(…暇だ……)

佐伯は保健室の真っ白なベッドに横たわりながら、何とはなしに天井を見つめていた。どうやってついたのか、ところどころに引っ掻いたような傷や小さく開いた穴がある。ひとつ、ふたつ…と数えてみるが目の届く範囲全て見終わり三十二になったところで、一時限目終了のチャイムが鳴るまではあと五十数分もある。まだ朝のホームルームも終えていないので、あと三回は鐘の音を聞かなければいけない。

なぜこんな授業も始まっていない時間から保健室にいるのかというと、理由は至極単純、朝練を終えて教室に入るなりクラスメートに有無を言わさず送り込まれたからである。何も問題はないし元気であると主張するも、「じゃあ熱を計って」と体温計で数値を出されてしまえば言い返しようがない。佐伯は仕方なく、一時間目の間休養することを約束して、クラスメートの見守る前でシーツに潜ったのだった。

佐伯は自分が疲れていることを自覚していた。そういう周期のようなものがあって、明確な理由があるわけでもないのにどうしようもなく疲労感や無気力感を感じる日がたまにある。それを表に出そうとは思っていなかったし、今まで誰かに指摘されたこともなかったから、いつも通りを振る舞って、緩やかに去るのを待っていた。今回もそうするつもりでいた。体調に影響を出し、ましてや一緒にいる時間の多い部活仲間でなくクラスメートに見破られるとは、思ってもいなかったのである。

天井の模様の数を数え始め、三桁に突入すると、丁度ホームルーム終了の鐘がスピーカーから流れた。寝不足のわけではないし、一度眠ってしまうと起きづらいタイプであるから寝てしまうという選択肢はない。急な来客があったと言って養護教諭が保健室を空けている分若干居やすくはあるものの、起きて何かをしているわけにもいかず、ひたすら時間が経つのを待つ今が暇で仕方ない。佐伯は一息吐いてカウントを再開させた。百一、百二、百三…。模様を追いかけて百九十六を数えたとき、保健室の扉が、些か乱暴な音を立てた。

「さえきー?いるー?」

失礼しますも無しに入ってきてカーテンを開けたのは、養護教諭がいないことを前もって知っていた、佐伯を保健室に送り込んだ張本人である。

「…みょうじ」

「あっ、やっぱり起きてた」

「そんなに早く寝付けないよ」

「寝る気もなかったくせに」

みょうじは軽く言いのけて、デスクから養護教諭用のタイヤ付きチェアを引っ張ってベッドの近くに座った。どう見ても居座る気であるみょうじに佐伯は苦笑した。身体を起こそうとするもみょうじに「寝てろ」と阻止され、浮いた頭は枕に逆戻りした。

「みょうじ、授業は?」

「図書室で調べものしていいって言われたから様子見に来た」

「調べもの?…ああ、個人課題あるんだったね。進めなくて大丈夫なの」

「教科書と資料集で足りるテーマにしたからね。佐伯のことだから暇してるだろうと思って」

スパンと言い当てられて、佐伯は笑いながらも言葉に詰まった。彼女は、みょうじはクラスの中でそこそこ喋るほうに入り、女子の中で一番親しいとも言えるかもしれないが、どうしてそうも自分のことを見抜けるのだろうか。まさか氷帝の王様宜しく眼力が備わっているわけでもなかろうに。思わずポロっと口から零すと、みょうじはびっくりしたように瞬きをひとつゆっくりしてから、声を出して笑った。

「佐伯、それは見てるからだよ」

「…見てる?俺を?」

「他に誰を見るっていうの。佐伯見てなきゃ佐伯のことわかんないでしょ」

「でも、見てるっていっても…気付いたのは君だけだ」

どうしてだと言外に問う佐伯に、みょうじはまた笑って、佐伯の目元を覆うように手のひらを乗せた。自然に瞼が閉じる。佐伯は抵抗せずにみょうじの言葉を待った。

「佐伯は神経質なのに、鈍ちんだね」

「に、鈍ちん?」

「視力がよくて、聡くて、たくさんのものが見えて、見えなくていいものまで見えて、そのせいで疲れちゃうのに、肝心なところだけ見えてない」

肝心な、ところ。

「気付いてるのは私だけじゃないよ。佐伯が隠して躱すから、見守ってただけ。でも今朝は、具合が悪そうだったから。隣のクラスの…樹くん?も心配そうに見てた」

「そっ…か…」

「そう。佐伯は真面目だけどさ、たまに、疲れたーって爆発して馬鹿やってもいいんじゃないかな。口に出すだけでも息抜きになるし、周りも、それを受け止めるし、何なら多分、一緒に馬鹿やるし」

「みょうじも?」

「はは、そう、私も」

そうか。いつも通りを振る舞わなくても、いいのか。疲れたときは、疲れたって言っても。少なくともみょうじは、そんな自分を受け止めて一緒に馬鹿をやってくれるらしいのだから。

瞼に乗ったみょうじの手からじんわりと熱が広がる。うっとおしい熱さではなくて、沁みていくような温かさだ。肩の力が抜けた身体に、心地の良い眠気が広がっていく。天井の模様を黙々と数えても冴えていた頭が、とろりと溶け出すのを感じた。眠るとなかなか起きられないから寝てしまわないほうがいいはずなのだ、けれど。きっとみょうじは。

「みょうじ…ありがとう。このまま、寝てもいいかな」

「いいよ。あとで起こすから、それまでおやすみ」

「うん、おやすみ」

ちく、たく、ちく、たく。静かな室内に時計の秒針が子守唄のようにリズムを刻む。みょうじがそれを六十まで数える間に、佐伯は眠りに入って小さな寝息を立てた。

みょうじは暫くしてそっと佐伯の瞼から手のひらを退かすと、やわらかい色の睫毛を見つめて、憂鬱な色の混じらない、呆れと安堵と、それから愛しさの籠った溜息を吐いた。この鈍ちんは一体いつになったら気付くのだろうか。部活仲間でも幼馴染でも友達でもない私が、どうしてそんなに佐伯を見ているのかなんて。


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