17.最終日[2]
「──三日間、御苦労だった」
最終日、土曜。
練習が終わり、部員達の殆どが帰った頃。
私達仮マネージャーは、手塚先輩達に呼ばれ、並ばされていた。
恐らく、合宿の臨時マネージャーを決めるため。
隣にいる二人の先輩方は選ばれる気漫々のようで、先程からうきうきしている。
……テニス部の人達には悪いけど、やっぱりやりたい人が選ばれるべきじゃないだろうか。
引き受けたのは私だ。
でも、彼らも私なんかより、彼女達みたいな人達の方が良いんじゃないかと思う。
選ばれたなら、辞退するつもりはない。
けどやっぱり……、誘われたから来た…なんて理由じゃ、軽い気がする。
自分からやりたいと思って来たわけじゃないし、隣でうきうきしている彼女達や、今までテストに落ちてしまった人達に申し訳ない。
俯いてそんな考えを巡らせていると、ふいに手塚先輩の声が聞こえた。
名前を呼ぶ声。
隣の女の人達でなく──
「水神琉那」
私の名前を呼ぶ、声。
弾かれるように手塚先輩を見上げると、眼鏡のレンズの奥の双眸が、真っ直ぐ私を見据えていた。
「お前に、合宿のマネージャーを頼む」
『!』
目を見開いた。
いや、元々お願いされてきたのだから、呼ばれるのは……相当変なことをしてなければ、当然だ。
けれど…、何故だろう。
手塚先輩の瞳から、目を逸らせない。
暫く惚けていたのだろう。
私が我に返ったのは、隣にいた女の先輩方の声が、耳に届いた時だった。
「どうして!?どうしてこのコなの!」
「何で私達が選ばれないのよ!!」
「……水神は一人で、三人分は働いてくれていた。だが、お前達は騒ぐだけ。上手く誤魔化していたつもりだろうが、俺達は誰が頑張っていたかは知ってる。……水神を選ぶのは、当然だろう」
手塚先輩は、依然落ち着いていて。
そのポーカーフェイスを崩すことなく、彼女達に理由を述べた。
それは紛れもない事実。
彼女達が言い返せるはずも、言い訳をできるはずもなかった。
周りを見れば、リョーマ君達も頷いていて。
それを見た彼女達は何も言えないまま、走って何処かへ行ってしまった。
止めようと声をかけたがそれは叶わず。
その後をいつまでも見つめていると、ふいに声をかけられた。
「水神」
『!…、はい!!』
「マネージャー、頼めるか」
『!…無論です。元々、頼まれて来たわけですし』
少し不安そうな手塚先輩に微笑めば、彼も口元を緩めてそうかと言ってくれた。
三日間、御苦労だった。
合宿でも頼む。
手塚先輩は先程より口角を上げ、私の横を通り過ぎて部室へ向かった。
続いて、手塚先輩の周りにいた人達も。
「三日間ありがとう。御苦労様!」
「また良いデータがとれた。ありがとう、琉那」
「よく頑張ったね。合宿でも宜しく、琉那」
大石先輩に、治兄、隆兄。
言葉をくれたそれぞれに頷き、お辞儀する。
すると今度は、反対方向から複数の別の声。
桃、海堂君、菊丸先輩、不二先輩、リョーマ君の五人のものだった。
「ごくろーさん!合宿でも頼むぜ。ありがとな!」
「……ありがとう」
「水神さん、俺今度は怪我しないようにするね!ありがとう」
「水神さん、ボトルとかありがとう。すごく助かったよ」
「ドジらなくて良かったね。……三日間ありがと」
『いいえ…此方こそ、合宿では宜しくお願いします』
なんて、冷静に返したけど内心はずっとドキドキしていた。
今まで、御礼を言われることは多々あった。
けど、一度にこんなに沢山の人達から感謝されたのは初めてで。
…素直に、嬉しかった。
一人で大変で、疲れたけど、今はそれより嬉しさが上回る。
合宿でも、頑張ろう。
そう、思わずにはいられなかった。
*****
何で、こうなるんだろう。
頭を抱えたくなったのは、先程嬉しい気持ちになってから、そう時間は経っていない頃。
目の前には、一緒にマネージャーテストを受けた二人。
そして更に後ろには、過激派のファンクラブであろう四人。
私は、先程叩かれてヒリヒリする頬を押さえながら、六人を見据えていた。
「サッサと白状しなさいよ!」
白状って何ですか。
いきなり現れて連れ出されて、叩かれて。
何を白状しろと。
眉をひそめると、彼女達は眉を吊り上げ、再び怒鳴り始める。
媚びを売ったのか。
猫を被っているんじゃないか。
裏から手を回したのか。
彼女達の口からは、そんな言葉が次々流れ出てくる。
嗚呼、あなた方の口は何の為にあるの?
そんな歪んだ言葉を紡ぐ為ではないはず。
こんなくだらないことに、大切な時間を費やしたら駄目ですよ。
「何とか言いなさいよ!」
『……しは…、』
「「「?」」」
『…私は、そんなことしません。私はただ、与えられた仕事をしたまでです』
真っ直ぐに見据え、言葉を発する。
彼女達はそれが頭にきたのか、更に怒り出す。
私達が仕事をしてなかったとでも言いたいのか、と。
「私達はねぇ、雑用ばっかやってるあんたの代わりに、ずっと応援してたわ!」
「応援だって大切よ!マネージャーは、選手を支えるのが仕事なんだから!」
あなたはちっとも、応援してなかったわね。
ギラギラ。
鋭い瞳で睨みつけてくる。
嘲笑ってくる。
勝ち誇ったように、私を見下ろして。
ああ、確かにそうだ。
私は、応援の言葉をかけただろうか?
いや、答えはNOだ。
仕事に夢中で、ちっとも声をかけていない気がする。
この人達みたいに迷惑な声がけはいらないと思うけど、マネージャーなんだから少しくらい声をかけなければ。
ああ、やっぱり私は選ばれないはうが良かったんじゃないかな?
彼女達を見ていられなくなり、俯く。
私は…私は───
「水神さんはそんなコじゃないよ」
ふわり
優しい声と共に、頭に温もりが広がった。
慌てて顔を上げれば、其処には不二先輩。
頭の温もりは、彼の手だった。
『どうして…、』
思わず零れた言葉。
あの後、彼らは帰ったはずだ。
それなのに何故、不二先輩がいるのか。
それに、私はそんなコじゃないって、どうして言ってくれるんですか…?
訊きたいことは沢山あった。
しかし、いたのは不二先輩だけでなくて。
「多勢に無勢なんていけねーな、いけねーよ」
「…」
「水神さん、大丈夫かい!!?」
「頬腫れてるにゃ!!」
「琉那、早く此で冷やすんだ!!」
「やはり、戻ってきて正解だったようだな。琉那が女子達の嫉妬の被害に遭う確率、90%以上…」
『皆さん…』
「ま、でももう少し早かった方が良かったんじゃない。…ね、部長」
先程帰ったはずの人達が、何故かずらりと集結していた。
その後の治兄の台詞からして、恐らく彼のデータからだろう。
隆兄は濡らしたタオルを持っていて、大石先輩がそれを受け取ると、腫れた頬にあててくれる。
ヒリヒリ痛むけど、仕方ない。
ザッ…
リョーマ君の後ろから、砂を踏む音が聞こえた。
其方に視線を送れば、女子生徒達を静かに見据える手塚先輩の姿。
何故だろうか。
静かな、怒りを感じた。
けれどそれは手塚先輩からだけでなく、駆けつけてくれた彼ら全員から感じ取られる。
一方女子生徒達は、信じられないものでも見るかのように、彼らを見つめている。
対峙する、この状況が少し続いた後、手塚先輩によって閑散が断ち切られた。
「…何をしていた」
その声は普段よりも低く、本当に怒っているのだということがわかった。
肩を跳ねらせ、体を震わせる彼女の瞳は、完全に怯えていた。
「……水神は、公にこそ応援の言葉をかけていないかもしれない。………だが、」
『!』
「……誰より、俺達選手を想って行動してくれていた」
『手塚先輩…』
「俺達はそれが十分だと思った」
「寧ろ、十分過ぎだけどね」
手塚先輩の言葉に、不二先輩がクスリと笑って言葉を付け足してくれる。
二人の言葉が、ストンと胸に落ちた。
さっきまでの卑屈な考えが全て、消えて失せる。
「っ…何よ!」
「もう行こう!」
それでも尚反抗しようとするコを他のコが抑え、彼女達は去っていった。
残された私達の間には、沈黙が流れる。
けれどそれは、決して重苦しいものじゃなかった。
『…皆さん』
「「「?」」」
『助けに来てくださって、ありがとうございました。…それと…』
こんな私を認めてくれて、ありがとうございます。
必要としてくれて、ありがとうございます。
『合宿、頑張ります。宜しくお願いします』
だから今度は、あなた達の役に立ちたい。
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