18.涙
「水神さーん、水神雪兎さーん」
『あ、ほら雪兎呼ばれたよ?』
「ん、行ってくる」
待合室の椅子から立ち上がり、看護士さんが呼ぶ部屋へ入っていく雪兎。
雪兎が見えなくなると、私は一息吐いた。
実はこの間の怪我…酷くはないが、軽くもなかった。
だから今は、通院している。
病院は、神奈川の病院。
病院嫌いの雪兎を伯父さんが気遣って、こっちの馴れてる病院にしてくれたのだ。
通院するのは大変だろうからって、わざわざ伯父さんが送り迎えしてくれている。
因みに今伯父さんは、自分の職場に戻ってる。
何でも、神奈川の高校に用事があったのに、その時渡す書類を忘れたらしい。
伯父さんは真面目で、凄い人だけど…こんなおっちょこちょいな人間性が出るときもある。
優しいし、私達を実の子供のように大切にしてくれる。
全部ひっくるめて、私は伯父さんが好きだな。
勿論、私だけじゃなくて雪兎もだと思うけどね。
そんなことを考えていたら、自然と胸が温かくなり、口元が緩んだ。
我に返って、すぐもとにもどしたけれど。
でも、見られてたみたい。
怪しかったのかな?
「──そんなに口元を緩ませて、何か良いことでも?」
ふと、隣から声をかけられた。
其方を見ると、青いくせっ毛に、端正な顔立ちの…美少女?
美少年…?
美青年…?
とにかく、綺麗な人がいた。
格好からして、美少年…いや、美青年でしょうか?
『いえ…、思い出し笑いを…』
「クスッ…そう」
『あの…どちら様、でしょう?』
私、こんな美青年知りません。
いや、幼なじみに桃色の髪の美青年兄弟はいるし、青学にも美青年いらっしゃいますけども。
この目の前の美青年は知らないはず。
ジッと見つめていると、眼前の美青年は一瞬目を丸くした後、ふわりと笑った。
美青年は笑顔も美しいんですね。
そう言えば、この前の不二先輩の笑顔は眩しかった覚えがあります。
「自己紹介、してなかったね。俺は幸村精市、高校三年」
『幸村さん?』
「精市でいいよ、琉那ちゃん」
『い、いえそんな、恐れ多い…って、あれ?私、名前教えましたっけ?』
教えた記憶はないのだけれど…。
記憶を遡っても、どこにもそんな記憶はない。
うんうん唸っていると、隣からクスクスと笑い声。
ゆっくり振り向くと、端正な顔立ちで笑っている幸村さん。
ああ、普通の女の子なら此処でノックアウトなんだろうな…。
けれど、残念ながら私は普通の女の子じゃありません。
何にしろ、恋愛には無頓着なもので。
「ごめんね、琉那ちゃん。そうだな…俺を思い出したら、それも思い出せるんじゃないかな?」
『え"』
俺を思い出したら…?
待って私、やっぱり会ったことあったんだ…!
どうしよう、凄く失礼だ私。
あたふたと慌てながら色々考えた結果、私は謝った。
言い訳とかより先に、謝るのが一番だと思う。
『ごめんなさい。私、人の顔覚えるの苦手で…』
言い訳だ。
でも、これは本当。
人の顔とか覚えるの苦手で、アイドルとかの顔の見分けつかないし。
幼馴染みにはそのせいで、ボケボケのおばあちゃんだねって言われたことあるし。
「いいよ、琉那ちゃん。ゆっくり思い出してくれれば」
『面目ないです…』
「…ところで琉那ちゃんは、どうして此処へ?」
怪我でもした?
心配そうに訊ねてくれる幸村さん。
優しい…、この人凄く優しいです。
話題を変えてくれた上に、私の心配をしてくださるなんて…。
『いえ…怪我したのは弟です』
「弟がいるんだ?」
『はい、双子なんです』
「へぇ…」
『幸村さんは…何故此処に?……言いたくなかったら、いいんですけど…』
どうしよう、失言だ。
幸村さんの表情が、僅かに…ほんの僅かにだけど、曇った。
慌てて、言いたくなかったら…なんて言ったけれど、全くフォローになってないし…。
どうしよう…?
そんなことを思ってると、幸村さんが言葉を紡ぎ出す音が聞こえた。
「俺…病気だったんだ」
『!』
「俺、テニスやってるんだけどね。…手術の成功率は50%…。成功したとしても、また前みたいにテニスができるとは限らないって言われた。……まあ、手術は成功したし、今は前みたいにテニスもできる。今日は定期検診で……って、琉那ちゃん!?」
『…』
「何で…泣いてるの?」
驚いて目を見開き、私を心配してくださる幸村さん。
けれど今は、そんな彼の姿も涙で霞んで見える。
どうして泣いているか?
幸村さん…気づいてないんですか?
『幸村さんが…泣かないから…っ!』
「え…?」
『そんな、悲しそうな表情…しないでください。…泣きたい時くらいなかないと、泣けなくっ…なりますよ?』
表情でわかった。
この人は、大きなものをその華奢な背に背負ってた。
多分、今も。
けれど弱音を吐かず弱みを見せず、今まで頑張ってきたんだ。
泣きたくても、それを我慢して。
『幸村さんのこと全然知らない私が言うのは、可笑しいかもしれません。…でも、もっと周りを頼ってあげてください』
「…!」
『幸村さんは頑張ったんですから、もっと周りに甘えないと』
「…、……うん、そうだね。何か心が軽くなったよ。ありがとう」
笑った幸村さん。
その笑顔は、多分本物のはず。
だって、あんなに優しい笑顔だもの。
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