本日のノルマは88回。おは朝蟹座のラッキーナンバーが8であったことからその回数に決められたらしい。
飽きるという概念がそもそも存在しない緑間は、毎回きっちりと決めた回数、寸分の狂いなくゴールリングへ突き刺してくる。恐ろしいほどの集中力、命中率。リングに吸い寄せられているかのようにボールはただ一直線を進む。緑間の理知的な雰囲気は計算型の選手かと思いきや、意外と直情型だったりする。喜怒哀楽でいうところの喜と楽の感情を滅多に表へ出すことはない割に、我慢を知らない短気な男だ。そう気づいてからは、もっぱら会話のほとんどが罵倒で占められていても、さほど気にはならなくなった。羨望と嫉妬は緑間と共に過ごす限り、いつだって俺の心に巣くっている。醜い自身の抱くものに覚悟はしていた。唯一敵愾心は緑間の練習風景を知って早々に逃げて行ってしまったが。あれだけの才能を持ち合わせていながら、彼の人事とひたすらシュートを繰り返す姿を見せられてしまえば同じバスケ馬鹿として嫌でも尊敬するしかなかった。

「ホント、嫌味なほどすげぇ男だよお前は」

「それは褒めているのか」

「けなしてるように聞こえたのか?」

だったらごめん、と口角を歪めて緑間を見上げる。エメラルドグリーンの双眸が、水の中で屈折した光みたいに鋭い反射角でもってこちらを睨んできた。

「お前こそ、鷹の目などと特殊な能力があるのは才能の内だろう」

「そりゃそうだ」

あっさりと肯定する俺に、緑間は訝しい表情を作る。謙遜する必要はないだろう。俺だって中学の頃はそれなりに有名な選手だったのだ。チーム自体がそこまで強くなかったから、秀徳のように全力で活躍できるプレーヤーではなかったけれど。もともと持っている才能を否定することは、持たない人間に対する冒涜だと考えている。あって当たり前ではないのだから。

「高尾。パスを寄越せ」

「おう」

小さくため息をついたきりこの話題に興味を失せたのか、バッシュの音を響かせる。キュッ、床と靴底が擦れる短い合図に、俺はボールへ全神経を委ねる。心地好い緊張感が、触れる指先とその先に待つ男の間を駆け巡ったような気がして喉を鳴らした。
ボールが空気を切る。一瞬後には既に緑間の手の中に移動して、シュートモーションに入っていた。高く放り投げられたボールは、そのまま天ごと突っ切ってしまいそうだ。巨大な放物線を形作る獲物が頂上で一度止まる。永遠に似た刹那の時間、陳腐な言葉であるが俺はその高揚感が堪らなく好きだった。
降下し始めるボールにはもう目を向けることなく緑間は身を翻す。アンダーリムのフレームを指先で押し上げた緑間越しに、高いループを保ったままのボールがゴール目掛けて直下。リングに触れることもなく、静かに網だけを揺らす。幾度となく再生されたそれは俺の優秀な網膜にしっかりと焼き付けられているのに、俺と過ごす緑間の姿はたとえ代わり映えのないものであっても一日一瞬と更新されていく。上書きではない。中学の三年間バスケに捧げた思い出も、初めて出会った緑間のシュートも、脳内ファイルに記録されている。高校に入学してからのファイルが中学の頃よりも格段増えているのは否めないけれど。

「高尾、何をぼーっとしているのだよ。さっさと片すぞ」

「あれ、もう終わってたのかよ」

「……お前は何を見ていたのだよ」

シュートの回数まで数えながら見てたわけじゃねぇよ、そう言い返せば、最後だからお前にパスを要求したのだよと明後日な返事。俺は首を傾げる。何だそれ。俺のパスはシメの役割でもあるのか。
緑間は呆れたように俺を一瞥すると、さっさと一人でボールを拾い集める。慌てて俺も混じり、腰を屈めて今日も酷使してしまったであろうオレンジの球体を丁寧に籠へ戻していった。表面のゴツゴツとした凹凸が随分と滑らかになっていることに気づいて苦笑する。監督によればまだ買い替えたばかりなのだとか。俺達が入学する以前よりも明らかに買い替えの間隔が短くなっていると、予算を受け持つ生徒会の先輩が愚痴混じりに言っていたのを思い出した。部活後、最終的に残っているのは俺と緑間とたまに主将くらいだ。どう見積もっても原因は一択しかなかった。気づいていても反省する気はさらさら起きない俺も、既に末期かもしれない。何のって問われればそれはもう、バスケ好きの病としか答えようのないわけだが。それとも、緑間の傲慢な性格が移ったか。それだけは勘弁願いたい。これから三年緑間を支えなくてはいけない立場になるというのに、俺まで緑間化してしまっては目も当てられない。そんなふざけたことを考えながら、俺は集め終わった籠に手をかけて口を開く。

「真ちゃん、先に部室行ってていいぜ。これ直して体育館の鍵閉めっから」

「構わん。待っているのだよ」

話が通じねぇなぁ、となぜか偉そうな態度で腕を組む緑間を眺めて俺はため息をついた。もしかしたら緑間なりの感謝なのかもしれないという考えに至ったのは、倉庫に籠を直し終えた後だった。今だに緑間の奇怪な思考にはついていけないが、理解できれば意外と素直な男だったりする。ただ、気持ちを伝える術を知らないだけなのだ。
宣言した通り律儀に俺を待っていたらしい緑間は、そろそろ本格的に冬へ突入し始めたこの時期にも関わらず、ジャージ一枚の姿で体育館の入口に立っていた。飽きもせずひたすらにボールを抱えていたとはいえ、汗の張り付いた身体のままではさすがに冷える。

「何してんだよ。風邪引くだろ」

「たかお」

こちらを振り向く緑間の仏頂面が僅かに崩れているのが垣間見えた。整った眉が情けなく下がった姿は、ただならぬ様子を示している。俺はどうした、と緑間に近づいて、ようやく足元の小さな物体に気がついた。白と黒の二色で統一された毛並み。真ん丸の涙に濡れた瞳が、憐憫を煽るように緑間を見上げている。子猫だ。
どうして体育館前に子猫がいるのだろう。野良猫か、どこからか迷い込んできたのだろうか。疑問は次々と出てきたが、困った顔で高尾、と俺に助けを求める緑間を見ていれば、今日何度目か分からないため息が自然と口をついた。


緑間は猫が嫌いらしい。俺はなんとなく知っていた。どういう過程で知ることになったのかまでは覚えていない。プライドの高い緑間のことだから、自分で言ったわけではないのだろう。断固として違うのだよと言い張る緑間が簡単に想像できた。
腕に抱いた子猫が身を震わせて、うにゃあと鳴く。寒いのか開いた胸元から制服の中へ擦り寄ってきて、くすぐったさに声を上げて笑った。少しの間距離を取って歩く緑間が、怪訝な顔つきで子猫に視線を移す。

「猫など連れてどうするつもりなのだよ」

「あそこで放置しても、どうせお前文句言うんだろ」

喉に軽く指先を滑らせると、子猫は気持ちよさそうに目を細める。可愛らしい仕種に頬を緩ませて小さな頭をグリグリと撫でてやる。随分と人懐こい猫だ。元は飼われていた猫なのではないだろうかと思案して、そっと俯く。飼っていた猫で子猫を産んで、それ以上飼うこともできずに捨てるのはよくあることだ。そういえば昔、まだ小学生だったころ、妹が捨て犬を拾ってきたことがあった。足の短い小型犬だったような気がする。妹が家で飼いたいと言う訴えに俺は頷き、二人で必死に両親を説得した覚えがある。俺達の押しに負けた両親は、餌やりと散歩をきちんと交代で行うという条件つきで飼うことを許してくれた。結局、その子犬は捨て犬ではなく飼い主が見つかり、引き取られていったのだが。

「言っとくけど、こいつ元気になったら戻すかんな」

「……当然だろう。俺は猫が嫌いだし、お前の家に迷惑をかけるわけにもいかん」

俺も緑間も、既に無邪気に拾った命を守ると信じて疑わなかった子供ではない。俺の腕の中で呼吸する小さな猫は、確かに今ここで必死に生きているのだ。軽々しく育てるなどと間違っても口にできるわけがなかった。俺は声に出さずごめんな、と子猫に囁く。子猫は俺を見上げて、みゃあんと一際大きく鳴いた。

「どうすっかな……」

俺は自転車のサドルに跨がって、胸元から顔を出す子猫に問い掛けた。もちろん子猫は首を傾げるだけで、答えてくれる様子はない。緑間は我関せずとばかりにリヤカーへ乗り込む。ジャンケンはいつものことながら敗北の結果に終わったのだが、猫を抱えたまま自転車を漕ぐリスクに俺は頭をひねる。緑間に預ければ済む話ではあるが、猫嫌いの緑間に頼むのは酷な気もする。他校の友人が呆れ顔で、君は緑間くんを甘やかしすぎていますと非難してきたのを思い出した。甘やかしているつもりはなかったのだが、先輩や監督からも同じ言葉を貰ったのでは納得いかないながらも肯定したのだった。

「真ちゃん」

「嫌なのだよ」

「まだ何も言ってねぇだろ」

「お前が考えていることは大体分かるのだよ」

「ならお前が漕ぐ?そうしたら猫を触る必要もないぜ」

「却下だ」

つん、と緑間は顔を背けておしるこ缶に口をつける。我が儘エース様め。確かにこれは甘やかしすぎたのかもしれない。心の中で悪い黒子、とそれほど悪びれていない口調であの能面のような顔と対峙する。
さてどうするか、と結局堂々巡りになりそうな問題にたどり着いて、俺はペダルを力いっぱい踏み出した。





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