『君にはほとほと呆れ返りますよ』
 「なんで」
 プシュ、小気味よい音に耳を澄ます。
 アルミを満たす泡の弾ける様子は一種の芸術とさえ本気で思う。
 その芸術達も儚い物だ。銀の隙間から覗く泡は、人魚姫の末路のように不規則な波紋へと沈んでいく。
 指先に触れる箇所から広がる冷気にぶるりと身を震わせる。空気は生温い。し、乾燥で唇が痛い。
 小さく舌打ちして、苛立ちを誤魔化すためプルタブに軽く口をつける。
 俺の寂しい財布から搾り出して買った暖房は、ここ最近働き詰めで調子が悪い。
 それもこれも、気まぐれに転がり込んだ我が儘猫の所為だ。
 女王様よろしく毛並みとプライドだけは一級品なのだから、戴けない。
 『そんな人、捨て置けばいいんです』 ぶひゃひゃ、笑ったら携帯とアルミ缶を落としそうになった。
 何がツボに入ったのか、自分でもよく分からない。
 「お前、仮にもチームメイトだった男だろ」
 『知りません。少なくとも、中学の頃はそこまで情けない人ではありませんでした』
 君のせいじゃないんですか、続けられた非難に苦笑する。
 甘やかした自覚はある。が、決してぬるま湯に浸っていたわけではない。
 ケツひっぱたいてくれる先輩に、何手先も見通す監督。肝は据わるところまで据わった。愛、ではあるが。
 帝光の頃がマシだった、なんてそれだけは言われたくないものだ。
 俺も、緑間も。
 「俺の所為だって、言いてぇの?」
 『違います。自業自得だって言ってるんです』
 「容赦ねぇなぁ」
 テレビの真上に掛けられた時計を見上げる。妹から引越し祝いにもらった物だ。
 長い針が頂上へ向かっている。
 完全にフライトの時間には間に合わない。相変わらず、残酷すぎるほど不器用な男だ。
 『辛いのは断然君の方でしょう。追い掛ける甲斐性もないんなら始めから付き合うなって蹴り出せばいいじゃないですか』
 「弱ってるとこ、見ちゃうとなぁ」
 『このままじゃ君、都合のいい避難場所にされてしまいますよ』
 「わーってるって。流石に俺も自分で自分の首締めるような真似したくねぇわ」
 『どの口が言いますか』
 電話の向こうから大きなため息が聞こえる。
 すっかり冷えた指先で、摘んだ缶を煽る。
 泡で濡れた唇を舐め取り、缶をテーブルの上に置く。
 圧倒的に物の少ない部屋の隅に追いやられた黒革のソファ。
 そこからはみ出る長い脚。割に胴の占める範囲が狭い。
 腰の位置が高いのだ。
 まさか俺との身長差分足に回っているんじゃなかろうな。
 憎たらしさに包まる毛布の上から腹部を叩く。
 僅かに毛布から出た顔が歪んでいる。
 「猛毒飲み込まされてるみてぇだ」
 『麻薬じゃないですか』
 「重症かもな」
 充てられてクラクラしそうだと言ったら、鼻先で呆れられた。
 何年経っても褪せることのない若草色が、俺の視界を染める。
 コートではあれほど駆け巡っていた鷹の目も、絆されきった欲の前では敵わないらしい。
 『死ぬまで懸想してればいいです。答えが出てるのに巻き込まれる僕の身にもなってください』
 「異性じゃねぇけどな」
 分からないでもない。俺がお前だったらワンコールで切ってるよ。
 優しいから俺みたいな人間に付け込まれるんだ。俺が言えた義理じゃないけど。
 「さっさと所帯でも持ってくれりゃあな。俺も諦めがつくってのに」
 『……酔ってるんですか。感傷的な君は気色が悪い』
 ビールで酔えるものなら苦労はしない。
 携帯を右手から左手に持ち変える。
 ソファの脇に腰を下ろし、眠る男の眼鏡を弄る。
 暫く見ない間に、精悍さが増したようだ。
 それでも、汚してはならないとばかりに縁取られた中性的な美しさは今だ衰えを見せない。
 どころか、年相応の色気と相成っていっそ末恐ろしい。
 「感傷的にもなるだろ。こんな不毛なもん抱え込んで何年経つと思ってんだ」
 『死因は恋患いですか。ご愁傷様です』
 やめてくれ。軽い口調を意識したはずなのに、絞り出した声は酷く懇願めいていた。
 思ったよりも大分参っているようだ。
 缶の底に僅かに残る苦い液体を無理矢理喉へ流す。
 人魚姫は完全に消えてなくなっていた。






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