二月末に彼女がお見舞いに来てくれたとき、「何が欲しい?」と聞かれたので正直に「お前かな」と答えたら顔を真っ赤にしていて可愛かったけど、それから一度も来てくれないんだ、どう思う。病室に残っていたプリガムに聞いてみたら二人とも目を真ん丸くした。赤也は「アイス食べたい」と何となく言った俺に乗った二人にパシられて近くのコンビニへ行っていて、他のみんなはそれぞれの用事で少し前に帰っている。今日は休日練習を休みにしてレギュラーたちが午前中から誕生日を祝ってくれていたのだ。時計の短針はあと十五分もすれば四を指す。 「幸村くん…そりゃあちょっとマズイだろぃ」 「そうかな?」 「何つーか早くね?俺らまだ中学生じゃん。女子なら尚更そう感じるんじゃねーの?」 「そうかも。でも俺だって男だしね」 「それ幸村くんの口から聞くと不思議」 「丸井には言われたくないかな」 「ブンちゃんかわええもんな」 「うっせ」 ぺしんと頭を叩かれた仁王は大して痛くなさそうに「おーいたいいたい暴力反対じゃ」と言いながら少し乱れた髪の毛を直した。丸井は弟が二人もいるせいか後輩の面倒見がよくて扱いにも手馴れてるし、結構男らしい性格をしているが、見た目は下手したらそこら辺の女子なんかより可愛いと思う。目が大きくてクリックリで、背丈もそんなに大きくない。仁王みたいに叩かれたくないからそこまで口には出さないけど。 「俺らが見舞い来んのオーケーしてくれたけ、てっきり今日一緒に祝うか明日約束しとるかだと思っちょったぜよ」 「そうならよかったんだけどね。連絡もなくってさ、どうしようかと思って」 「心の準備とか色々あるんじゃなか?」 「てか赤也いなくてよかったな、サンタ信じてるくらいだからこんな話聞いたら顔真っ赤だぜ絶対」 「生意気なくせに変なところで純粋じゃからの。セックスとか単語聞いただけでダメそうじゃ」 「俺そこまではっきり言ってないけどね」 サラッと言ってのけた仁王がまだ童貞とか嘘だよなあと思う。普通に済ませてそうっていうか、年上の人に誘われてそうだ。ふと気になってどうなの?と聞いてみると仁王は「あー…」と唸った。 「そういうんなくはないんじゃけど、今の内から一夜限りとかセフレとかっておかしくなか?」 「まーそんなナリでも中学生だもんな、一応」 「一応ってどういう意味じゃ」 「仁王は変に大人びてるよね。フェロモンみたいな」 「な。中身結構子供っぽいとこもあんのにな」 「遊び心って言ってほしいナリ」 「大差ねーよ。つーかそれ俺には聞いてくれないのかよ、確かに仁王ほどモテねえけどさ」 丸井がちょっと拗ね気味に俺の方を向いた。それってどれだ、とちょっと考えてすぐに気付いて口元が緩む。 「何で笑うんだよ幸村くん」 「ふふ、ごめん。だって丸井って真っ直ぐだからさ、もし誘われても釣られないで、好きな相手とするんだろうなって思ってるんだ。間違ってる?」 「…べつに」 「ブンちゃん照れてやんの、かーわい」 「うっせ!」 ニヤニヤと笑う仁王はぺしんと頭を叩かれた。ちょっとしたデジャヴだ。プリガムがじゃれるのを見ていると病室の外から少しうるさい足音が聞こえてきて、すぐに扉が開いた。 「ただいまッス!」 「廊下は走っちゃだめだろ、赤也」 「すいませんブチョ、アイス溶けちゃうかと思って」 開いた戸を閉めてから、赤也はガサガサと袋の中からアイスを出して俺たちに配った。はい!と笑顔で渡されてくすぐったくなる。全く、可愛い奴だ。 「あーっ幸村くんだけダッツだ!」 「今日は幸村ブチョー誕生日だから特別なんすよ」 「とか言っておまん普通の日でも幸村だけ違いそうじゃの」 「赤也は俺のこと大好きだもんね」 「だっ?!い、いやっ…」 「じゃあ嫌いなの?」 「やっ、ちが…」 「はっきりしんしゃい、どっちなんじゃ」 「す、すき、ですけど…」 顔を赤くする後輩を見て仁王と笑ってると丸井が「あんまからかってやんなよー」と言ったけど笑い混じりだったから止める気もないんだろう。溶けてしまう前にとカップの蓋を外してビニールの内蓋を剥がそうとしたら、手が滑った。親指と人差し指で取っ手を摘まんだのに元の状態のままだ。やばい。スウ、と血の気が引いていく。せめてこいつらの前では、普通でいたいのに。平静を装ったままもう一度同じ動作をするも、剥がれない。指に、力が、 「あっ」 仁王の声がしたと同時に、手元に何かが落ちてきた。「すまんすまん、勢い余った」と言いながら仁王が取りに来たのはスーパーカップの蓋だった。 「どんだけ力込めたんだよぃ」 「仁王せんぱいださっ」 「笑いすぎじゃろおまんら…。すまんの幸村」 「いや、大丈夫だよ」 はい、と差し出すと仁王は受け取ってから自然な動作で俺のアイスも手にした。仁王?と聞く間もなく、片手で器用に内蓋を剥いだ。それをそっとあった場所に置いてから、何事もなかったように元いた場所に戻った。まだ笑っている赤也に軽いげんこつを落として、スーパーカップを食べている。誰も気付いていない。仁王が自分の体で隠していたからだ。その為に飛ばしてきたんだ、わざと。ついさっき感じた焦りが溶け出していく。 「幸村ぶちょ、美味しいっすか?」 「うん、美味しいよ。ありがとう」 「へへっ」 「お前ほんと幸村くん好きな」 「いいじゃないすか」 「うわっ開き直った」 俺が彼女にあんなことを言ったのは、焦燥に駆られていたからだ。思うように動かなくなる身体に、ひどい恐怖を感じていた。もしかしたらこのまま動かなくなるかもしれない、もしかしたらテニスができなくなるかもしれない、もしかしたら彼女も皆も離れていくかもしれない、もしかしたら、もしかしたら…。時間を持て余している俺にイフの想像はいくらでも伸し掛かってきた。部員の前では部長でいなくちゃいけないと思っていたし、彼女の前でも強くいたくて見せられなかった弱みは持ちきれずに、積もり積もってこぼれた。まだ体が動く内に自分のものにしてしまいたいという独りよがりな願望になって。…だけどそれは、きっと間違っていたんだ。俺は確かに部長だけど、それ以前に幸村精市という一人の人間だった。今日皆が来てくれたのは、俺が部長だからじゃない。なまえが俺と付き合っているのも、形の違う、同じ理由だ。弱音を吐きたくない往来の性格は仕方がなくても、持ちきれないものまで無理に持つ必要はないんだ。俺は一人じゃないから。拾ってくれる人はいる。これは人任せに放り投げるのとは違う。信頼だ。俺を信じてくれている人に対しての。俺は信じなくちゃいけなかった。 「のう幸村、食えるもんも、食えないかもしれないって思うと食えなくなってしまうんよ」 「え、何の話っすかそれ、仁王センパイの野菜克服法?」 「当たらずも遠からずじゃな」 「?」 「にお、赤也国語も得意じゃねーんだから」 「そうだね、赤也は勉強頑張らないと」 「げ」 そうだね。今度は仁王に対して、心の中で返事をした。冷たいものを食べているのに気持ちはあたたかくてくすぐったい。俺が彼女に言ったことの理由を、二人ともわかっていたんだろう。だから初めてが病室かよとかそんなことはからかわれなかった。 皆がアイスを食べ終わったころ、ガラッと音を立てて扉が開いた。回診にしては時間が早いなと見遣るとそこにいたのは見慣れてしまった医者でも看護婦でもなかった。なまえだ。冬だというのに額に汗をかいていて、頬は上気している。 「お、なまえ来たんじゃな。さーて俺らは帰るかの」 「だな。幸村くん、無理やりはだめだかんな」 丸井が悪戯っぽく笑って、えっ何の話っすか?と聞く赤也を仁王と一緒に引っ張っていった。 戸が閉じられたあともなまえはそこに突っ立ったままで、おいでと声を掛けるとやっと近寄ってきた。何を言おうか悩んでから、俺の目を見て、一言。 「えと、あの、おはよう…?」 「もう夕方だけどね」 「や、そうなんだけど…昨日色々考えてたら寝るの遅くなって、さっき起きたの」 色々、とはもしかしなくとも俺の言ったことについてだろう。起きてから慌てる彼女が目に浮かんで、どうして汗をかいていたのかがわかった。 「考えたうえで来てくれたってことは、期待してもいいの?」 なんていうのはこの間会った時と違って、冗談半分だ。顔を赤くするなまえを見て満足してからごめんね、と声を掛ける。可愛い反応してくれるんだろうなと思って、ついからかっちゃったんだ。寝不足にさせるつもりはなかったんだよ。 「え、ええええー…」 「え?」 「覚悟を決めて可愛い下着買ったのに…」 思わず固まってしまったのは決して俺のせいじゃない。好きな子にそんなこと言われたら、心がぐらついてしまうのは仕方がないことだ。見たい、と思ってしまった気持ちを必死に沈める。煩悩を消し去れ、冷静になれ精市。 「それは…ごめん、ね」 しゃがんで脱力するなまえの頭を撫でてやると、顔を上げてへらりと笑った。 「いいよ。もう大丈夫ってことなんでしょ?」 「………あれ、俺そんなわかりやすかった?」 「いや、正直最初は恥ずかしいだけで気付かなかったんだけど、柳にねどうして見舞い来てないんだって言われて。相談してみたら、精市は前に「せめて高校上がるまではしない」って言ってたって聞いたから」 「…そう」 蓮二だって男なんだからそんな話しちゃだめだよとか言いたいことはあったけど、今じゃなくてもいいと思ったから代わりにありがとう、と言った。気付いてくれて、そのうえで今日来てくれて。 「ばかだな精市、ありがとうって今日言うのは私なんだよ、誕生日なんだから」 なまえは立ち上がると、俺の頬を包んだ。…え、キス?されてる?唇に触れたやわらかい感触を理解した頃にはもう離れていて、なまえが恥ずかしそうにしていた。 「生まれてきてくれてありがとう、お誕生日おめでとう。…私をあげるつもりだったから、プレゼントがお粗末ですが…」 俺はまた煩悩を消し去るために必死にならなくてはならなかった。正直、今日あの三人が残ってなかったら手を出さなかった自信がないよ。 (each form of affection/0315.Sat) |