「それで、どうするのだよ」

「どうするって…二人で食べろって言われたんだから」

「俺はいらん」

「そんなこと言うなよ。多分、ルールに関係ないぜ」

「…それは気にしていないが」

「じゃあ、何が気に入らないんだよ」

ごまかすように眼鏡を押し上げる緑間は、なぜか高尾が教室に戻ってきたとき元々悪い機嫌がさらにひどくなっていた。
試合中でもなかなか見せない厳しい視線は、真っ直ぐと高尾の両手に注がれている。
正確には女子生徒からもらった紙袋に。
高尾もとりあえず受け取ったものの、朝の猛攻に加え意味不明な言動に少々納得がいかない。
緑間は既にこちらには目もくれず、黙々と文庫本の頁をめくっている。

「緑間」

「なんだ」

一応呼べば返事をしてくれる、思ったより最悪の機嫌ではないらしい。

「もしかして、妬いてんの?」

どんがらがっしゃん、そんな効果音がつきそうなほど緑間は派手に椅子から転げ落ちていた。

「おーい真ちゃん大丈夫?」

「な、な、な」

餌を求める鯉のように口をぱくぱくと開閉させる緑間に、高尾は笑いを抑え切れず吹き出した。
何に動揺したのか知らないが、緑間らしくない失態である。
緑間はキョロキョロと視線をうごめかせて眼鏡のフレームを上下に動かしている。
カチャカチャうるさい。眼鏡、壊れないのだろうか。

「ななななな何を言っているのだよ妬いているわけがないだろう馬鹿め憶測だけで物を言うのではないのだよ高尾」

動揺がマッハである。
聞いたこともないほど早口でまくし立てる緑間に、さすがの高尾も苦笑するしかなかった。
困ったように頭をかいて、今だ尻餅をついたままの緑間の腕を取る。

「ブッハ、真ちゃんそんなに俺が呼び出されるの嫌なの。大丈夫だって、真ちゃんの方がモテてるから」

高尾の言葉で落ち着いたのか、緑間は動きをぴたりと止めた。
ゆっくりと顔を上げた緑間は、不審な表情で首を傾げる。
高尾?

「妬いている、というのは」

「え?だから、俺が女子にチョコもらってんのに妬いてんだろ?」

(そうだけど違う!)

周りで静かに二人のやり取りを見ていたクラスメート達と緑間の心が初めてシンクロした瞬間だった。
侮りがたし高尾和成。
がくりと頭を垂れる緑間に、高尾は片腕を持った手を離し頭に伸ばす。

「真ちゃん?どうし」

「高尾ー!!」

高尾の名を呼んだのはまたもや例の友人だった。
いちいち人の言葉に被せてくるんじゃねぇよ。
ぐんと下がった機嫌に、高尾はわざとらしい笑顔を浮かべて友人に近寄る。
一度ならず二度までも、許すまじ。

「なんだよ、刺すぞ」

「うぎゃっ!足蹴るな高尾」

嫌みの笑顔に爽やかな笑顔で返す友人についイラッとしてやった。後悔も反省もしていない。
不思議そうに眉をひそめる友人を押し退けると、バスケ部のレギュラー三人が高尾を見下ろしていた。

「あれ、どうしたんすか」

「よう高尾。さっそくだけどお前、チョコ何個もらった?」

高尾の肩を引き寄せる宮地。
緑間もそうだが、高尾の身長と差がありすぎて肩というより頭を抱えているように見えてしまう。
俺の身長は平均だと明言しておこう。周りが異常なだけだ。
気づいていないと思っているのか、笑いを堪える友人の姿を目敏く確認した。
アイアンクローでもかけてやろうか。

「7個っす。緑間と一緒にって言われたのも入れたら8個ですね」

「はぁ?お前ここのルール知らないわけじゃねぇだろ」

「あぁ、まぁ」

「なんで受け取ったりしたんだよ」

「いや、多分その辺は大丈夫だと思うんで」

はぁ?わけが分からないというように宮地は口の端を引き上げる。
大坪は高尾をじっと見て、そうかとだけ言った。

「一年のときは宮地もすごかったからなぁ。なにげに大坪も人気あったし」

「木村さんは?」

「俺がモテると思うかぁ?」

バスケ部というだけでモテそうな気もする。
ふぅと息を吐く宮地や大坪の反応を見るに、もらえないわけではなさそうだ。
義理も本命ももらえるが、好きな相手からは友チョコ止まりといったところか。
典型的な不憫タイプのようだ。
全部想像だけど。

「それで、結局なんの用なんすか?」

「…いや、特に用はねぇよ。ただ朝から追いかけ回された一年がいたっていうから、もしかしたらお前らじゃねぇかなって思ってな」

「ご名答っすね。狙いは緑間でしたけど」

宮地は高尾の答えを聞いて、ぎゅうと眉にシワを寄せた。
口元だけは笑っているのだから、逆に恐ろしい。

「ふざけんな。なんでそこで狙われてんのが緑間ってことになるんだよ」

「なんでって言われても」

「鈍感にもほどがあるだろ。木村ぁパイナップル」

「残念だが今はないぞ」
緑間といい宮地といいなぜこうも鈍感と言われなければいけないのか。
自分で言うのもなんだが、人の感情には敏感な方だと思う。
決して鈍感ではない。

「でも、それだけで来たんすか?あ、ひょっとして心配」

「緑間ァ!高尾拉致っていいかぁ!?」

宮地の大声に教室内でクラスメートに話し掛けられていた緑間は、スタイリッシュに爆走してきた。
高尾を宮地からべりっと引きはがして、自分の背後に隠す。
今日はよく言葉の途中で遮られるものだな、と高尾はくだらないことを考えた。
現実逃避とも言う。

「ダメに決まっています」

「冗談だろ。誰がそんなうるさい後輩欲しいと思うかよ」

ひどい。人のフラグを折ったくせに言うに事欠いてそれか。

「…それもそうですね」

納得するなよ。
三年三人組を見送る。
隅の方で腹筋崩壊しかけている友人を膝かっくんすると、追い撃ちになったのか崩れ落ちた。
馬鹿ばっかりか。


「ハードな照れ隠しだったな」

「何がなのだよ」

「いや、宮地さんも相当なツンデレだよなって話」

「……?」

本人の前で言おうものならすぐさま木村の家のトラックが召喚されかねない。
自然と緩む表情筋を掌でごまかしながら、高尾は鞄から教科書を取り出す。できるだけ奥の方に眠るチョコには目を向けないようにして。
ちらと横目を流す緑間は、もう何人ものクラスメートからチョコを渡されている。
中にはわざわざルールとは関係ないからと明言して渡している女子もいるが、その全てを緑間は困った顔で断っていた。
こうして見ると緑間も随分丸くなったように感じる。
まだ秀徳に入学したばかりのときは、ATフィールド全開の何者も寄せつけないどこか危うい雰囲気を纏っていたように思う。
当時の緑間ならば、こうして気軽に声をかけることができるのもごく僅か、バレンタインなど冷ややかな視線と論理的な口調でもってくだらないと一蹴されるのがオチだっただろう。
しかし緑間が変わったのは、周囲の環境が恵まれていたのもある。
おかしなラッキーアイテムも一見傲岸不遜な態度も、そういう人間なのだと割り切ってしまえば付き合っていくのは案外たやすい。
要は慣れの問題なのだから。
チームメイトもクラスメイトも、そういう意味ではすぐに緑間という人間に馴染めたのだと思う。
緑間自身が明確に変わったのではない。緑間の周囲が変わったのだ。
それは、誰か、のおかげではないし、緑間と関わった全員のおかげだ。

「高尾」

「んー?」

「お前、俺に何か言いたいことがあったのではないか?」

ぱちん、思考のシャボン玉が割れた。
高尾は丸く開いた目を何度か瞬いて、緑間を振り向く。

「真ちゃん」

「なんだ」

「えっと…その、だな」

そうだった。緑間にチョコを渡すのが当初の目的だったはずだ。
さて、どうしよう。困った。
冗談っぽく渡せばいい。頭では分かっている。実践するのだっていつもの高尾の言動ならば難しくはない。
しかし、いざ緑間を目の前にすると、前日手をつけていなかった範囲がテストに出てきたときのように頭が真っ白になってしまう。
鞄から、チョコを出して、一気に、言えば。
それだけ。それだけだ。

「あのさ、真ちゃ」

「高尾くん」

なんとなく、そうなるような気はしていた。
してはいたが、どうしてこのタイミングなのか。
中途半端に鞄から手を引き抜いたせいで、高尾を呼んだ女子からはばっちり何を出そうとしているのか見えているだろう。
幸い緑間には見えていない。
高尾は慌てて中に突っ込もうとするが、教科書に引っ掛かってラッピングが崩れてしまった。
せっかく妹と一緒に丁寧に包んだラッピングが台なしだ。
上手くいかないことばかりの高尾は、にじむ視界にぐっと力を込めて顔を上げる。
精一杯の笑顔を作って、

「どうした?」

「え、あ…チョコ、あげる」

気まずそうな表情で、彼女は高尾のラッピングよりもずっと綺麗に包んだそれを突き出した。
高尾は自分でもおいしくできたのではないかと少し自信を持っていたけれど、どう考えたって本物の女の子からもらったチョコとじゃ勝ち目なんてない。
反射的に受け取ろうと手を伸ばす高尾の横をすり抜けた緑間は、彼女からチョコを奪ってしまった。

「緑間!」

「迷惑なのだよ」

緑間はそのまま彼女にチョコを押し返すと整った眉を歪めて、とても女子に向けるものではない低い声を上げた。
いくら機嫌が悪いといっても、なんの関係もない女子に当たるような緑間ではないのに。
緑間の態度に驚いた彼女は、受け取ったチョコを胸に抱いて俯く。

「ごめんな。気持ちだけもらっとくわ」

とりあえずのフォローをしつつも、高尾は緑間が何を考えているのか分からなかった。
彼女は睨みつける緑間と苦笑を浮かべる高尾を交互に見遣って、残念そうに笑うと踵を返して行った。

「緑間」

「なんだ」

「それはこっちのセリフだ。どういうつもりだよ」

「お前がひょいひょい受け取るからに決まっているだろう」

「だからってあの態度はねぇだろ」

「欲しかったのか」

「そういうわけじゃねぇけど」

ならいいだろう、と悪びれもせずに平然とした顔で自席に着く。
高尾はフツフツと沸き上がる怒りを抑え切ることができなかった。
チョコをもらえなかったことではない。
何より、彼女達がどんな気持ちで渡そうと勇気を出したのか、今の高尾にはよく理解できるから。
迷惑だ、と。その言葉がどれほど胸に突き刺さるのか、この男は理解していない。
もしも、チョコを渡したとして、彼女に対して放ったものと同じ言葉を返されたらと思うと、高尾はどうしようもなく悲しかった。

「高尾?」

「もう、いい」

今日一日、高尾は緑間以上にイライラしていた。
ストレスなんて無縁のように思える高尾は、人一倍喜怒哀楽が激しいといっても過言ではなかった。
チョコを渡すのだって、不安だったけれど、楽しみでもあったのだ。
それなのに。

「毎回毎回邪魔されて」

本当は普通の女の子みたいになんの気兼ねもなく迫ってみたかった。
緑間くん、好きですって言って渡してみたかった。
決して女の子になりたいだとか、憧れているわけではないけれど。
男だからこそ、同性だからこそ、越えられない壁があるのも分かっているけれど。
それでも。

「ただ、お前の喜ぶ顔が見たかった」

それだけだ。
エロ本買うみたいに雑誌と雑誌の間に挟んでレジへ持っていったバレンタインレシピ本も。
普段行かないスーパーに走って、少ししかない財布の中身絞って買った材料も。
納得いくものが作れず夜中までかかってこっそり作った緑間専用チョコケーキも。
全部全部、ただ、緑間の喜ぶ顔が、見たかっただけなのに。
素直に喜べない緑間が、照れたように眼鏡を押し上げて、仕方がないからもらっておくのだよって、言ってくれるのを期待して。

「もう、いいんだ」

だから、もう。


鞄に入っていたチョコは案の定ラッピングも形も崩れてぐちゃぐちゃだった。
勢い任せに紙を破り捨て、器に盛りつけたチョコのカップケーキにかぶりつく。

「高尾!?」

汁か。間違った。知るか。
もう何もいらない。どうだっていい。
もはややけ食いに近い豪快さで高尾は口の中に詰め込む。
普通のチョコレートならまだしもケーキだとどうしても口の中が渇いて、時折むせる。
部活用にと朝から買っておいたスポーツドリンクと一緒に流し込み、ふぅと息をついた。

「高尾…お前…」

「あぁ、気にすんなよ真ちゃん」

両手を上げてへら、と笑みを作る。
そして、からかい混じりに言うのだ。

「馬鹿だな真ちゃん。冗談だよ」

「なにして」

「好きなのだよ。なんちゃってー」

バチン、電気がショートするような強烈な音が高尾の耳元で響いた。
強制的に動かされた首も茹だるように熱い頬も、鈍器で叩き割られた心臓の痛みには敵わなかった。
さきほどまで騒がしかった教室には誰一人の声も上がらない。
シン、と静寂に包まれた教室が、ひどく高尾には心地悪く感じる。

だって仕方ないじゃないか。

「高尾」

「………」

なんと答えれば正解なのか分からずに沈黙を貫く。
高尾にチョコを渡してきた女子のほとんどは皆、示し合わせたように同じ台詞を吐くのに。
頑張って、なんて。
やめてくれ。どんなに頑張ったって、伝わらなければ意味がないじゃないか。
俺には、これが限界だった。
感情で動けるほど勇者でなければ、すべて嘘にしてしまえるほど臆病者にもなりきれない。
なんだって、中途半端なのだ。

「高尾」

「……なに」

「こっちを向け」

この状況でなにを言っているんだ。
こっちを向けと言われてはいわかりました、と素直に従う馬鹿がいるか。
火サスの犯人だって待てと言われて待つ犯人はいない。
追い詰められている、という点では似たり寄ったり。
理性はまだ残っているせいで逃げるタイミングを完全に見誤っているような気がしてならない。
高尾の断固として譲らない姿勢に、緑間は小さくため息を吐いた。

「高尾」

「だから、なん」

ショート。思考停止。
シグナル、失敗。
SOS、誰に?

眼前に広がるのは緑緑緑。真っ青。
熱い。触れた箇所から融解していきそうだ。
甘ったるい匂いと、少しだけビターのきいた大人の味。
初めてではないから、残念ながらレモンではなかった。
自分でも相当丸い目を見開いていることだろう。

「んぅ……っ!」

なにやら恐ろしく柔らかいものが舌に擦れる。
高尾は叫び出したくて堪らなかった。
嘘だろ嘘だろ嘘だろ。
にゅるりと口内をはいずり回って蹂躙して、歯列の隅々までなぞられて。
もうわけが分からなくなりそうだ。

「うぅ……」

「大丈夫か」

大丈夫なわけあるか!
目一杯非難の言葉を浴びせてやりたかったけれど、情けなくもぐったりと弛緩しきった体を緑間に預けることしかできない。

「文句なら俺だって山ほどあるのだよ」

頭を緑間の肩で支えている為、低い声が軽い振動となって伝わる。
うぅ、返事の代わりに唸ってみれば、緑間から聞いているのかと叩かれた。
甘やかす気がないのならさっさと突き飛ばせばいいだろう。
自分で考えて虚しくなったので、素直に頷く。

「お前は自分に対する好意には鈍いし、危機感すらない。同情でほいほいと受け取られては俺だっていい気はしないのだよ」

「な……に、鈍くねぇし……別にほいほい、なんて……」

「ふん、どうだか」

緑間は涼しい顔で鼻を鳴らした。
正直に白状してしまえば同情で受け取ったことは否定できない。

「どうせ何も考えていなかったのだろう」

「そ、そんなことねぇよ!みんな俺を応援してくれてただけで」

「ほう?」

緑間の楽しげな声に気づいて、高尾はびくりと肩を震わせた。

「ところで、高尾。さっき渡した俺のチョコレートはうまかったか?」

「…は?」

「心配しなくとも、お前のケーキは代わりにもらっておいたのだよ」

口元を引き上げる緑間の仕種に、ひどく甘ったるい舌の感触を思い出して顔中が熱を帯びていく。
慌てて唇を制服で拭うも、当然意味はない。
逆に緑間は高尾の反応に面白がっているようだ。
しかし顔を見ようとしているのか、無理に頭を引き剥がされて首に不気味な音が走った。

「いってぇよ!」

「す、すまない」

格好がつかない。
さすが緑間真太郎である。
二人の行く末を考えて、見守っていたクラスメート達は一斉にため息を吐いた。
緑間は首を押さえて大袈裟なリアクションを取る高尾に、わたわたと焦っている。
さっきまでの雰囲気はなんだったんだ。

「高尾!」

「……っ、うっせえ!今見んな!」

両手で必死に顔を隠そうとする高尾の手を取り、緑間はやけくそに叫んだ。

「あぁもう…!好きなのだよ高尾、俺のものになれ!」





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