一年に一度の決戦。
女の子にとってその日はまさしく戦いの場であるといえよう。
海外でのバレンタインのありようなど知ったことではないが、日本はお菓子メーカーによる陰謀とやらで、女子が男子に対してチョコレートを渡し告白するという恋愛の後押しが通例である。もっとも世間では義理チョコ、友チョコなどといった手軽に渡せる需要が増えてきているというのだから、都心に建つこの秀徳高校においてイマイチ流行りに乗り切れていないのかと疑ってしまうほどだった。
特に恋する女子達の格好の獲物である秀徳バスケ部部員とっては。



バレンタイン・パニック



高尾和成は、隣で眉をしかめる相棒の姿をひっそりと眺めながら、心中でため息を吐いた。
相棒の目線の先には、綺麗にラッピングされた恐らくチョコであろう物を持って待ち構えた女子生徒が2人。ちなみに鷹の目で捉えた本来の人数はざっと6人だ。後方から2人、物陰に1人、窓の外に1人。若干名、ツッコミたいのはやまやまだが、早急に賢明な判断を下した高尾は瞬時に選択肢を割り出す。

1.そのまま普通にスルー

これは今までの経験上、無理に等しいだろう。
覚悟を決めた女子の行動力は半端なものではない。
というより物理的にこの人数相手じゃあまともに太刀打ちできそうにない。
一人に捕まればあっという間に引っ張り込まれるのは目に見えている。
下手をすれば食ってかかる女子の威圧に呑まれかねない。
得てして却下。

2.別のルートを通る

これもなかなか難しい話だ。
唯一おるしこの置かれた自動販売機へ行くには、彼女達の前を通る必要がある。
別ルートも一応高尾の頭にはインプットされているが、大分遠回りになるしここと同じように何人かの女子が見張っているだろう。
結果的には無理に前を通ろうとして返り討ちに合うのは変わらない。
またしても却下。

3.あえて声をかける

馬鹿やろう!死亡フラグしか見当たらないじゃないか!
機嫌がいいと勘違いされてどこからともなく嗅ぎ付けた女子の群れに押し潰されること間違いなしだ。
当然却下。

4.俺が囮になって緑間を先に行かせる

「よし、これだ」

俺へのダメージは凄まじいものになるだろうが、大切な相棒のため、この命投げうってくれる。
高尾は朝から次々と攻撃の手を緩めることなくやってくるチョコレートに、少々テンションがおかしくなっていた。


「緑間!ここは俺に任せて先に行けぇ!」

あれ?これって結局死亡フラグじゃん。
高尾が気づいたときには遅かった。
目を光らせた女子達が一斉に高尾を取り囲む。
オンナノコ、コワイ。
ひくり、と頬を引き攣らせた高尾が一歩後ずさる。
同時にどこからともなく、カーンというバトル開始のゴングが鳴った…ような気がした。

後ろで高尾の勇姿に黙祷を捧げる緑間は、どうしてこうなったと遠い目で考えた。


秀徳高校ではイベント事にかこつけてサバイバルルールというものが適用される。
サバイバルルールとは、
1.学生たるもの、世間の浮ついたイベントに便乗し、勉学を疎かにするべからず。
2.ただし、どうしてもというのであれば、アベックを除いた勉学に熱心と判断された生徒のみ便乗することを許可する。
3.このルールが適用されると必ず件の生徒は義務を遂行しなければならない。
4.リア充ざまぁみろ。
以上である。
最後の一言が全てを物語っているのは言うまでもない。
進学校の秀徳高校とは思えない馬鹿馬鹿しいルールだ。
作った卒業生曰く、受験間近でストレスが最高潮に達していた時期、バレンタインなどというモテ男以外には敵でしかない騒動についイラッときちゃって、らしい。
毎年残され続けているこのはた迷惑なルールは、今では秀徳の伝統行事だ。
それにしてもアベックはないだろう。死語だ。
高尾は右手に持ったパウチ飲料をすすって現実逃避を試みた。
しかし今だ舌に乗ったチョコレートの味は残り、飲料と混ざって少しも緩和されることはなかった。
椅子の背もたれを前にして後ろの席にくっつけば、悠々と先程の戦利品を傾ける緑頭が目についてさらに不快な気持ちになる。
別に緑頭が嫌いなわけではない。この男自身も、嫌いではないと言ったら嘘になるが、まぁ意味が違えば心持ちも違うというものだろう。
とにもかくにも、なんとかこうして命からがら逃げおおせた高尾がイラついているわけは、どちらかといえば自分自身にあった。
(あーあ……こんなことなら、気合い入れて作ってくるんじゃなかった……)
高尾は今朝、恥を忍んでこっそりとラッピングを施した鞄の中のチョコレートに思いを馳せる。
本来ならば大坪、木村、宮地の三人にも同じように渡すつもりだったのが、朝から妹に見つかり、言い訳として三つとも家族に渡してしまったのだ。
皮肉にも一つだけ残ったのは、緑間に渡そうと考えていた本命チョコ。
今更、この状況で渡せるわけがない。
(迷惑すぎるって……サバイバルルールめ……)
恨もうにも秀徳生全員が同じ境遇。作成した卒業生に恨んだって仕方ない。
ズズズと思い切り吸い込んだせいで、咳込みついでに吸引力の変わらないただ一つの以下略によって舌がヒリヒリと痛んだ。
高尾を見下ろす緑間は、まるで痴漢の現場を取り押さえられたオッサンの隣に居合わせた女子高生のような目つきだった。
解せぬ。

「で、結局いくつもらったのだよ」

「んん?そうだな…ざっと5つくらい?」

「7つだ。お前は数を数えることもできないのか」

「うわっ、そんなに!?」

緑間の様子がなぜか不機嫌なことに気を取られていた高尾は、完全にツッコミをスルーしている。
しかも理不尽な怒りは収まることを知らないようで、ぎろりと鋭い視線が高尾へ突き刺さる。
女子達の肉食獣のような獰猛すぎる視線よりはマシだが、幾分男としてのプライドを踏みにじられていた高尾は、苛立ちも混じって多分な不愉快さを隠そうともせず表情を歪めた。

「なんだよ」

「なぜそんなにヘラヘラしていられるのか理解に苦しむのだよ。このルールの意味をきちんと理解しているのか?」

「……当たり前だろ」

そう。緑間の言う通り、このルールには意味がある。
問題はルール3に記載された、“このルールが適用されると必ず件の生徒は義務を遂行しなければならない”のくだりだ。
この場合の義務とは、実際具体的な内容が取り決められているわけではない。
ルールが適用される条件下、つまり本人がイベントへ便乗し対象者から合意された後、本人は対象者への義務を言い付けることができる。
難しい言葉を用いてはいるが、簡単な話、バレンタインではチョコレートを渡した相手に“命令”することができるのだ。
一般的な例として多いのは、一日デートをして欲しい、だとか本来の目的で付き合って欲しいと告白をする人だろう。
もっとも、あくまで合意であった場合だから、無茶な命令は元からチョコを受け取らなければいい話だ。
だからこそ、女子は必死になるのだろう。
なんとか“合意”へ持ち込むために、朝のような騒動が起こる。

「7人となど…ふざけているとしか思えないのだよ」

「わざとじゃねぇよ。つうかお前はちゃっかり逃げてたじゃねぇか!」

なんとも遺憾である。
恩をひっくり返して猛獣の群れに投げ込んだのはどこの誰だ。

「元々狙われていたのはお前一人だけだったのだから、逃げれば問題なかっただろう」

「はぁ?」

おっと突然の責任転嫁に高尾は思わず真顔になった。
この鈍感男は一体全体何を言っているのだろうか。
ちょっと意味が分からない。
自分がどれだけ女子に人気があるのか露ほども理解していないのではないか。

「オイオイ真ちゃん、そりゃないぜ。俺はお前のために囮になったようなもんなんだけど」

「はぁ?」

緑間はしばらく怪訝に眉をひそめていたが、やがて可哀相なものを見るような視線を高尾に注いだ。
高尾は常々、緑間面白いそんなところが結構好きだと口外してもいるが、ここまで意思疎通が図れないことは初めてであった。

「高尾。お前は人のことをさんざ鈍感だなんだと馬鹿にしているが、お前の方がよっぽどなのだよ」

「さっきから何が言いたいんだよ」

「いいや。言っても分からんだろう」

「なんだよ、それ」

一人納得する緑間が気に入らないとばかりに高尾は機嫌を損ねる。
緑間は今だ気づいていない様子の友人を見遣って、小さく息を吐いた。
狙われているのは誰かなど、先に逃げた緑間を追いかけようともしなかった時点で分かりそうなものだろうに。

「あの、さ。真ちゃん。そんなことより」

高尾はぎゅうと両の拳を握りしめる。
後から身に降りかかることなど今は興味がなかった。
緑間のために作ったチョコレート。
本命の、チョコレート。
渡すつもりはなかったが、そうだ。そこは高尾和成である。
緑間相手に冗談半分で渡したとしても、不思議ではないだろう。
おかしな勘繰りをしようものなら、いつものように笑い飛ばせばいい。
馬鹿だな真ちゃん本気にすんなよって冗談にしてしまえばいい。
これはサバイバルルールとは関係のないチョコレートだ。
何の見返りもいらない。当然だ。高尾も緑間もれっきとした男なのだから。

「実はさ。お前に渡したい物が」

「高尾ー!!」

教室の入口の方から聞こえてきた友人の声に、高尾には小さな殺意が芽生えた。
あのやろう後で覚えていろよ。
しかし呼ばれた手前、無視するわけにもいかず、何か言いたげな緑間に一言断りを入れて友人に近寄る。
せっかくの人の覚悟を無駄にしやがって。

「なんだよ、轢くぞ」

「うおっ!高尾、なんか怒ってる?」

「べっつに」

しょっちゅう殺人予告を宣言する先輩の口調を真似る高尾に、表情を引き攣らせた友人は静かに教室の外を指差す。
そこには確か一つ上の先輩女子の姿があった。
彼女が友人を使って高尾を呼び出したらしい。
真面目そうな彼女は頬を染めて不安げに高尾を見上げている。
彼女の手の中には大事に包まれた紙袋。
本日何度目かの告白か。

「あ、あの…。高尾くん」

「…はい」

「よかったら…その。緑間くんと…食べて」

「は?」

予想外な告白の言葉に呆気に取られた高尾はぽかんとマヌケな顔を晒して、それだけ言うと紙袋を押し付け走り去っていった彼女を見送った。
後には今まで高尾と先輩の様子を始終見ていた友人の爆笑する声がこだましていた。
こいつ絶対泣かす。






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