「やぁ、静雄。久しぶりだね」
 驚いたことに俺の友人だと豪語する男は、玄関に入るなり両手を広げて歓迎するよと宣ってきた。
 セルティならともかく、この何を考えているか分からない男は、普段ならその数少ない友人さえ家に入れるのを大変拒む。
 これは本格的に怪しいと素直に表情に出せば、セルティが慌てて俺と男の間に割って入った。
 「静雄。お前が好きだと言っていた喫茶店のケーキもあるんだ」
 セルティ、呆然と名前を呼ぶ俺に、キョトンとした顔を向けて首を傾げてくる。よく分かっていないらしい無防備な仕種に、はぁと一つ息を吐いた。
 「嬉しいが、もう子供じゃないんだから。あしらうような言い方はやめてくれ」
 笑いを堪えているのかプルプルと肩を震わせる男を視界に入れないようにしながら、俺は口を開いた。
 セルティは俺や新羅と違って人間ではない。進む時間の体感も、ひょっとしたら大分違うのかもしれない。だからといって、小学生時代から交流のある俺を子供扱いしているわけでもないのだろうということは、きちんと理解している。でなければ、さすがにこうして図体ばかりでかくなった男相手に友人と呼んだり、恋人関係に落ち着いたりはしないだろう。
 本気でそう考えているわけではない。ただ、セルティの行動がどうも気にかかった。
 「あ、あぁ。すまない静雄」
 「いや、別にいい」
 セルティを纏う影が薄ぼんやりと渦巻いている。セルティの感情が落ちたときに発する癖のようなものだ。暗雲立ち込める霧と見紛う影は、玄関内に留まらず、隙間という隙間を通り抜け更に奥へと入り込んでいく。今だぴたりと閉じられた扉の向こう、以前と部屋の内装が変わっていなければ、リビングに通じているはずだ。そこから「わっ」男の軽い悲鳴が聞こえてきた。セルティの影が侵入してきたことに驚いたのだろう。次に焦ったのは新羅だった。
 「おい新羅、誰か来ているのか?」
 「え?ええと…。そう!幽くんが、ね。君の誕生日パーティーをするからって誘ったら、快く来てくれたんだよ」
 妙に歯切れの悪い答えに眉を潜める。幽が?問い掛ける俺の疑惑に溢れた声音に気づいたのか、新羅はこくこくといっそ大袈裟に首を縦に振った。
 「俺、やっぱ」
 「兄さん」
 帰るわ、告げようとした俺を遮る男の声に瞠目する。闇医者の仕事が儲かっているのか、それともセルティの裏稼業とやらのおかげか、俺の安アパートとは比べものにならないほどの高賃貸であるこのマンションは建築年数が古い物件だ。オートロックのついたセキュリティマンションが主流の今、珍しくも鍵タイプの普通のドアノブに掛けた手を下ろした。玄関とリビングを繋ぐ扉から顔を覗かせているのは、間違えようもない弟の姿だった。
 「幽。どうしたんだ、仕事は」
 「新羅さんから聞いたんだ、兄さんの誕生日パーティー。社長には事情を説明したら早く上がらせてもらったよ」
 一時でも長く休みを取りたいだろうに、幽は能面のような無表情の中に僅かな笑みを浮かべてそう言った。
 「ほらね!僕は嘘なんて言ってないよ」
 「確かにその通りだが何となく腹立つから殴っていいかセルティ」
 「好きにしてくれ」
 酷いよセルティ!弾かれたように反応する新羅は、叫ぶ非難に反して恍惚とした顔を向けている。本気で殴るかと拳を振り上げるが、それより寸分セルティの行動が速かった。ライダースーツの張り付いた細い脚が、遠心力を利用して美しい孤を描く。新羅が反応する間もなく回し蹴りが脇腹へと入った。
 おおっと、思わず幽と同じタイミングで拍手。セルティが新羅相手にそれほど強い力で蹴るわけもなく、よろよろと壁に手をつきながら立ち上がった。こいつも常々頑丈な男だ。
 「セルティ……愛が痛いよ」
 「そうか」
 どこか陰のある浮世離れした容姿を持つセルティが目を細めて笑う姿は、現実味の失せた妙な寒々しさを感じてしまう。それは多分、セルティの笑顔が決してよい意味を示しているわけではないことも関係しているのだろうけれど。
 新羅もさすがにセルティの表情から何か察したらしい。頬を引き攣らせて、固まった。
 「そうだ、兄さん」
 思い出したというように幽は俺へ目線を上げる。セルティの反応からするに、あるいは言い出すタイミングを測っていたのかのかもしれない。首を傾げる俺に、少々緊張した面持ちで幽は口を開いた。
 「実は、兄さんに紹介したい人がいるんだ」

 ついにこの時が来たのかと思った。
 弟、幽の芸名、羽島幽平と今や同じくらいの人気絶頂アイドル聖辺ルリ。
 二人が所属している芸能事務所から正式な交際発表がなされたのは、先月のことだ。両親には既に話がついていたらしいのだが、俺が幽と聖辺ルリの交際を知ったのは報道後であった。
 申し訳なさそうに電話を寄越す幽の、ルリと過ごす時間さえない忙しさを知っている。
 それでも、俺と連絡を取ることを優先してくれた幽を責めるつもりはない。
 よい意味でも悪い意味でも感情の起伏が激しい俺を反面教師として育った幽は、妙なところで俺と似て不器用な男だ。
 兄として弟の幸せを喜ぶべきか。
 不安半分、安心半分といったところだ。 気まずい沈黙が俺と幽の間を流れる。新羅は珍しく空気を読んだようで、閉口したままだ。
 おそらくこの場で幽の表情の変化を理解できる者は俺しかいないだろう。真一文字にきつく縛られた口元と不安定に揺れる双眸が、俺の反応を見逃さぬとばかりに顕著だ。何と返したものかと頭を巡らせる。幽から貰ったバーテン服のスラックスに常備している煙草の箱を手を伸ばす。ライター、とベストの胸元を叩くが、さすがに幽やセルティのいる前で吸うこともできず、結局一本だけ口にくわえたまま弄んだ。
 「ここに来てんのか」
 「うん。会ってほしいんだ」
 「おう」
 俺の返事を聞き届けた幽は、俺に背を向けて元来たドアへ向かう。
 先頭を歩く幽の足元には、成人男性向けではない淡いピンク色をした可愛らしいスリッパがある。
 セルティの趣味なのだろうかと、玄関の脇に綺麗に並べられたモスグリーンのスリッパに同じく足を通した。
 先ほどから大人しい新羅の様子が、俺にはどうも気になった。





 玄関とリビングを繋ぐ廊下を進み、重たい音と共に開いたドアの先。
 前来たときとあまり変わり映えのしない光景が目に飛び込んできた。
 横に伸びる高級そうなソファ。黒いカーペット。脚の短い割に顔の広いテーブル。
 壁紙についた血のようなシミはきっと見間違いではないだろう。
 目が疲れると文句を言っていた俺の部屋にある物が子供だましだと思えるくらい、画面も画質も一級品の液晶テレビ。
 傍らには、人間よりも人間らしいセルティの趣味とも言えるゲーム機の類。
 正直、機会類に弱い俺にはあまり詳しいところは分からない。
 その、座るのも躊躇ってしまうようなソファの上。
 幽は親しげに声を掛けている。
 「羽島さんの、お兄さん」
 画面の向こう側でしかお目にかかったことのない聖辺ルリの姿があった。
 繰り返す彼女の姿は、確かに数多くのファンを虜にしてしまうのも無理はない。
 隣立つ幽と並んでも決して見劣りはしない。むしろ、映画のワンシーンのように二人の世界がそこには存在していた。
 光景としては些か物足りなさを感じるが。
 「初めまして、聖辺ルリです。あの…幽さんとはお付き合い、させていただいています」
 「あー…平和島静雄だ。こいつ、不器用なところもあるけどよ。仲良くしてやってくれ」
 「はい。…あの」
 うん?言い淀むルリに首を傾げる。
 「羽島さん、あの人のこと」
 「あぁ。いいですか?新羅さん」
 「やっぱり、やめた方がいいと思うけどなぁ」
 ルリ、幽、新羅と伝言ゲームのように回される台詞に、俺の眉根へシワが寄る。
 幽やセルティがいたから我慢できていたものの、俺は元来気の長い方ではない。
 新羅の回りくどい言い方には腹が立つし、理屈っぽい人間は嫌いだ。
 小さく舌打ちする俺の様子に誰よりもいち早く気づいた幽は、咎めるように兄さん、と囁いた。
 「もう一人、いるんだ」
 「あ?」
 「俺の先輩なんだけど、どうしても兄さんに会いたいって」
 「ちょっと幽くん!」
 慌てる新羅を押しのけて幽の顔を覗き見る。
 「なんだそれ。俺のこと知ってんのか」
 「それは…、うん」
 「ふぅん。先輩、な。幽が世話になってる相手なら、挨拶しとかねぇと」
 正気かい!?叫び新羅と俺へ交互に視線を向けながらセルティはわたわたと戸惑っている。
 止める意味が分からない。新羅も、始め俺に紹介するつもりで家に上げたのだろう。セルティも同じだ。
 会わせたいのか会わせたくないのか、どちらなんだと新羅を睨みつければ、ガチャリ。
 部屋の奥、確か新羅の仕事部屋があった方の扉が、ゆっくりとこちら側へ開いた。





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