高尾和成は存外不器用な男である。彼の上面しか見ていない人間ならば、そんな馬鹿な、と思うかもしれない。しかし、彼を少しでも知る人間ならば皆、口を揃えて言うのだろう。器用すぎて逆に不器用な人間なのだと。
 高尾和成という男は、軽薄そうに見えてその実、誰よりも思慮深い人間である。クラスメートと話す姿はまるで道化。物事に感心がないのとはまた違う。ふざけあうことは普通の高校生として楽しい。しかしそこに人間関係の軋轢が生まれれば途端に高尾の思慮はそこへ向かう。わざとおどけ重苦しい空気を払拭する。空気を読むことに長けているといってもよい。誰にでも人当たりがよく気遣いができ、なおかつ周囲に渦巻く人間関係を円滑にする。流されやすい人間かと思えばそうではない。一度決めたことは梃子でも動かない。柔軟に立ち回る男であるが、肝心なところで頑固なのだからある意味、緑間よりも厄介な人間だ。しかも、緑間と違って高尾は己を主張することがない。じっと己の中に秘め、全てを自分一人で完結させるきらいがある。秀徳の一年コンビに何か問題が起こったとすれば、意外にも高尾の方が面倒な男なのではなかろうか。と、三年のレギュラー陣は密かに思っている。 そう、高尾和成は、どうしようもなく。

 「馬鹿なやつなのだよ」
 緑間は、主の消えた机を眺めながらぽつりと呟いた。先程までは確かに輝かんばかりの笑顔で、緑間の弁当を狙う高尾の姿があったというのに。
 昼休みだけではない。最近になって高尾は一学年上の男子生徒と付き合い始めた。緑間の思い違いでなければ、以前高尾に告白し玉砕した男だった。一体どういう心境の変化が起こったのか。おかしいのはそれだけではない。高尾がバスケ部を辞めると中谷監督に直接退部届を渡したらしい。監督はまだ退部届を受理してはいない。口を挟む様子もなかった。きっと高尾を待つことにしたのだろう。
 緑間はあの日、高尾が部活にも顔を出さず勝手に帰った日のことを思い出す。高尾について話があると、最近やたら話し掛けてくる同学年の女子生徒から呼び出された。
 彼女が高尾に告白してきた男子生徒の取り巻きであることは、偶然にしろその場に居合わせた緑間には分かっていた。そして、その少女が男子生徒から脅され緑間に対して好意を持っているフリをしていることも。
 恋愛ごとに疎い緑間でも自身に向けられる感情の類くらいは正確に読み取れる。少女が明かしたのは、今でもあの男が高尾に並々ならぬ執着を抱いていることだ。高尾を自分の物にするためならば、手段は選ばない、と。
 「高尾……」
 その結果が、高尾のバスケ部を辞めるという決断とあの男と付き合うことになるのか。
 あの男が高尾に何をしたのか、分からない。
 高尾は、何も言わない。
 ただ、心配するなと笑うだけだ。
 緑間真太郎は、高尾和成が分からなかった。緑間の覚えていない中学時代の試合。詳しい試合内容は聞かなかったし、高尾もそれ以上話す気はないというように挑発的な視線を返してきたが、少なくとも高尾が緑間を好きで共に行動しているわけではないのだろうと知っていた。打算目的で近づいてきたのか。それでも構わないと思った。寧ろ隠そうともしない敵愾心に溢れた猛禽類の瞳には、清々しいほどの緑間を利用してやるといった強かさが逆に好感を与えた。己を隠す軽薄な仮面一枚剥がせば、呆れるほど真っ直ぐに前を見据えるバスケ馬鹿の顔があった。 お前に認められると言った宣言通り、高尾は緑間ですら凌駕するほどの努力を重ねた。毎朝緑間をリヤカーに乗せ、文句を言いつつも自転車を漕ぐ。制服姿では両足の筋肉は推し量れないが、入学当時に比べてかなり勇ましくなったことだろう。
緑間と共に一番に体育館へと入り、シュート練習を始める緑間の脇でひたすら筋トレ。反対ゴールでハンドリングの練習。レイアップシュート。持久力をつけるための縄跳び。さすがにパスは相手がいないと練習しにくいようで、たまに緑間は高尾にパスを要求しシュートを放つという一連の練習を組み込む。他の部員達が体育館へ入って来ると、いつも通りの決められたメニューを熟す。その後はチームに別れてのミニゲーム。これも決して力は抜けない。高尾も緑間もまだ一年。二人の上にはレギュラーをぶん取る気満々でかかってくる先輩達がわんさかいるのだ。少しでも気を抜けば、緑間はともかく高尾はレギュラー落ちの可能性も出て来る。
 高尾はとにかく必死だった。それに加え高尾はPG。チームの司令塔だ。バスケット選手にしては小柄な身体にその荷はどれほどのものだろう。緑間に少し遅れてようやくレギュラー入りした高尾に対するやっかみも当然あった。緑間はまだマシと言えただろう。キセキの世代だから仕方ないと諦める者がほとんどだったから。しかし、高尾は違う。高尾は、努力のみでレギュラーに這い上がってきた。高尾だって、秀徳でなければ十分天才と呼ばれていた部類だ。生まれ持っての鷹の目。勿論それだけでは王者秀徳のレギュラーには入れない。他を圧倒する努力を身につけたからこそ、成し得たポジションだった。
 そのことを理解できないほど、秀徳のバスケ部は馬鹿ではない。入部して、あまりの過酷な練習量に大半は一ヶ月もしない内に去っていく。一軍二軍と割り振られ、レギュラーへの遠い道のりを目の当たりにして去っていく。自分では到底追いつくことのできない天才を目の当たりにして去っていく。
 そうして、レギュラーになることも敵わない部員達は、それでも毎日ひたすらに死にそうになるほどの練習を熟すのだ。
 それでも、理解しようとしない者もいた。幼稚な手段で高尾をレギュラーの座から引きずり下ろそうと企む者もいた。高尾は決して、屈することはなかった。憮然とした態度に猛禽類を匂わせる釣り目で相手を睨み、低い静かな声を上げた。悔しかったら、1on1仕掛けるくらいの気構えで来いよ。
 単純にも挑発に乗る二年生の部員相手に、文句のつけようもないほどの圧倒的点差で高尾は制した。
 当然の結果だった。ろくに練習にも出ていないような相手だ。入学したての高尾であっても勝てただろう。

 緑間真太郎は高尾和成を理解していた。いつのころからだったか。あの敵愾心に溢れた双眸はなりを潜め、代わりに緑間を見る視線が随分と熱い物に変わっていることに気づいた。シュート練習をする傍ら、高尾はじっと緑間の後ろ姿を見つめている。秘めた何かを必死に押し隠すように。焦げ付かんばかりにギラギラと燃える目。時折、悲しげに伏せる目。緑間の言動に揺れる目。こちらが恥ずかしくなってしまうような、蕩けた目。愛しい者を見る、甘く慈愛に満ちた目。
 緑間は高尾の目が好きだった。試合中に見せる、コート全体を見渡す鷹の目とは違う、本来の高尾の目が。美しいと、ただ思うのだ。可愛いと、思ってしまったのだ。愛おしいと、気づいたときには、遅かった。
 後戻りできないほど、緑間は高尾に惹かれていた。自身のシュートを見つめる目を同じ熱量でもって見つめ返したい。緑間だけに向ける顔をそっと引き寄せて抱き込みたい。拗ねたように尖らせる唇を何度だって触れてみたい。丸い頭に指を差し込んであの柔らかい髪を梳いてみたい。しなやかな動きを見せる男らしい骨格ごと余すことなく味わいたい。
 ただ一言でいい、いつものふざけた調子でないあの真剣な眼差しで、高尾の本音が聞いてみたかった。
 高尾和成は緑間の目から見てもよくモテた。それは男女関係なく、だ。持ち前のコミュニケーション能力と明るい性格。常に緑間の傍にいるため忘れがちだが、高尾の容姿もかなり整っている。黄瀬のような眩しいオーラを撒き散らすタイプでもなく、どちらかといえば気安く近寄りやすいタイプだ。高尾は気づいていないが、軽い口調で好きだよ俺もと掛け合う言葉の中に本気の想いを滲ませる者も少なくない。とはいえ、高尾が告白を受け取り交際したことは高校に入ってから一度たりもない。高尾は人当たりがよいように見せて、警戒心の強い人間だ。懐に入ることを許された人間は限りなく少ないと言えよう。そういう意味では緑間よりもパーソナルスペースは狭いのかもしれない。 だからこそ、緑間が焦る必要などなかった。高尾は緑間しか見ていないことを知っていた。高尾が緑間を追い続ける限り、緑間は悠然とマイペースを貫くことができるのだ。
 しかし、人事を尽くす緑間が唯一慢心したものがあると気づいたのは、既に高尾の視界から緑間が消えかかっていた頃だった。
 高尾が緑間への好意を諦めようとしていると気づいたとき、緑間は焦った。手の届く位置にいつでもあると思った。高尾が緑間だけを選ぶなんて、高尾に対して何の人事も尽くしていない緑間が確信できるはずもなかった。失念していたのだ。高尾はモテる。男女関係なく。
 だから、高尾が昼休み男子生徒から告白され、その断り文句として出てきた台詞に、緑間は心底胸を撫で下ろした。まだ、俺のことを好きでいてくれるのか、と。これが最後のチャンスだ、と緑間は高尾の口から好きな相手を引きずり出そうと少々乱暴な手段を使った自覚はある。部活から体調が悪いことを隠していたとは予想外だったが。表情には出さなかったものの、突然倒れた高尾には寸前に頭突きされたことも忘れ、らしくもなく取り乱した。なぜ、高尾の具合が悪いことに気づかなかった。立っていることすらままならなかっただろうに。追い詰めるような真似をした。しかも、自身の都合で。真っ青な顔でぐったりと身体を弛緩させた高尾の姿に、緑間は何度も自分を責めた。苦しそうに顔を歪める高尾の表情を思い出して、緑間は目をきつく瞑る。緑間は高尾が苦しむ姿を見たくて問い質したわけではない。ただ、知りたかっただけなのだ。高尾の本音を。 「お疲れ様でしたー!」
 幾人もの部員の掛け声は部活の終了の合図。ボールかごを引きずって直すチームメイトを尻目に、緑間は今日も黙々とゴールへ向かう。高尾が部活に来なくなってからというもの、どうも調子が狂う。入って当たり前のボールの軌道がいつもと違う。勿論、ネットを揺らすタイミングは誰が見ても完璧だと言うだろう。違和感を覚えるのは、本人と常に隣に立つ今はいない高尾くらいだ。
 緑間はテーピングの解かれた左手を暫く眺め、開いたり閉じたりを繰り返す。このままではおかしなシュートフォームの癖がついてしまいかねないと、息を一つ吐く。
 「緑間!」
 きん、と鋭く張られた自身を呼ぶ声に、緑間は肩を強張らせる。ゆっくりと振り向けば、案の定恐ろしい笑顔のまま仁王立ちしている宮地の姿があった。
 「お前らよぉ…マジで何があったのか知らねぇけど、いい加減にしろよ」
 「……何のことでしょう」
 「ふざけてんのか?あ?高尾のことに決まってんだろうが!轢くぞ!」
 あぁ、この人も高尾が心配なのか。何だかんだと言いながら、高尾を一番気にかけていた先輩はこの人だ。
素直でこそないものの、突然退部すると言い出した後輩相手に心配するなと言う方が無理な話だろう。
 「お前は心配じゃねぇのか」
 「俺がそんな簡単にバスケを諦めるような男に、隣に立つことを許すと思いますか」
 緑間の傲岸に言い放つ態度に、宮地は拍子抜けしたように眉を下げる。いくらか穏便な様子に首を傾げると、宮地は緑間の肩に腕を伸ばした。
 「なっ…!?」
 「要はあれだろ?俺の相棒が帰ってこないわけないのだよって?」
 「違う!」
 「さらっと惚気んじゃねぇよ」
 宮地は少しばかり高い位置にある肩を引き寄せ、バシバシと背中を叩く。試合中は頼りになる広い背中がどこか小さく感じて、キセキの世代と持て囃されるこいつも所詮16歳のガキか、と宮地は不器用な一年コンビを想って笑う。
 「そういやぁ、高尾のやつ、退部届出す前日だったか。物凄い必死な形相で廊下走ってるとこ見たけど、何か関係あんのか?」
 「退部届を出す前日?」
 そういえば、と緑間は思い出す。あの日、高尾は昼休みからいなくなった。そして、翌日には酷く満身創痍の身体でリヤカーを引いてきたのだ。
 緑間の脳裏に女子生徒の忠告が蘇る。
 ――気をつけて。
 ――彼、相当高尾くんに執着してるみたいだから。





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