった。だから、友達とかが知ったらちょっとびっくりするんじゃないかなあと思う。持っているマニキュアの中で断トツに多いのは、ピンクでもマカロンカラーでもなくて、青だ。半分以上、ううん、四分の三くらい、青で埋まっている。ベイビーブルーにパウダーブルー、ヘヴンリーブルー、コバルトブルー、シアン、セルリアンブルー、色の名前を覚えきれないくらいくらいたくさんある。残念なことに青系を塗ってもあまり似合わないから、手には塗っていない。ひっそりと、つま先を彩っている。それを知っているのは周ちゃんだけだ。冷え症で、夏でも靴下の手放せない私のつま先まで見ることができるのは。青を私の特別な色にした、周ちゃんだけ。
マカロンパープルとローズピンクの間で指を迷わせていると、にこやかに見ていた周ちゃんがマカロンイエローを手に取った。
「たまに黄色っていうのも、いいんじゃない?」
それを聞いて悩まずに「そうだね」と頷くと、周ちゃんはおかしそうに笑った。
「パープルとピンクはいいの?」
「いいの。周ちゃんが選んでくれたの塗りたいもの」
「クス。そう言われると嬉しいな」
マカロンイエローの小瓶を渡してもらいながら、周ちゃんの指先に目が行った。細くて長い指の先に、これまた細くて長い綺麗な爪が生えている。羨ましいなあと見るたびに思っていて、それが声になってこぼれた。
「やっぱり周ちゃんの爪私より綺麗。塗ってもいい?」
「ええ?塗ってもって…マニキュア?僕が塗ったら変じゃない?」
「ええー絶対綺麗なのに。…じゃあ透明!透明ならいい?爪の保護だと思って」
爪の保護って、と押し気味な私に周ちゃんは笑った。そんなに塗りたいの?と聞かれて力強くうなずくと、仕方ないなあと言いたげに目元を和らげて私にその綺麗な指先を差し出してくれた。
「どうぞ、お姫様」
「やったーありがと!」
自分に塗る予定だったマカロンイエローは後にして、ボックスの中からトップコートを取り出す。ジェルネイルみたいにぷっくりなるやつ…じゃなくて、普通のほう。ぷっくりしたほうが可愛いだろうけど、わがままで塗らせてもらうんだから、早く乾いた方がいいだろうし。
恭しく受け取った周ちゃんの指先にトップコートを塗っていく。緊張してちょっと震えながらも、なんとかはみ出さずに塗り終えた。うん、綺麗。周ちゃんの指先がきらきらしている。周ちゃん自身がきらきらしてるから、男の人なのに何にも不自然じゃない。
周ちゃんはどうぞお姫様って言ったけど、どっちかっていうと受け取る側の私は王子様ポジションなんじゃないかなと、乾くのを待ちながら思う。ふーふーと何回か息を吹きかけて大丈夫そうなのを確認してから、そっと指先を持ち上げて第二関節の辺りに唇を押し当ててみた。へたくそなリップ音を立てて離れると周ちゃんは目をぱっちり開いて私を見ていた。
「ふふー王子様のマネ。びっくりした?」
「いや…びっくり、っていうか…」
「ていうか?」
「誘われたのかとおもった」
「さそ、?!」
「これもう乾いたの?」
「え、う、うん」
「じゃあいいかな」
「え、」
「なまえのマニキュアは、あとで塗ってあげるから」
自分のマニキュアのことなんてもうすっかり頭になくて、ただ急にスイッチの入った周ちゃんにびっくりしてただけなんだけど、大好きな、特別な青色がぼやけてしまう距離で滲んで見えたから、もうなんでもよくなってしまって、全部周ちゃんに委ねた。

*2
周ちゃんはいつも痕を残していく。耳の後ろに、胸元に、太もものやわいところに、お腹のすみっこに。唇で挟んでやさしく吸い上げられると、思わず身を捩ってしまう。周ちゃんが触るところはどこも気持ちがいい。
「ん、ぅ」
小さく声を上げた私に、お腹に赤いしるしを付けていた周ちゃんが顔を上げてキスをひとつ落としてくれた。
「ふふ、かわいい。お腹も気持ちいいんだ?」
「ん…ぜんぶきもちいよ」
「ぜんぶ?」
「周ちゃんが触ってくれるところ、ぜんぶ」
周ちゃんの首に手を回して、今度は私からキスをする。唇を離すと、すぐにまた降ってきた。ちゅ、ちゅ、と湿った音を立てて何度も重なる。
「ん、ん、ぅ、しゅうちゃ…っん、むぅ」
「っ、は、かわいい…」
鼻が触れ合ってしまう至近距離で、周ちゃんは少し掠れた声で「僕もだよ」と言った。「僕も、なまえに触れていると全部気持ちいい」。きゅん、と子宮が泣く。漏れる吐息に周ちゃんが気付いて、熱の籠もった瞳で微笑んだ。
「明日はお夕飯まで全部僕が作ってあげるね」
…足腰立たせない宣言?

*3
なまえはよく僕の爪を羨ましがる。自分は爪切りが苦手で深爪しがちだから不格好なのだと言う。確かに細長い爪とは言えなくて、少しずんぐりむっくりしている。僕はなまえのそんな指先も可愛いと思っているのだけれどそう言うと拗ねてしまうので、最近は、マニキュアの色を選んだり、塗ってあげたりすることで愛でることにしている。
「やだー不二くん何それ?」
「あっほんとだーどうしたの?」
講義を終えて荷物を片付けている時に、通り掛かった女の子たちが僕にそう声を掛けてきた。それ、がどれを指しているのか暫し考えて、彼女たちの目線を追う。つるんとしてぴかぴかと光を反射している爪に行き着いた。これは週末なまえに塗ってもらったトップコートの効果だ。彼女たちが聞きたいのはwhatでなくwhyなのだと察する。わざわざ指先まで見ていなければ気付くことではないと思うから。物心が付いたころから聞くことの多かった、少しばかり高めにのトーンで作られた声もそれを確信させた。彼女たちを幾ばくか傷付けてしまうかもしれないことを承知の上で、微笑んでみせた。大切にしたいものを見誤りたくはないから。
「ふふ、これ、彼女が塗ってくれたんだ」
言いながら自分の指先を見下ろして、ふと思う。これはキスマークに似ている。気付く人は気付くし、気付かない人は気付かない。見せつけたいのは、知らしめたいのは、気付く人、気にする人。彼女が塗りたがったのは純粋に見えたし、事実深い意味はないのだろうけれど。そうであってもいいのに、と思う。僕がなまえの見えない部分を食むのと、同じであればいいのに。

(ミスティ・ブルーの秘め事/140616)

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