閉じられた窓の外から微かにホイッスルの音が聞こえる。カーテンで区切られた中にいるせいで校庭は見えないけれど、たまにゴールを喜ぶ声が上がるから何年生かがサッカーの授業をしているみたいだ。ピーッ。試合終了の合図を聞きながらわたしは膝に頭を埋めた。手でぎゅうっと足を囲って深呼吸をする。吸ってー、吐いて。すー、はー。繰り返していると足音が聞こえた。来客の応対をしに行っていた先生が戻ってきたのかな。ガラリ、と引き戸独特の物音を立てて誰かが入ってくる。

「せんせ…?」

「…?」

返事がない、ただの屍のようだ。…ってふざけてる場合ではなくて先生じゃあなかったんだろうな。全然知らない人だったりしたら気まずすぎる。顔が見えないのが幸いである。

「…先生いないん?」

無言が続かなくてよかった。先生じゃねーよとか言わずにお返事してくれてありがとう。ていうかこの喋り方と声…

「…におー?」

「…え、なまえ?」

「ん」

「声弱かったけぇわからんかったぜよ。入ってよか?」

「いーよ」

靴底を床に擦る音が数歩分聞こえたあと、カーテンのリールが鳴って仁王の顔が見えた。相変わらずキレーな面立ちに、何でか疑問符が浮かんでいる。

「せんせはお客さんとこ。におーはどした?」

「サッカーで丸井がヘディングしたんだがな、何故か休憩してた俺に直撃したん」

ほら、と仁王が少し屈んで頭を見せてくる。…いや、わからんよ。銀色がきらきらしてるだけです。

「見えない?」

「見えない…。もうちょいしゃがんで……あ、ほんとだ」

足に回してた手を片方外してきらきらを掻き分けていくと確かに地肌が腫れて膨らんでいる。若干後頭部寄りだから後ろ向いてたんだろうな、多分日陰とかで。暑いの好きじゃないもんね。よしよし。なでなで。よしよし。

「…なまえチャン?」

「え、あ、ごめん体勢きついよね」

「や、そういうあれじゃ…まあええ」

あれじゃなきゃどれなんだろう。わかんないけどまあいいか。それよりも仁王、何で制服着てんだろう。

「ジャージは?」

「汗かいたし、保健室来たまま戻らん予定だし着替えてから来た」

「なるほど。痛そうだし早くせんせ戻ってくるといい、ね……っ」

うわわ何これ。仁王と喋って気が紛れてたけど、急に痛みが増してきた。

「なまえ?」

「ごめ、ちょ、待って…」

仁王が来る前みたいにおでこを膝にくっつけて深呼吸をする。吸ってー、吐いて、すう、はあ。

「痛いん、おなか?」

「ん、」

「…女の子の日?」

「んん」

言葉の代わりに頭を少しだけふるふるして答える。生理は先週終わったよ。女の子の日ってぼかしてくれる仁王が可愛くて笑いたかったけど余裕がなくて、それどころか痛すぎて深呼吸が止まった。痛みで息を飲んじゃうなんて初めての体験ですよ。全然嬉しくない初体験だ。

「ほんに大丈夫か?痛み止めは?」

「ない…にお来てから楽だっけど、またいたい、の…さっき、は、こんなひどくなかった」

「そか。…横にならなくてええんか」

「だいじょぶ、まげてたほうがいっ…たくない」

曲げてても痛いけれど。伸ばしてるより幾分か楽なのは確かだ。ぽつりと、仁王が呟いた。「それで体育座りだったんか…」。そうだよね、保健室のベッドにいるのに何で寝てないのって思うよね。だから最初にわたしを見たとき不思議そうにしてたんだね。
深い呼吸を繰り返していると、背中にぴとりと何かが当てられた。もちろんここにはわたしと仁王しかいないわけだから、見ていなくても何かはわかる。それがさっき仁王にしてあげたみたいに動いて、制服越しに体温がじんわりと伝わってきた。低体温だとばかり思ってたけど、そうでもないのかもしれない。もしくは、外で体育だったからかな。

「ちょっとはマシんなるとええんじゃけど。あんま変わらんかったらごめんな」

背中が痛いわけじゃないし、お腹撫でた方が効果はあるんだろうなって思う。それでもどうしてか、肩の力が抜けて呼吸が少し和らいだ。上へ下へと一定の間隔で手のひらが優しげに動く。仁王も多分頭痛いだろうにな、あんなに腫れてたんだもん。きっと早く冷やしたほうがいいってわかってるのに、あんまり大切そうに撫でてくれるものだからやめていいよって言うことができない。

「におー…」

「なん?」

「ありがと」

窓の外からはまだ、ホイッスルの音が聞こえる。







「失礼しまーすっと。…あれ、先生いねえ。仁王いるかー?」

「丸井もうちょい静かにしんしゃい。こっちじゃよ」

「何、ベッドってお前…そんなに打ちどころ悪かっ…た……?!」

カーテンを開けた丸井に、いかにも「お前何してんの?!」みたいな顔で見られた。確かに傍から見たらわけわからんだろうな。体育座りの女の子の横に座って背中をなでなでしとる俺。しかも女の子寝とるし。

「え、何、つかダレ、いつの間に彼女とか」

「作っとらんわ。てゆかこれなまえ。腹痛くて息辛くなってたから撫でとったんよ」

「ああ、それで寝てしまったと」

そっかなまえかあ、と丸井はしゃがみこんで顔の確認をしてからぽんぽんと頭を撫でた。

「息辛いってそれやばくねーの」

「相当だろうな。寝れたってことは多少良くなったんだろうが」

「そうだな。寝ちまえばしばらく楽だしよかったよな。…ちなみにお前は?」

「このとーり何もしてんよ。氷嚢作ってくれん?」

「や、ちげーよそっちじゃなくて…いやまあ俺のせいだし氷嚢は作るけどよぃ…」

「しくよろナリ」

この保健室の棚にはどこに何が入ってるか見出しシールが貼ってあるからお目当てのものを探すのは簡単だ。すぐに見つけて作ってきてくれた丸井作の氷嚢は氷が多くてゴツゴツしていた。やってもらったんだから文句は言うまい。

「ほんで?そっちじゃなくてどっちなん」

「なんつーかさあ…息辛かったんだろ?」

「おん」

「息苦しかったんだろ?」

「おん」

「つまりさ、息乱れてたんだろ?」

「……丸井…」

言いたかったことを正確に理解した。お前は大丈夫かってなるほど、確かにそのまんまの意味だ。

「だってよ、その距離でそんななってたらやばくねーの」

「思春期じゃあるまいに」

「お前何歳だよ今思春期だろうが」

はあ、とため息を吐いた俺の真似をして丸井もはあ、とわざとらしく息を吐く。それが馬鹿らしくてどこか心地よかったが、続けられた言葉に背中を撫で続けていた手が止まった。

「それに思春期は置いといたって相手が好きな子なら無理だろぃ」

「……丸井…!」

「おっまえ、気付かないわけねえって。伊達に一緒にいねーんだからさ」

「…そんなわかりやすくしたつもりないんやがのう」

「確信したのはさっきだけどな、そうかなーとは前から思ってた」

「確信…」

「好きでもないやつそんな大事に撫でねえだろぃ」

言われてみて、そうだなと納得する。例え友達でも、異性にここまではきっとしない。ただそれ以前に気付かれていたのは丸井が言った通りそれだけ丸井と一緒にいたってことなんだろう。丸井に気付かれてたってことは柳生も知ってるんだろうか。

「結局さ、大丈夫だったんだ?その反応じゃあさ」

「当たり前じゃろ」

本当に、辛そうだったから。やましいことを考えるよりも前に、よくなってほしいとひたすら思った。腹痛いのに俺の頭を撫でてくれたこの子の痛みを、少しでも和らげてあげられたらと。

「当たり前とかかっけーな」

「そんなこと言って丸井だってC組のツインテちゃんがこんななってたらそれどころじゃないと思うぜよ」

「かもなあ…って何で…!」

「伊達に一緒におらんのじゃろ」

「…はあ…」

項垂れた丸井を笑ってから、ぽそりと呟く。

「…ま、頭にちゅーはしたがの」

途端にガバッと赤い髪が動いてこっちを見たが、これは仕方のないことなんだと言いたい。なまえの辛そうな深呼吸が規則的な寝息に変わったらほっと気が抜けて、自然とそうしてた。今まで心の中で募ってたのが出たのかもしれないし、落ち着くまでの様子が可愛かったせいかもしれない。なでなでとか、意識してないだろうけど上目遣いとか、途切れ途切れの喋り方とか。な、仕方ないだろ。

「なっ、おま、それアウトだろ!!前言撤回!」

「変なこと考えたわけじゃないけセーフじゃろ」

「いやいやいや!アウトだって!」

「いやいやいやセーフじゃって」

「アウト!」

「セーフ!」

「……アウトだよね…」

「だよな!って、え…」

「えっ……!!!!!」


(手当て/120901)

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